第百七十一話:ブルーサファイアの契約石
セレスティナ寮部屋に戻ったモナカは、ほんの少しだけ仮眠を取ると、朝から晩まで机に座って紙面にペンを走らせ続けていた。
今、モナカは父が残した研究資料の仕上げに取り掛かっている。
設計図は八割完成していたが、まだ細かな部分が詰めきれていなかった。
その不足部分をモナカは己の持てる全ての知識を総動員して埋めているのだ。
幸いだったのは、遺伝子学や生物学的知識が必要な基礎部分は、既に完成していたことだろう。
そのあたりの知識は、モナカの専門分野ではないので、正直この部分が欠けていたら手に負えなかった。
未完成の二割は主に魔術式に関する部分なので、モナカの得意分野である。
とは言え、魔術と数学に関して飛び抜けた才能を持つモナカでさえも、まだ設計図を完成させることができずにいる。
セレスティナは三日間の臨時休校になっていたが、明日からは通常通りに授業が開始される。
最悪授業はサボるとしても、放課後に生徒会の会議があるのだ。
今後の生徒会の方針について、新旧生徒会役員で話し合うことになるので、これをサボるわけにはいかない。
窓の外を見れば、とうに日は沈んでいた。
モナカは今更になって、朝から水しか口にしていなかったことを思い出す。
立ち上がると少しだけ目眩がした。
今夜は徹夜になるだろうから、今のうちに木の実をかじって、コーヒーでも飲んでおこうか。
そんなことを考えて席を立とうとすると、コトリ、と懐中時計に手が当たった。
その銀色の懐中時計の表面には王家の紋章が刻まれている。
この懐中時計は、兵士達によって捜索された際に、押収されなかったものだった。
懐中時計の中に精霊との契約石があることに気づいたモナカは、密かにアールの部屋から持ち出していたのだ。
(そろそろ、アールの契約精霊から話を聞かなきゃ)
モニカは懐中時計を掌に乗せる。
蓋を開けてみれば何の変哲もない懐中時計だが、少しだけ底に厚みがある。試しに底の方を何度か強く捻ってみると、カチリと手応えがあった。
そうして再び蓋を持ち上げれば、時計盤の下に隠れたもう一つの盤面が表れる。
中央に埋め込まれているのは大粒のブルーサファイア。
そして、それを囲うように精霊との契約を意味する魔術式が刻まれていた。
精霊の名前は「ウェンラポート」そして、契約者の名は「アール・クラナータ」だ。
精霊との契約には膨大な魔力を必要とする。それと正しい契約の知識も。
アールは独学でこれらの術を身につけたとすれば、彼の魔術師としての才能は群を抜いているのだろう。
「ウェンラポートさん、起きてください」
モナカがブルーサファイアに呼びかけても、返事はなかった。
恐らく契約主のアールが呪具で魔力を封印されている影響で、契約精霊も石から出てくることができないのだ。
モナカとウェンラポートでは属性が違うから契約はできないが、魔力を与えるぐらいは造作もない。
懐中時計のブルーサファイアに魔力を流し込むと、水色の石の内側に小さな光が灯った。
『…………あぁ、そこに、どなたかいるのですか?』
ブルーサファイアの内側から、微かに声が聞こえた。ともすれば風の音にかき消されてしまいそうなほど、か細い声だ。
「貴方はこちらの状況を把握できていますか?」
『……いいえ、何も見えません…………ですが、声は微かに……この声は……まさか、モナカ・オルフェ様ですか?……』
「はい、貴方からも直接お話を聞きたくて、そしてあなたに伝えなきゃいけないことがあって、呼び出させてもらいました。
恐らく……いえ確実に、フィリップ殿下は三週間後の審問後に、処刑されます」
モナカの言葉に、懐中時計の奥にあるブルーサファイアが、少しだけ点滅した気がした。
『……あぁ、あぁ……お願いです……どうか、我が主人を助けてください……あの方は……』
「偽物、なんですよね」
『……あなたは、全てを知って……』
声が途切れ、しばし葛藤するような間があった。
話しかけるべきか否か、モナカが迷っていると、ウェンラポートは再び語りだす。
