11話:唐突にデザート。
「林、何点だったー?」
「んー、こんな感じ」
俺は田宮に答案用紙を見せた。
現代文八十点、古文七十一点、化学七十点……。
「おいおいおい」
答案を覗き込んでいた田宮の顔が、みるみる青ざめていく。
「なんでいつもより点いいんだよ!」
「そりゃ勉強したからな。田宮、お前勉強してないだろ」
「……っ」
ギクッ、と効果音が聞こえた気がした。
田宮は露骨に視線を逸らしながら、俺の答案をもう一度見直す。
「でもさ」
嫌な予感がした。
「数学、五十五点って何? 数学だけ低くね?」
……見られた。
隠す暇もなく、田宮の目に入ってしまったらしい。
「む、難しかったんだよ」
「まあ確かに。俺でさえ低いからな!」
田宮はなぜか胸を張った。
ちなみに田宮の答案は、どの教科も補習すれすれだ。
自慢できることじゃない。
「……数学だけは、得意なんだけどな」
俺は答案用紙に目を落とした。
いつもなら、それなりの点は取れる科目だ。
なのに今回は、テスト中も妙に集中できなかった。
問題を解いている途中で、何度も別のことを考えてしまった。
……図書室での一件がきっかけか?
いや。
あんなことでテストの点が下がるなんて、言い訳にもならない。
……ならないはずだ。
俺は手に持ったペンへ視線を落とす。
すると、不思議なくらい自然に、あの日の光景が頭に浮かんできた。
問題を説明しながら、ノートの上をゆっくりと走っていたペン先。
俺にも分かるように、一つひとつ丁寧に言葉を選んでくれた声。
そして、片側の髪をそっと耳にかけながら、真剣な顔で問題に向き合っていた――。
「……」
……何だよ。
思い出したって、数学の問題が解けるわけでもないのに。
俺は小さく息を吐き、もう一度答案用紙へ目を落とした。
なのに、さっきから頭の中に浮かんでくるのは、五十五点という数字よりも――。
あの日、俺のためにペンを走らせていた、森川さんの姿だった。
△▽△▽
林くん、数学……駄目だったのかな。
森川さんは、返却された答案を思い出しながら、机に頬杖をついていた。
数学だけ、妙に点数が低かった。
……私の教え方が悪かったのかな。
あのとき、もっと丁寧に説明してあげればよかった。林くんが分かりやすいように、もっと時間をかけて教えてあげていたら、きっとこんな点数にはならなかったはずだ。
「……私、何やってるんだろ」
小さく呟いて、森川さんは額を机にこつんと預けた。
そもそも、どうして私はあのとき林くんに話しかけたんだろう。
勉強を教えてあげる義理なんてなかったのに。
水野がいなくなって、二人きりになって。
あんなに気まずかったのに、自分から声をかけてしまった。
しかも――。
「……教えてあげてもいいよ、なんて……」
思い出しただけで、頬が熱くなる。
あんなことをしたら、林くんがますます私のことを好きになってしまうじゃない。
……でも。
森川さんは、ちらりと隣の席を見る。
最近、林くんとはあまり目が合わない。
目が合いそうになると、すぐに逸らされてしまう。
きっと、恥ずかしいんだ。
私のことを意識しすぎて、まともに顔を見ることもできなくなっているんだわ。
「……ふふ」
そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。
それに、数学の点数が悪かった理由だって――。
森川さんは、はっと顔を上げる。
「……分かった」
林くんが数学の点数を落とした理由。
あのとき、私が目の前で勉強を教えたから。
きっと林くんは、私のことが気になって、問題どころじゃなくなってしまったんだ。
そうよ。
それなら全部つじつまが合う。
私の説明が悪かったんじゃない。
林くんが私に見惚れて、勉強に集中できなかっただけ。
「……って、やっぱり私のせいじゃないじゃん!」
思わず声が漏れ、森川さんは慌てて口元を押さえた。
誰も聞いていないことを確認すると、今度は自分の頬を両手で包み込む。
「もう……何やってるのよ、私……」
恥ずかしい。
でも、少しだけ嬉しい。
そんな自分の気持ちが、森川さんにはまだよく分からなかった。
ただ一つ分かるのは――。
林くんの数学の点数が低かった理由を、いつの間にか自分と結びつけて考えてしまっていることだった。
△▽△▽
「なあ、今日はセイゼリア行こうぜ」
「はいよー」
放課後、田宮に連れられて向かったのは、いつものファミレスだった。
小遣いが日に日にカラカラになっていく俺にとって、安く腹を満たせる店はありがたい。財布の中身を気にしながら食事をするのは、どうにも精神衛生上よろしくない。
「よーし、何食おうかなー!」
席に着くなり、田宮はメニューを広げて目を輝かせる。
「おれはドリアで」
「おいおい、それだけか? そんなんだからもやしなんだよ」
俺はお前みたいに金があるわけじゃないんだよ。
心の中でそう返しながら、俺はメニューを眺める。
すると田宮は迷うことなく次々と注文を決めていった。
「んじゃ、おれはたらこパスタと旨辛チキンとピザで!」
「頼みすぎだろ!」
「いやいや、せっかく来たんだからさ!」
せっかく来たら、どこでもこんなに頼むのか?
