第百六十二話:フィリップ・アルト・レティーラ
帰りの馬車の中、フィリップはぼんやりと窓の外を眺めながら、一人の少女について考えていた。
彼の行く先々に現れる、不思議な彼女。
内気で、小心者で、でも数字のことになると目の色が変わって。
刺客にも護衛にも思えなかったから、彼女の正体についてはあまり考えず手元に置いて、フィリップは彼女の観察を楽しんでいた。
……どうしてか、そうしている内に、少しずつ情が湧いた。
気が弱くて、すぐに自分を責めて、二言目には「ごめんなさい」と謝る姿が、幼い日の『アルト』に重なって見えたのだ。そうすれば、どうしたって『アール』は手を差し伸べたくなる。かまいたくなる。
でも、彼が手を差し伸べる度に、モナカは何を思っていたのだろう。
痩せすぎの体に、背中に残る古い傷。他人の視線に怯えた態度。
父親が処刑された後、彼女がどんな苦労をしてきたかは、想像に難くない。
* * *
あと一ヶ月経てば、フィリップ達3年生は卒業だ。
3年生が卒業すると同時に新3年生に生徒会は代替わりされる。
運営会はもう代替わりされているようで、セフィル始めとした2年生は変わらぬまま、新しい生徒が勤めているらしい。
生徒会も、元二年庶務のニーアを生徒会長として新生徒会員が決まっていた。
今日は、新旧生徒会役員の顔合わせの日だ。
フィリップはいつもと同じ朝にエントランスに辿り着く。だが今日は休日ということもあり、エントランスに人の姿は少なかった。
だが、丁度フィリップとは反対方向からラークの怒鳴り声が聞こえた。
あの方角は下級生の部屋の方角だ。
声の方に目をやれば、ラークがメランを引きずりながら大股で歩いてくるのが見えた。
「まったく、いつまで寝ぼけている! 今日は新旧生徒会役員の顔合わせがあると言っただろうが!」
「何も休日にやらなくても、いいじゃないすかぁ……うぅ、ねむ……」
あふぅ、と大きな口を開けてあくびをするメランの耳を、ラークが問答無用でつねる。
「あいだだだ!」と悲鳴をあげるメランは、まだ髪が寝癖だらけだ。
恐らく、顔合わせのことも忘れて惰眠を貪っていたところを、ラークに叩き起こされでもしたのだろう。
「おはよう、二人とも」
フィリップが声をかけると、ラークがビシッと背筋を伸ばして挨拶をする。
「おはようございます、殿下!」
「あ〜、会長おはようっす〜。会長も時間ギリギリっすね。寝坊っすか?」
メランの言葉に、ラークがギロリと青い目を底光りさせる。
「貴様と殿下を一緒にするなよ。いつまでも寝ぼけていると、その口に氷をねじ込むぞ」
「うぅ〜」
まだ眠たげなメランは、ラークの叱咤もなんのその、マイペースに自身の頬をこねている。
そんな二人のやりとりを、どことなく微笑ましい気持ちで見守っていると、エントランスの扉が外側から開いた。
この時間に外から? 外出していた誰かが戻ってきたのだろうか?
訝しみながら振り返ったフィリップは、軽く目を見張った。
ラークとメランもまた、驚きの顔で目を見開いている。
玄関から次々と中に入ってくるのは、鎧姿の兵士達だ。鎧に刻まれた紋章は、学園の警備兵のそれとは違う。あれは城の兵士だ。
セレスティナは、アズノール公爵の息がかかった施設だ。
国王と言えども簡単には干渉できないし、まして、帯剣した兵士を寮に入れるなんて、前代未聞だ。
兵士達の中の隊長格の男は、フィリップに目を向けると大股で近づいてくる。
フィリップはそんな隊長格の男に、冷ややかな目を向けた。
「ここが貴族の子女を預かる、神聖な学び舎であると知った上での狼藉かい?
所属と名を名乗るがいい」
大の男でも怯みそうな冷たい威圧感に、男は動じることなく、むしろ朗々と声を張りあげた。
「元七賢者『黎明の魔術師』デリック・ラン・フォーレと共謀し、フィリップ・アルト・レティーラ殿下を騙った偽物め!
国家転覆を謀った罪で、貴様をこれより城へ連行する。言い訳は城で存分に語るのだな!」
この言葉に、誰よりも早く反応したのはラークだった。
「殿下が偽物だと!?