『一つ、昔話をお許しください……わたくしは、元々は亡くなられた王妃、レイン様の契約精霊でした』
レイン妃。アズノール公爵の娘であり、本物のフェリクス王子の産みの母。
モナカは王家のことにあまり詳しくないが、レイン妃がとても美しい人だったこと、そして魔術の才に長けていたことは耳にしたことがある。
国内で十人といない上位精霊との契約者なのだ。
上級魔術師相当の腕前だったことは間違いない。
『レイン様は美しく、賢いお方だった……わたくしは、自分がレイン様に抱く感情をどう形容すれば良いのか分かりません……信頼、尊敬、敬愛、或いは恋慕……どれが適切なのかは、分かりません。
……ただ、心からお慕いしておりました』
笑っていてほしかった。
幸せになってほしかった。
願いを叶えてあげたかった。
人と異なる感性を持つ精霊が、ぽつりぽつりと己の心を吐露する。
『ご懐妊されたレイン様は、我が子には王族という立場に縛られようと、個の幸せを追求することを忘れて欲しくない……と、いつもお子様の幸せを願っておられました……わたくしは、その願いを叶えたかった』
産まれてくる王子には、きっと誰もが王族として相応しい振る舞いを望むだろう。
王族が個の幸せを追求するのは、きっと困難だ。
それが分かっていたからこそ、人間ではない自分だけは、王子の味方でいてやりたかった。
どんなにささやかなことでも良いから、王子個人の幸せを感じてほしかった。
……ウェンラポートは悲しい声でそう語る。
だが、その願いは叶わなかったのだ。
レイン妃の死と共に契約精霊は自由に動けなくなり、宝石の中から、外の世界を見ていることしかできなかった。
幼いフィリップが王族の立場に縛られ、ささやかな幸福すら祖父に取り上げられるところを。
祖父に期待してもらえぬまま、残酷な真実に打ちのめされ、死に至るところを。
ウェンラポートは見ていることしかできなかったのだ。
『……フィリップ様が最後に願われたのは、アール様の幸福でした。
レイン様の願いが叶えられぬのなら、せめて……わたくしは、レイン様のご子息であるフィリップ様の願いを叶えたかったのです』
亡きフィリップ王子の願いをモナカは知っている。
知っているからこそ、やるせなさに胸が苦しい。
『どうか、どうか、お願いです……わたくしを、アール様に引き渡してください』
ウェンラポートの懇願に、モナカが反論する
「今のウェンラポートさんが殿下に近づいたところで、何もお役には立てません」
『わたくしは幻術を得意としております。
封印された状態でも最後の力を振り絞れば、一回ぐらいは幻術を使える……それでアール様に化け、代わりに処刑されれば……』
本来精霊は実体の無いものだ。だが、人間と契約することで一時的に実体を得ることができる。
そして実体を得た状態での致命傷は……そのまま、精霊の死に繋がることもあるのだ。
「ダメです」
モナカが、キッパリと宣言する。
「これ以上、誰かが犠牲になるのは、ダメです」
モニカは懐中時計をベッドに置いたまま立ち上がり、机の引き出しを開ける。
そこに入っているのは、モニカの宝物だ。
父の形見のコーヒーポット、アーリアと一緒に買いに行ったポーチ、アールに買ってもらった父の本……それらの中から、モナカはドライフラワーにした白薔薇をそっと持ち上げる。
それは学祭の時にラークから貰った花飾りだ。
あの時のような瑞々しさは失われているが、それでもこれを貰った時の気持ちをモナカは覚えている。
──これは、モナカが強くなれるおまじないだ。
モニカは人に期待することが怖かった。だから今までずっと一人で引きこもって生きてきた。
でも、今はそれではダメなのだ。
モニカ一人では、設備も、資材も、時間も、技術も、情報も、戦力も、何もかもが圧倒的に足りない。
「ウェンラポートさん。
私なら、アールを助け出せるかもしれません。
だから、アールを助けるために、私に……協力してください」
『はい…勿論です……ですが、まさか……貴方は………』
だから、モナカは決断しなくてはいけないのだ。