食べ盛りとはいえ、こいつの食欲と金銭感覚には、ときどき本気で驚かされる。
……なんか、いろいろすげえ奴だな。
そのときだった。
――レイン♩
田宮のスマホから着信音が鳴った。
「あ?」
田宮はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
すると、さっきまでの能天気な顔が一瞬にして固まった。
「どうした?」
「あ、えーっと……」
「なんだよ」
「……今日、部活だったわ!」
「は?」
田宮は慌てて立ち上がり、椅子の背もたれに掛けていたリュックを引っ掴んだ。
「じゃあな! 頼んだの、全部食っておいて!」
「え!? お、おい!」
「悪い!」
言い終わるより早く、田宮は店を飛び出していった。
あまりの早さに、俺はしばらく呆然と出入口を見つめる。
その横を通り過ぎた店員が、なぜか一瞬だけ俺を睨んだような気がした。
「……」
いや、俺は悪くないだろ。
数分後。
テーブルの上には、頼んだ料理が次々と並べられていった。
ドリア。
たらこパスタ。
旨辛チキン。
そして、焼きたてのピザ。
どれも見るからに美味そうだ。
いや、美味いに決まっている。
ただ――。
「……多いな」
残念ながら、俺は少食だ。
田宮の胃袋と俺の胃袋を同じものとして扱わないでほしい。
とはいえ、頼んでしまったものは仕方がない。
俺は諦めるように息を吐き、まずはピザを切り分け始めた。
そのときだった。
「あれ、林くんじゃん!」
聞き覚えのある声が、店内に響いた。
顔を上げると、出入口のところに水野さんが立っている。
「あ、水野さん。今日はここで飯?」
またか。
胸の奥で、嫌な予感が静かに膨らんでいく。
水野さんはニヤッと笑った。
「ご飯じゃないよ。デザート食べに来たの」
「へえ」
「……森川と」
「…………」
やっぱりそうですよね。
俺の嫌な予感は、最近よく当たる。
そして、水野さんの後ろから森川さんが店内へ入ってきた。
「森川ー。ここで食べよ」
「うん。私はどこでも……」
森川さんは水野さんの声に応じながら店内を見渡し――。
俺と目が合った。
「……っ」
その瞬間、森川さんの足がぴたりと止まった。
「……」
何だ?
なんでそんな顔をするんだ?
俺はただ一人でピザを食べているだけなのに。
すると水野さんが、何かを思いついたように口元を緩めた。
そして――。
俺のいるテーブルを指差す。
「ほら、あそこ空いてるよ」
「……え?」
森川さんの視線が、もう一度こちらへ向く。
「……」
固まっている。
やっぱり、俺がいるのが嫌なのだろうか。
この前からずっとそうだ。
目が合えば逸らされるし、近くにいると妙に落ち着かない様子を見せる。
……俺、何かしたかな。
そんなことを考えていると、森川さんは水野さんの陰にほんの少しだけ身を隠すように立った。
「……いいよ。そこでも」
小さな声だった。
俺はその言葉を聞きながら、胸の奥に妙な鼓動を感じていた。
これまで感じていた気まずさとは、どこか違う。
少しだけ速くて。
少しだけ、気になってしまう。
けれど俺は、その違いが何なのか――よく分からなかった。




