第百七十九話:傀儡の真実
今、モナカはとある邸宅の前に立っていた。レティーラ王国西方部の、赤レンガで作られた屋敷。血のような深い赤なのに、不快感の感じない鮮やかな赤色。
目の前に佇む屋敷は、『鮮血の魔女』ルベリア・スカーレットの屋敷だ。
正門の前に立ったモナカは、小さく息を吐く。
「…………」
緊張している。
最高審議会のことを考えると胃が痛くなるが、今から会う相手を考えると胃が痛いどころではなかった。
「モナカ様、逃げたいですか?」
それはセフィルなりの気遣いなのだろう。
モナカが緊張していること、2人と相まみえる覚悟ができていないことを見抜き、そして覚悟を決めさせようとしてくれているのだ。
だからモナカも、その期待に応えるために、勇気を振り絞った。
「本当は、逃げ出したいです。でも、この機会を逃したら、あの2人に協力して貰うことは出来ませんから」
それを聞いたセフィルは、満足そうに微笑むと、次に目を閉じて胸にそっと手を添えた。それはまるで、懺悔する修道女のように儚く美しいものだった。
「私は、モナカ様が逃げたいと言うなら止めるつもりはありませんでした。けれど、それでも逃げずに立ち向かうというのなら、『青碧の魔女』に見初められた、この私が、そして第二王女である私が、貴方の支えになりましょう」
『青碧の魔女』とは何なのだろう……とモナカが口に出す前に、セフィルが目を開けモナカに視線を向けて、「だから」と言葉を紡いだ。
「必ず、この交渉を成功させましょう」
そう言うとセフィルは扉の方に腕を伸ばした。モナカが釣られてそこを見れば、ギィィと音を立てて扉が開いた。
「ようこそお越しくださいました、客人方。お嬢様がお待ちでございます」
そう言って、執事らしき初老のギュンターは扉に背を向けて屋敷を歩き始めた。モナカとセフィルもギュンターに続くように屋敷を歩いた。
ロビーを抜けた先には会場があった。『鮮血の魔女』主催のパーティが数ヶ月に一度ほどの頻度であるからそこで使うのだろうが、そういった物に相応しくないと感じるモナカでも、この会場にはあまり感じなかった。華やかさよりも、上品さと穏やかさを感じさせる装飾や作りになっているからなのだろう。
やがて階段を登っていけば、応接間と札に書かれた部屋の前まで来た。
「この先にお嬢様方がいらっしゃいます」
ギュンターはそう言うなり一礼して階段を降りてしまった。
この先に、ミリアとルベリアがいるのだ。
モナカはセフィルと顔を見合わせ、フーーーと深く息を吸って、扉を開けた。
応接室の中では、ミリアとルベリアが同じソファに座っていた。そのソファの直ぐ側にはテーブルがあり、その上にはチェス盤が置かれていた。
「ようこそ、わが家へ。どうぞ、座ってちょうだい」
ルベリアはモナカ達に気付いて、二人の向かいのソファに促した。ミリアはというと、チェス盤を睨みつけるようにして熟考していた。
そんなチェスの様子はといえば、白と黒はほぼ拮抗していた。ただ今のところ黒が少し優勢、と言ったところだろう。
ミリアは白のビショップを手に取って、黒のポーンを取る。するとミリアは顔を上げ、真っ直ぐにモナカを見つめる……モナカに打てということだろう。
モナカは、この場において最も良い手を取る。次にミリアはまたチェス盤を見つめたかと思うと、ポツリと呟いた。
「本題に入る前に、私の話を聞いてもらおう。聞き逃さないよう、よく聞いておくことだね」
* * *
レーブンの森での一件が終わったとある日、ミリアはアズノール公爵の屋敷に招かれた。
ちょうど招かれた日はセレスティナで授業があった日だったから、授業から抜け出している。当然七賢者として呼ばれているのだから、ローブを羽織って杖を持ち、最後に仮面を被って訪れている。
公爵の屋敷と言えばやはり、歴史の重みと美しさを感じさせる。ただ備え付けたわけではなく、一つ一つを計算して配置、装飾されているという拘りは、ミリアにとってとても感度するものだった。
「ようこそ、お越しくださいました。我らが主人が、応接間でお待ちでございます」