ふざけるなっ、その目は節穴かっ!」
「意味わかんねーっスよ! どっから見ても、いつもの会長っス!」
ラークの言葉に便乗して、メランも声を張りあげる。
だが、兵士達は2人を見向きもしない。
「残念だったな、王子を騙る偽物よ。
貴様の共犯であるデリック・ラン・フォーレは良心の呵責に耐えきれず、自殺した。
その遺書に全てが書いてあったぞ。貴様が帝国の魔術師であることもな!」
アールの頭はこんな時でも、動揺するよりも冷静に状況を分析しようと勝手に動き出す。
もし、本当にデリックが自殺したのなら、遺書にアールが帝国のスパイであるなどと記すのは、あまりに不自然だ。
となると、デリックの自殺を誰かが利用したか、あるいはデリックは他殺と考えるのが妥当。
アールは、あくまで穏やかな態度は崩さずに問う。
「……このことを、アズノール公爵はご存知なのかな?」
「無論だ。公は大事な孫が殺害されたと知り、大変心を痛めておられる」
その言葉を聞いて、アールは確信した。
この兵は公爵の手の者だ。
そして、自分は……公爵に見限られたのだ。
(いずれ公爵が、僕に見切りをつける日が来るだろうとは予想していたが……あまりに早すぎる)
フィリップとアールの入れ替わりは、時間と金と手間のかかった計画だ。
それを簡単に手放すとは、流石のアールも思っていなかったけれど。
恐ろしく手の込んだ入れ替わり計画すらも、必要ならば躊躇わずに切り捨てる……その見切りの早さが、アズノール公爵の恐ろしさだということを、今更アールは思い知る。
(……けど、公爵は僕を切り捨てて誰を王に立てるつもりなのかな?)
そう、フィリップを騙るアールがいなくなれば、公爵の傀儡の王を作ることなど出来るはずもない。
だが、あの公爵が何の考え無しにフィリップを切り捨てるだろうか……
フィリップが最後の最後で疑念を抱いていると、兵士が左右に割れた。
そして、その間、エントランスから見覚えのある─いや、彼の記憶にこびり付いた、一生忘れることのない懐かしい顔が見える。
「やぁ、私の偽物さん。私の真似は楽しかった?」
囁くように問うその懐かしい声には、確かな憎悪が宿っていた。
ブレンド医師により『フィリップ・アルト・レティーラ』へと成り代わったアールだったが、肉体改造魔術でも変えられなかった部分があった。
─それが、瞳の色だ。
アールが生まれ持っていた瞳の、水色。それだけは、本物の青い瞳に変えることは叶わなかった。
だが、今目の前の『フィリップ』の、憎悪と冷たさが宿る瞳の青色だ。
「……は?」
最初に漏れたのは、間抜けな声だった。
アール自身、自分がそんな声を出たことに驚く。
そうだ、だって、ありえない。ありえるはずがないのだ。だって、フィリップは――
「随分と、驚いた顔をするんだね」
『フィリップ』は、穏やかに笑う。その笑みを見たアールの背筋に、冷たいものが走る。
(………違う。違う違うちがうちがうちがう…!
これは、アルトじゃないんだ。僕の主で、親友の、アルトとは違う……!)
「貴様、無礼にもほどがあるぞっ!
殿下を有りもしない罪でこのセレスティナに乗り込むだけにとどまらず、殿下に対して偽物などとっ…!
貴様の方こそ偽物──」
最後まで言い終える前にラークが兵士に口を塞がれた。
案外兵士も優しいものだ。その先の発言を摘まなければ、ラークは不敬罪で即刻首がはねられていただろう。
だが、今のアールはそれを安堵するほど、目の前の状況を飲み込めていなかった。
そしてフィリップは、ラークを一瞥すらせず、立ち竦むアールにゆったりと近づいていく。
そして耳元に、アールにしか聞こえない小さな声を出す。
「ねぇ、アーク」
とても懐かしい声音。
「私になってみて、楽しかった?
"優秀"な アークのことだから、きっと、エリックと仲良くやって、多くの人に慕われて、メアリーや女の子達に囲まれて、担げられてきたんでしょ?
私も、アークみたいに優秀だったら、何でもできたら、どれだけ楽しめたのかな」
その優しい声音とは裏腹に、彼の言葉には確かな怒りが、妬みが、憎悪があった。
その突きつけるような感情の針が、容赦なくアールの心を貫いて痛ませる。
「でも、ありがとう。
私の代わりをしてくれて、たった一つだけ、本当に感謝しなくちゃいけないことがあるから」
「……どうして──」
生気が抜けて、呆然とするアールから呟くように出される疑問。フィリップは顔を歪ませて目を閉じる。
「だって──」
(そうだ、思い出した)
そうだったじゃないか。
病弱で、気が弱くて、勉強も運動も苦手で、何をやっても平均以下。挙げ句に人前で話すのが大の苦手な人見知り……
けれど誰よりも優しくて、だけど何でも卒なくこなすアールを羨んで……
アールが思い出した言葉と、フィリップの言葉が重なる。
『私は私が嫌いだ』
「私は私が嫌いだ」
もし、フィリップが『自分を夜空に浮かす』ことを望んでいなかったならば……アールの、自分の生きてきた意味とは、いったい何だったのだろう。
「さぁ、来い!!」
兵士二人がアールを左右から挟んで拘束する。
ラークが顔色を変えて叫んだ。
「殿下っ!」
反射的に飛びかかろうとしたラークに、アールは静かに首を横に振る。
「……ラーク」
ラークは「フィリップ」の命令を待っている。この無礼な兵士どもを蹴散らせと。
「生徒会は君に任せた」
それだけ告げて、アールは己を拘束する兵士とともに、護送用の馬車に乗り込む。
ラークが最後に見たフィリップの顔は、酷く生気を失っていた。まるで、自分の命をなげうってしまいそうな、危うさがあった。




