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無情の魔術師  作者: 情緒箱
第十五章:決着編
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サイドエピソード1『ミーフィア・アルト』

 朝露をまとった草花が、朝日を受けてきらきらと輝いていた。

 レティーラ王国の王都から離れた小さな村。その外れに建つ質素な木造の家では、一人の少女がそっと玄関の扉に手を掛けていた。


「……よし」


 小さく呟いた少女――ミーフィアは、後ろを何度も振り返る。

 家の中からは物音ひとつ聞こえない。

 兄のミリアは、朝から机に向かって魔術の本を広げているはずだ。最近の兄は、暇さえあれば本を読み、紙いっぱいに何かを書き込み、時には魔道具を分解しては組み立て直している。

 難しいことは分からない。けれど、村の大人たちが口を揃えて「ミリアくんは天才だ」と話しているのを、ミーフィアは何度も耳にしていた。


「ちょっとだけ……ちょっとだけだから」


 誰に言い訳するでもなく呟いて、少女は扉を静かに閉めた。

 ぎぃ、と古い蝶番が小さく鳴る。

 その音に肩を震わせ、しばらく息を潜める。


「……ばれてない」


 安堵したように笑うと、小さな足で駆け出した。

 今日は秘密の冒険なのだ。

 数日前、村の井戸端で話していた大人たちが言っていた。


『東の森を抜けると、大きな湖があるらしい』

『晴れた日は湖面が空みたいに青いそうだ』


 その話を聞いて以来、ミーフィアの頭の中はその景色でいっぱいだった。


(見てみたい)


 ただ、それだけだ。6歳らしい新天地への期待と、兄に秘密で行くという背徳感を感じて、ミーフィアは飛行魔術でレティーラ王国の東地方へ飛んでいった。

 悪いことをしているという自覚は少しある。兄はきっと怒る。


『一人で森に行っちゃだめ。知らない場所には近付かないこと。困ったら必ず大人を呼ぶこと』


 そう何度も何度も言われた。

 それでも、六歳の少女の胸を満たしていたのは、叱られる怖さよりも知らない景色への憧れなのだ。

 村を抜けると、一面の草原が広がる。

 柔らかな風が吹き抜け、名も知らぬ花々が揺れていた。


 * * *


 どれくらい経っただろう。

 飛行魔術を扱う普通の魔術師よりも何倍も速く飛ぶこと、およそ三十分。

 低空で飛んでいるミーフィアの目に映ったのは、幻想的なまでに美しい湖だった。


「わぁ……」


 思わず滞空して湖に見惚れる。

 カラフルな花が大量に湖のほとりで咲き誇り、湖の真ん中には、反射した太陽が浮かんでいる。その幻想的なまでの美しさは、ミーフィアが想像していたものよりも何倍も美しい。

 ミーフィアは飛行魔術を解除して湖のほとりに降り立った。


「お兄ちゃんにあげよう」


 両手いっぱいに花を抱え、嬉しそうに笑う。その笑顔は、どこにでもいる六歳の少女そのものだった。

 道端では蝶を追いかけ、木の実を拾い、小川では流れてくる葉っぱを競争させる。


「まってー!」


 葉っぱに向かって本気で走る。

 転びそうになって笑い、自分の笑い声につられてまた笑う。

 時間を忘れるほど熱中するミーフィアの笑顔は、いつもミリアと遊んでいる時とはまた違う、好奇心に満ちたものだった。


 感情のままに歩いていけば、気づけば草木が増えていた。いつの間にか、湖も通り抜けて森へたどり着いていたらしい。

 ひんやりとした空気がミーフィアの頬を撫でた。

 頭上では枝葉が重なり合い、木漏れ日がまだら模様を作っている。


「すごい……。」


 大きな切り株、苔むした岩、木の幹を忙しなく駆け回る小さなリス。

 耳を澄ませば、風が葉を揺らす音と、小川のせせらぎだけが聞こえる。

 絵本の楽しそうな森を、そのまま再現したようなその光景に、怖さよりも感動が勝っていた。

 ミーフィアは一歩、小さな鼻歌を歌いながら一歩一歩森を進んでいく。


「この先は何があるんだろう?」


 期待に膨らんだ言葉が溢れた、その時だった。

 森の奥で、鳥たちが一斉に空へ飛び立ち、ばさばさばさっ、と激しい羽音が響く。

 森の異変に気づいたミーフィアは立ち止まって後ろを振り返った。


「……?」


 風ではない、何か。何かがいる……そう思った瞬間だった。


──ドシン、ドシン。


 重く、ゆっくりとした足音が、森の静寂を踏み潰すように近づいてくる。さっきまで聞こえていた鳥の声も、虫の音も、いつの間にか消えていた。


「……だれ?」


 返事はない。

 代わりに、木々の隙間から現れた巨大な影が、幼い少女へ静かに視線を向けた。木々の間から現れたその巨体を見た瞬間、ミーフィアの思考は真っ白になった。

 緑色の鱗に覆われた巨躯。大木ほどもある四肢。

 折り畳まれてなお圧倒的な存在感を放つ翼。

 黄金色の双眸が、まるで獲物を値踏みするように少女を見下ろしている。


「……りゅう?」


 村で聞いたおとぎ話の中の存在。

 絵本では勇ましく、美しく描かれていたその姿は、目の前ではただただ恐ろしい。

 竜はゆっくりと鼻を鳴らす。その吐息だけで木々が揺れ、ミーフィアの銀色の髪が乱れる。


(逃げなきゃ)