そこから執事の男性に案内されるままに歩くと、応接間まで辿り着いた。ミリアがコンコンコンと扉をノックすれば、「どうぞ」と返された。その声には威厳と重厚感に満ちており、また圧倒的なカリスマを感じさせる心地よさも兼ね備えていた。
「失礼します」
ミリアが部屋に入って真っ先に見えたのは、アズノール公爵が目の前の椅子に座っていたことだ。
その奥にはもっと高級そうで頑丈な椅子と机が見えるから、きっと普段はそこで従者達の対応をしているのだろう。
それを考えれば、公爵がこうしてただの椅子に座っているということは、ミリアと対等に交渉しようと考えているのだろう。そこに、こうすることで成功率を上げるという打算があったとしても、この国の大貴族であるアズノール公爵に対等と見られることは、ミリアにとって嬉しかった。
ミリアは断りもなく椅子に座れば、若干公爵の眉が動いた気がした。テーブルに目を向ければ、紅茶の入れられたカップが置かれていた。
「私も忙しいのでね、早速ですが、本題に入ってもらってもよろしいでしょうか?」
紅茶を飲まず、貴族としての茶会のマナーも気にせず話を急かせば、公爵は紅茶に一口付けてから、テーブルから資料を取り出した。
「まずはこれをやでいただこう」
公爵がその資料をテーブルに置いた。
ミリアはそれを手に取ってペラペラとめくっていけば、そこには、フィリップ・アルト・レティーラの詳細な情報が載っていた。
身長、体重から、身体の比率に適正魔力属性、そして全体写真……フィリップ・アルト・レティーラの隅々までが記載されていた。
絶句しているミリアが読み終わったことを確認すると、公爵が口を開いた。
「貴殿には、その人物の再現を頼みたい」
その言葉が、どれだけ不敬なものであるかについてなど最早語るまでもないだろう。ただし、不敬を向けられる対象が王族であるのなら。
ミリアはこの時点で、十年前に第二王子フィリップ・アルト・レティーラが死亡し、現在は帝国の魔術師の肉体改造魔術によりそっくりになったアール・クラナータが成り代わっていることを知っていた。
そして、こんな『頼み事』をしてくる公爵は十中八九、ミリアが真実を知ったことに気づいているはずだ。
大人しく頼まれるかはともかく、実際ミリアには人物の再現くらいは朝飯前でできる。当然人体錬成などは不可能だが、土塊を魔術で人の形にすることは簡単にできる。人の顔は複雑だから作るのに時間はかかるが、それでも一時間すらかからないのだ。
と、ここまで言っても、『お願い』の内容はともかく、ここまでの流れはミリアの予想通りであった。
ここまで予想通りであるというのなら、この交渉を受けるかどうかすらも最初に決めていた、ということになる。その上でのミリアの答えは……。
「──いいでしょう。ただし、無論条件はあります」
「聞こう」
その了承の言葉に、公爵の視線の鋭さが緩んだ。だが眼光が緩んだだけであって、顔の固さは依然変わらぬどころかより固くなっているようだった。
了承してもらったとしても、この内容と口止めを含めた報酬はそう軽くないのだ。これからが本番だと、公爵は分かっていたのだ。
「現在貴方が保護している『黎明の魔術師』デリック・ラン・フォーレ卿の家族の身柄を、こちらに引き渡すこと……それが、今回の協力の条件です」
* * *
話終えたミリアは、ふぅぅと息を吐いて付け加えるように言った。
「こうして、私はもう一人の第二王子を作った訳だが、公爵に黙って追加した機能が一つある」
公爵も知らない機能。モナカ達は最高審議会でそれをミリアに使わせるために、ここに来たのだ。
「それはどのような機能なのですか?」
「……人格の有効期限の設定、そしてその消去……それが、私の仕組んだ機能だ」
一瞬の沈黙が流れた。
人格の消去……いやそれよりも、人格を作ったという事実と、その人格に設定を行うこと、そのとんでもなさにモナカとセフィルは絶句していたのだ。
それを見かねたルベリアが話を変えるために
「今回、人格の設定という話は重要ではありません。これからの話で重要なのは……」
「……いつ、その消去を使うか」
セフィルがそう答えれば、ミリアがその通りと言わんばかりに頷いた。
「2人と私の目的は一致している。だから、交渉を受けてあげよう。だから精々、私を上手く使うことだね」




