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第十一章 最後の聖女

ドルトが古文書を持ってきたのは、翌朝のことだ。


いつもより目が赤く、夜通し何かを読んでいたのだとわかった。

机の上に分厚い冊子を積み上げ、そのうちの一冊を開きながら、椅子に腰を落とした。

その様子が、普段より重かった。


 


「リリアーナ様に、お伝えしなければならないことがあります」


 


 


「昨夜調べていたのですか」


 


 


「はい。王都の結界崩壊の報を受けて、改めて文献を洗い直しました。浄界の聖女に関する記録を、できる限り集めて」


 


ドルトが眼鏡を外し、丁寧に拭いた。

その手が、わずかに震えていた。


 


「嬉しい話ではありません。それでも、知る権利はあると思っています」


 


私は頷いた。


 


「聞かせてください」


 


 


ドルトはゆっくりと話し始めた。


浄界の聖女は、数百年に一人生まれる特別な存在だ。

ここまでは知っていた。

瘴気を浄化し、土地を癒し、ただそこにいるだけで周囲に恩恵をもたらす。

それも知っていた。


しかし、その先があった。


 


「聖女の力は、生命力と引き換えに発動します」


 


ドルトが静かに言った。


 


「厳密には、聖女の体が持つ生命の源泉を少しずつ消費することで、浄化の力が生まれる。日常的な小規模の浄化であれば影響は軽微です。しかし広範囲の、あるいは強力な浄化を行えば行うほど、その消費は加速する」


 


意味を、ゆっくりと飲み込んだ。


 


「つまり、力を使うほど」


 


 


「寿命が縮まります」


 


部屋が静かになった。

外で鳥が鳴いている。

のんびりとした、春の音だ。


 


「歴代の聖女は、どうだったのですか」


 


声は、思ったより落ち着いていた。


 


「記録に残っている限り、四人います。初代の聖女は建国とともに王都の結界を作り上げた後、二十八歳で亡くなっています。二代目は戦時中に広域浄化を行い、二十三歳で。三代目は比較的穏やかな時代に生き、三十五歳まで。四代目の記録は断片的ですが、やはり四十を迎えることなく」


 


ドルトが頁を閉じた。


 


「共通しているのは、皆若くして亡くなっていることです。そして晩年は体が弱り、力を使うたびに消耗が激しくなったという記録が残っています」


 


私は自分の手を見た。

何度も薬草を摘み、土に触れてきた手だ。

誰かに触れるたびに、あの温かい感覚が流れ出す手。


この手が、自分の命を削っていた。


 


「私は今、どのくらい」


 


 


「正確には測れません。ただ王都にいた五年間、常時結界を維持し続けていた負荷は相当なものだったと思われます。今の辺境での活動も、決して軽いものではない」


 


ドルトが、苦しそうに続けた。


 


「これ以上の大規模な浄化、特に王都の結界を再構築するような行為は、非常に大きな消費を伴います。それをお伝えしなければと、昨夜ずっと考えていました」


 


わかった、と言おうとして、言葉が出なかった。


怖いかと問われれば、怖かった。

でもそれよりも、奇妙な静けさが胸に広がっていた。

知らなかっただけで、ずっとそうだったのだ。

生まれた日から、この体はそういう体だった。


 


「教えてくれてありがとうございます」


 


やがて言った。


 


「知らないまま使い続けるより、ずっといい」


 


ドルトが、眼鏡の奥で目を細めた。


 


「……強いお方ですね」


 


 


「強くはないですよ。ただ、受け入れるのが早いだけです」


 


 


その夜、アルヴェインに話した。


集会所の灯りの下で、いつものように書類を整理しながら、私は静かに話し始めた。

力のこと。

生命力が削られていること。

歴代の聖女が短命だったこと。


アルヴェインは手を止めた。

書類を机に置き、私の方を向いた。

その灰色の目が、静かに私を見ている。


話し終えると、しばらく沈黙があった。


 


「それを、どんな顔で話しているんだ」


 


低い声だった。


 


「どんな顔、ですか」


 


 


「穏やかすぎる」


 


アルヴェインが立ち上がった。

机を回って、私の前に立つ。

近い距離で、真っ直ぐに顔を見下ろしていた。


 


「怖くないのか」


 


 


「怖いです」


 


素直に言った。


 


「でも、知ってしまったら、認めるしかないと思って」


 


 


「認める必要はない」


 


アルヴェインの声が、わずかに低くなった。


 


「君を犠牲にはさせない」


 


その言葉が、空気を変えた気がした。


 


「でも、力を使わなければ」


 


 


「方法を探す。ドルトにも調べさせる。聖女の力を消費せずに結界を維持できる方法が、どこかにあるはずだ。建国から今まで、誰もそれを真剣に探さなかっただけで」


 


 


「それは、難しいかもしれない」


 


 


「難しくても探す」


 


断言だった。

迷いのない、真っ直ぐな声。


私はしばらく、その顔を見ていた。

傷跡の残る、無骨な顔。

感情をあまり表に出さない顔。

でも今夜は、その目の奥に確かな熱があった。


 


「なぜ、そこまで」


 


問いかけながら、答えが少しわかる気がした。


アルヴェインは一瞬、視線を逸らした。


 


「俺の領地に来た人間が、理不尽に傷つくのは見たくない。それだけだ」


 


それだけ、という言葉の重さを、私はゆっくりと受け取った。


 


「……ありがとうございます」


 


 


「礼はいらないと言っている」


 


 


「それでも言わずにいられないから、言います」


 


アルヴェインが、また視線を逸らした。

その横顔が、灯りに照らされている。


 


翌朝、ドルトを呼んで話し合いをした。

アルヴェインも同席した。


 


「力を消費せずに浄化を行う方法は、理論上は存在します」


 


ドルトが書類を広げながら言った。


 


「聖女の力を媒介として使いつつ、消費源を生命力ではなく別のものに切り替えることができれば。ただし、そのような術式の記録は私の知る限り存在しない」


 


 


「存在しないのと、存在が確認されていないのは違う」


 


アルヴェインが言った。


 


「記録が残っていないだけで、誰かが試みた可能性はある。あるいは別の文化圏、別の時代に似た技術があったかもしれない」


 


ドルトが眼鏡を押し上げた。


 


「確かに。東方の古い文書に、浄化術式の変形について触れた記述があったような気がします。王都の図書館に眠っている可能性がある」


 


 


「王都の図書館」


 


私が繰り返すと、二人が同時に私を見た。


 


「結界が崩れた今、王都へ入ることは危険です」


 


ドルトが言う。


 


「でも、それを調べなければ先へ進めない」


 


私は二人を交互に見た。


 


「私が王都へ行くのが、一番早いと思います。力を使えば、魔物も近づきにくくなるはずだから。そして図書館で術式を探す。もし見つからなくても、その間に王都の瘴気を少し薄めることはできる」


 


 


「消費が増える」


 


アルヴェインが静かに言った。


 


「わかっています。でも」


 


一息ついた。


 


「誰かのために力を使いたい、とずっと思っていた。自己犠牲のためではなく。それは変わらない。ただ今度は、自分の意志で、自分の選んだ人たちのために」


 


沈黙があった。

アルヴェインが、じっと私を見ていた。


 


「一人では行かせない」


 


やがて言った。


 


「俺も行く」


 


それは、命令ではなかった。

宣言だった。


窓から朝の光が差し込んでいた。

新しい一日が、静かに始まろうとしていた。

この光の中で、私たちはそれぞれに、同じ方向を向いていた。





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