 そう思っても足が動かない。

 圧倒的な生物を前にして、蛇に睨まれた蛙のように

 膝が震え、呼吸が浅くなる。


「お、お兄ちゃ……」


 かすれた声が漏れた瞬間、竜が大きく口を開いた。

 喉の奥で赤い光が揺らぐ。

 その意味くらいは六歳の少女にも分かる。眼前に訪れる死に、頭と体を支配した、その瞬間だった。


「──『氷の手錠(アイスチェイン)』!」


 澄み切った少女の声が森に響いた。

 同時に、青い魔法陣が空中へ展開される。

 そこから放たれた氷の鎖が一直線に飛び、竜の四肢と翼を絡め取った。


「グォオオオオッ!」


 轟音のような咆哮に森中の鳥が再び飛び立つ。それでも鎖は一本も切れない。「今です!」という少女の声と同時に、左右の茂みから十数人の騎士が飛び出した。

 剣を抜き、槍を構え、一斉に竜へと迫る。

 統率された動きで竜の鱗を削っていく。だが、竜も黙ってはいない。拘束されたまま尾を振るい、直撃した大木は叩き折られ、尾がかすった騎士2人が後ろに吹き飛ばされた。


「『風の女神の抱擁(シルフィード・ハグ)』!」


 少女の声とともに透明な壁が展開され、騎士たちを包み込む。

 それに間髪入れず、竜の口から炎が放たれた。竜が放つブレスは、森を焼き尽くすほどの火力を持つこともある。

 だが少女は一歩も退かない。


「『水の鏡(ブループール)』」


 巨大な水の壁が炎を受け止め、蒸気が一帯を白く包み込む。一瞬竜が硬直したその隙を逃さず少女が竜の頭上に飛びかかった。 


「『戦斧の一撃(ラインプール)』!」


 赤く煌めく粒子が、巨大な斧を模してつくられる。

 そしてその斧を持った少女が勢いよく振り下ろせば、斧は途中で止まることなく竜の首を切断した。

 少女が着地すれば、騎士達は歓声に沸いて竜の討伐を喜んでいた。そんな中、一人の少女がミーフィアのもとへ歩み寄る。


 歳は13歳ほどだろうか。陽光を受けて輝く金色の長髪と、白を基調とした上質な衣服が特徴だ。そしてその立ち居振る舞いには、年齢に似合わぬ気品があった。

 少女はミーフィアの前で膝をつき、目線を合わせる。


「もう大丈夫ですよ」


 そう優しく微笑めば、ミーフィアの中で張り詰めていたものが切れた。ミーフィアの目からぽろり、と涙がこぼれた。


「ひっ……ぐすっ……」


 少女は何も言わず、ミーフィアの小さな身体をそっと抱き寄せる。


「よく頑張りましたね」


 その一言だけで、涙は止まらなくなった。


「ご、ごめんなさい……」

「どうして謝るのですか?」

「お兄ちゃんに……ないしょで……」


 しゃくり上げながら答えるミーフィアに、少女は少し困ったように笑う。


「それは……お兄さんに、とても心配をかけてしまいましたね」

「うぅ……」

「でも、生きていてくれて本当に安心しているはずですよ」


 その言葉には心からの安堵が込められていた。

 少女はミーフィアの涙を指でそっと拭う。


「お名前を教えていただけますか?」

「……ミーフィア」

「ミーフィア、可愛らしいお名前ですね。」


 少女は一度立ち上がり、優雅に一礼した。


「私はアリエル・ユーセザス・レティーラ。この国の第一王女です」


 名乗りを上げたアリエルは、そっとミーフィア頭を撫でる。その温もりを、ミーフィアは一生忘れることはないだろう。


 * * *


 ミーフィア・アルトとアリエル・ユーセザス・レティーラ、この二人の出会いがミーフィアの全ての始まりであり、魔術師を目指した理由に他ならない。

 竜の恐怖さえ乗り越えられるような……誰かを守れるほど強く、それでいて誰よりも優しい魔術師。


 アリエルへの憧れは、やがて王国最高峰の魔術師への道を歩み始める、小さくも確かな第一歩となるのだった。

一応、飛行魔術は上級魔術に分類されます。

アリエルが使った魔術はいずれも上級魔術です。

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