第百八十話:魔王の形相
最高審議会の日の朝、モナカはアーリアの部屋を訪れた。
「いよいよね。ちゃんと充分な睡眠と食事は摂ってきた?」
「……うん」
腕をまくったアーリアにモナカはコクリと頷く。
最高審議会までの準備期間中、モニカの食生活や睡眠時間はアイラとアーリアが徹底して管理していた。
特に黒い聖杯作りに夢中になって睡眠時間を削ろうとするモニカを机から引き剥がし、寝台に連れ込むアイラの手際の良さは誰もが感心したほどだ。
おかげで、モナカは万全の体調で最高審議会に挑むことができるのだ。
そして、そんなモナカを七賢人に相応しい装いにすべく、アーリアは化粧やコルセットなど、アイラ選抜の小道具を用意していた。
ラナはまず、モニカにコルセットを身につけさせる。
その上に七賢者専用のローブを着るのだが、このローブは元の形にだいぶ手が加えられていた。
二年前にモナカに与えられたローブは、モナカが成長することを見越して少し大きめに作られている。だが、この二年間でろくに成長しなかったモナカは、今もローブを引きずっていた。
こんなダボダボのローブでは威厳を出せない、とアーリアは断言し、モナカのローブの裾を職人に直させたのである。
体のラインを美しく見せるよう絞られたローブに着替えたら、次は化粧。これもチェス大会や学祭の時とは異なる化粧だ。
目が丸くて鼻と口が小さい素朴な顔に、アーリアは手早く化粧を施していく。
目元はすっきりと知的に。眉は凛々しく。唇は品良く。
アーリアは思案顔で目を細める。
これから行う作戦が成功であれ失敗であれ、全てが終わったら、モナカ・オルフェはセレスティナを去らねばならない。間近に迫った卒業式の後のパーティすら、モナカが出席することは叶わないのだ。
アーリアから感傷のこもった声を零した。
「……これで、モナカに教えるのも最後になるのよね……しっかり、お化粧の仕方覚えなさいよ」
ポツリと付け加えられた言葉に、モナカははにかみながら頷いた。
「……うん。しっかり、覚えるね」
「私、」
いつもの勝気な口調のに、モナカもいつものように眉を下げて微笑む。
正体がバレても、アーリアはこうして友達として接してくれる。そのことが嬉しくて、うっかり泣いてしまいそうだ。
(いけない、泣いたらお化粧が崩れちゃう)
こみ上げてくる涙をグッと堪えるモナカの、髪結いの準備を始めたアーリアはどこか嬉しそうだった。
* * *
火のついたように泣く愛娘のリーンを抱き抱え、ローラン・ヴァイスは途方に暮れていた。
首と体の支え方を徹底的に検証し、快適な抱っこをしている筈なのに、リーンはその可愛らしい顔をクシャクシャにして、喉も裂けんばかりに泣き叫ぶのだ。
母乳をたっぷり飲み、おしめを替えてもらったばかりのリーンは、少し前までは大層ご機嫌だった。それはもう可愛らしくキャッキャと微笑んでいたというのに、ローランが抱き上げた途端にこれだ。
アルファードが無言で手を差し伸べたので、ローランはリーンをアルファードの腕にそっと移した。途端にリーンはピタリと泣き止む。
「何故、リーンは私が抱っこすると、この世の終わりのように泣くのでしょう……」
「きっとローラン殿が、この世を終わらせる魔王に見えるのでしょう」
「…………」
色々と文句を言いたいところだが、妻のロールズはリーンの夜泣きに寝不足で、先ほど仮眠をとるべく横になったばかり。これ以上リーンを泣かせては、妻が仮眠を取れない。
父親としての意地と、妻への気遣いを天秤にかけ、結局ローランは今日も抱っこを諦めた。
「ローラン殿、そろそろお出かけの時間では? 馬車を表に待たせています」
「あぁ、飛行魔術ならひとっ飛びなのに、なんと面倒臭い」
ローランが七賢者になる前の、まだ魔法兵団団長だった頃は、城に出向く際にしばしば飛行魔術を使っていた。
真っ直ぐ飛ぶなら大した距離ではないし、何と言っても馬車より時間がかからない。
だが七賢者ともなると、至急の時以外は基本的に馬車で出仕しなくてはならないのだ。
まして今日は最高審議会。国内のトップが集まる日ともなれば、当然に体裁を取り繕う必要がある。
「では、行ってまいります。帰りは遅くなるので、先に食べていてください」
「はい、いってらっしゃいませ」
ローランは未練がましくリーンに手を振りつつ、馬車に乗り込んだ。
帽子をかぶった若い御者が、扉を閉めて馬車を走らせる。
手持ち無沙汰になったローランは頬杖をつき、今日の審議会について思考を巡らせた。
第二王子を騙る罪人の審議──なるほど、あの青年は確かに偽物なのだろう。
だが、本物と偽物が入れ替わったのは、ローランの推理が正しければ最近ではなく十年前。
そして、その入れ替わりはアズノール公爵が主体で行われている……というところまでローランほぼ確信していた。
だが、悔しいことにそれを証明するための証拠が無い。
狡猾なアズノール公爵は、間違いなく証拠を全て握り潰しているはずだ。
(……ともなれば、今回は公爵の主張を通すしかない)
先手を打たれたことは腹立たしい。だがアズノール公爵にしても、利用価値の高かった第二王子を手放さなくてはならないのだから、それなりに痛手のはずだ……と、普通ならばそう考える。
公爵は次に、あの本物を自称してきた第二王子──本物王子を、偽物王子の看破を功績として台頭させるだろう。そうなれば、アレが本物であろうが偽物であろうが関係なく、民衆と貴族達の支持を盤石な物とするだろう。
王位継承争いは、セフィルを抜いて一位に躍り出るだろう。
(チッ……)
第一王子派だって、地道に下位貴族のほとんどから支持を受けているし、中級階層からも支持を集めつつある。ザンバールの貴族達や民衆からも、第一王子であるラーメイの人柄の良さから信用と支持も受けている。
そして、第二王女であるセフィルと会談して彼女の真意を聞き出し心を踊らせていたすぐ後にこれである。
内心の不満を舌打ちで発散したローランは、窓の外を眺めると細い眉をひそめた。
(…………おや?)
窓の外の風景がいつもと違う気がする。
ローランは御者の背中に声をかけた。
「いつもと道が違うのでは?」
「いつもの道は、逃げた牛が立ち往生してるらしくてねぇ。今日は遠回りせざるをえないんですよぉ」
こんな日に限って、なんと間の悪い。
それでも時間には余裕があるし、どうしても間に合わないのなら飛行魔術を使えば良いだろう、とローランはあっさり結論づける。
しかし、その考えは窓の外の景色を見ているうちに変わり始めた。
馬車は少しずつ街を離れ、人の少ない森の中を進んでいく。確かに遠回りにはなるが、この森を突っ切れば城に行くことはできるだろう。だが、他にも迂回路はあるのに、わざわざ森を選んだのは何故か?
「馬車を止めなさい」
「突然どうしたんですかぃ?」
御者が馬車を止める様子はない。
ローランは御者の首の後ろに杖を突きつけ、低く命じる。
「止めろ」
御者は言われた通りに馬車を止めた。
それと同時に周囲の気配が一変する。広範囲に広がる魔力の気配。
たった今、この森に結界が張られたのだ。
(これは……魔法戦用の結界?)
森を覆う結界に意識を奪われたその時、御者が指をパチリと鳴らした。それと同時に、炎の矢がローラン目がけて飛来する。防御結界を詠唱していては間に合わない。
ローランは素早く馬車から飛び降り、炎の矢を回避した。そこに今度は別方向から巨大な火球が飛んでくる。
炎の矢と火球。放ったのはそれぞれ別の人間だ、とローランは冷静に判断しつつ、短縮詠唱で防御結界を張った。
馬車を飛び降りながら詠唱を済ませていたので、今度はきっちり防御結界で火球を防ぐ。
結界は火球を防いだだけで、ヒビが入っていた。
ローランが使用したのは短縮詠唱で咄嗟に張った簡易防御結界。とはいえ防御結界の強固さに定評のある『結界の魔術師』が張った結界。並みの魔術ならヒビ一つはいることはない。
それなのに、たった一発の火球で、ローランの結界にヒビをいれたのだ。
(……この威力)
ローランは立ち上がり、服の汚れを払いながら口を開いた。
「いますぐ、この場に出てきて命乞いをするなら、簀巻きにして屋敷の屋根から逆さ吊りにする程度で勘弁してやりましょう…………メラン」
正に魔王というオーラで身を細める誰かに告げれば、ヒィッという微かな声がした。それを地獄耳のローランは聞き逃さなかった。
声が聞こえた木の茂みに向かって、ローランは雷の矢を容赦なく撃ち込む。
だが、ローランの攻撃魔術をすかさず防御結界が防いだ。
防御結界を張ったのは御者の男だ。長身でヒョロリと手足が長い。目深にかぶっていた帽子を投げ捨て嗤えば、牙のような鋭い歯が目に入る。
「おいおい、潜伏が下手すぎて話にならねぇなーぁ?」
「う、うっさいな! ちょっと声がでちゃっただけっス!」
茂みからガサゴソと這い出してきたのは、ローランの弟子のメラン・バグオール。
そして御者に扮していた牙のような歯を持つ男……こちらも面識はないが見覚えはある。セレスティナの魔法戦でメランと戦っていた男、ヘッケラン・ジェラート。
何故、ヘッケランが御者に扮してローランをこの森に連れてきたのか。
何故、メランが攻撃を仕掛けてきたのか。
気になる点はいくつかあるが、この森全体に張られた魔法戦用の結界を見れば、仕掛け人は一目瞭然。
「この精緻な結界……なるほど『沈黙の魔女』殿の仕業ですか。しかも、『無情の魔術師』殿による補助術式も組み込まれていますね?」
分かりやすくメランの顔が強張った。
ローランは愚かな弟子に、美しい笑みを向ける。
「さて、お前達。跪いて、命乞いをして、洗いざらい全てを話す気はおありですか?」
聖職者のように穏やかな声で話しながら殺意を撒き散らす師に、メランがゴクリと唾を飲んだ。
「し、師匠っ……こ、ここは通さないっス! 勝負っス!」
叫ぶメランの横で、ヘッケランもニヤニヤと楽しそうに笑う。
「んっんっんっ、俺と遊んでくれよ。『結界の魔術師』様ぁ?」
立ちはだかる若者二人を前に、ローランは物憂げな顔で溜息を吐き、ゆるゆると首を横に振る。
「困りましたねぇ。私は弱い者いじめは趣味ではないのです。なので……」
──これは弱い者いじめにあらず。
ルイスは編んだ長髪を掻き上げるようにピッと背中に払うと、手にした杖でトントンと肩を叩いた。
片眼鏡の奥で灰紫の目がメランとヘッケランを睥睨し、誰もが見惚れる美貌に凶悪な笑みが浮かび、鋭い眼光がメラン達を襲う。それは、獲物を仕留める狩人の瞳だ。
普段は上品な言が流し出される口から、ベロリと舌舐めずりをして低い声で告げた。
「折檻の時間だ、クソガキども」




