第百五十二話:幼い王子様
孤児院の子供達は、まともな教育など受けさせてもらえず、ろくに仕事も選べない…というのが世間一般の認識だ。
竜騎士団に保護され孤児院に連れて行かれたアールも、自分がこれから暮らす孤児院もそういった環境なのだと思っていた。
だが意外にも、アールが連れてこられた孤児院は想像していたよりずっと小綺麗で、施設内できちんと教育を受けさせてくれた。
「あなた達は、幸運にも選ばれたのです」
それは孤児院の院長が朝食の祈りの前に、必ず口にする言葉だ。
選ばれたとはよく言う。この孤児院に集められた子供達は、比較的容姿に恵まれている子どもが多い。
アールも元々の顔立ちは整っている。右目の傷を前髪で隠しさえすれば、それなりに見られる容姿ではあった。なにより濃い金色の髪は、貴族達によく気に入られる。
つまり、ここの子供達は貴族に引き取られることを前提として集められているのだ。
だから孤児院の大人は、子供達に必死で勉強をさせる。優秀な子どもを出荷すれば、相応の金が孤児院に入るから。
孤児院での勉強は過酷で、出来の悪い子どもは食事を抜かれたり、鞭で手を打たれることもしょっちゅうあった。
そんな環境の中で、孤児院の子供達が結束を固めていたかといえば、そうでもなかった。
むしろ自分が「選ばれた」のだと信じている子供達は競争意識が激しく、告げ口などでライバルを蹴落とそうとすることも珍しくない。
特に、飛び抜けて成績優秀だったアイザックは、年上の子ども達に目をつけられやすかった。
傷物の癖に、お前なんかがお貴族様に選ばれるはずがない、と彼ら彼女らは露骨な意地悪をする。
貴族に引き取られることに魅力を感じていないアールはそういった周囲の声を無視していた。
だが勉学はしなかったというのかとそうでもなく、ただ勉学に打ち込んでいた。
別に良い学校に入りたいわけじゃない。貴族の養子になりたいわけでもない。
ただ、家族を失ったあの日から、他に何をすれば良いのか分からなかったのだ。
だから、空っぽになった心に、ひたすら知識を詰め込んだ。そうしていないと、頭がどうにかしてしまいそうで。
* * *
ある日、アールは院長室に呼び出された。だが、肝心の院長室に院長の姿はなく、ソファにはいかにも貴族な初老の男が一人座っているのみ。
男はアールをチラリと見て口を開く。
「入れ」
威圧感はなかったが、人に命令することに慣れた声だ。貴族というのはえてしてそういうものだが、この男はその中でも格が違う気がした。
「顔を見せなさい」
アールは言われた通りに右目を隠す前髪をかきあげる。
この客人は、どうやら自分に興味があるらしい。恐らく、孤児院で一番成績の良い子どもを引き取りたいとでも言ったのだろう。
(……それでも、この傷を見ればきっと躊躇するはず…)
だが、アールの予想に反して、男は醜い傷痕を見ても眉一つ動かさなかった。
「その程度の傷痕なら、作り替える時にどうとでもできよう」
「…………?」
「髪色と骨格が似ているなら、充分だ。成績も申し分ない」
この男は一体何を言っているのだろう。ただ、得体の知れない不気味さと嫌悪感を感じた。
この孤児院の子ども達は、貴族に引き取られれば幸せになれると信じているようだが、アイザックは本当に幸せになれる者など一握りもいないことを知っていた。
有り体に言って、真面目に子どもが欲しい者は極少数だ。あとは憂さ晴らしの玩具にするか、子を亡くして心を壊した妻の人形代わりになるだけだ。
だが目の前にいる男は、そのどれとも違う気がした。強いて言うならば、最後のパターンが一番近いか。
この男は何か明確な目的があって、子どもを欲しがっているのだ。
男が呼び鈴を鳴らすと、孤児院の院長がすぐさますっ飛んできた。
「この子どもを引き取ろう」
そう言って男が金貨の詰まった袋を置けば、院長は相好を崩して男に頭を下げる。
「ありがとうございます閣下。さぁ、お前からもお礼を言いなさい。アール」
「……閣下?」
いまだ名乗らぬ男に訝しげな目を向ければ、男は静かに名乗る。
「アズノール公爵、ドリーム・ルシファル」
この国の人間なら子どもでも知っている大貴族の名に、流石のアールも言葉を失った。
* * *
アズノール公爵に引き取られることが決められると、アールはその日の内に上等な服を着せられて、公爵の馬車に乗せられた。
まるで、紙が風に飛ばされるような急な孤児院との別れだ。
孤児院に別れを惜しむ相手などいなかったが、アール自身の意思を反映せず、勝手に物事を進めてしまう大人達が腹立たしかった。
馬車の中は公爵とアールの二人きり。公爵クラスの人間にしては、あまりにも護衛が少なかかった。
それだけアールの存在を隠したいということなのだろう。
一体、自分は何をさせられるのか。何のために引き取られたのか。注意深く公爵を観察しながら考え込んでいると、公爵がおもむろに口を開く。
「自分が何かしらの役割を課せられると、理解している顔だな」
引き取られたことを素直に喜ぼうとしないアールのことを、むしろ評価しているような口ぶりだった。
「……僕に、何をさせたいんですか?」
「我が孫の代役を」
「…………孫?」
アズノール公爵の孫と言われて、真っ先に思い浮かぶのは、公爵の娘であるレイン妃が産んだ第二王子、フィリップ・アルト・レティーラ。
第二王子の年齢は今年で五歳。七歳になったばかりのアールと年が近い。第二王子は病弱で、現在は祖父であるクロックフォード公爵邸で療養中だと聞いたことがある。
「……僕に、フィリップ殿下の影武者になれと?この顔で」
アールは右目を隠す髪をかきあげた。右目の上を縦に走る傷痕は、一生消えることはないだろうと言われている。傷口は変色して盛り上がり、化粧で簡単に誤魔化せるようなものではない。
だが、公爵は何も問題ないと言わんばかりの態度でいる。
「顔を作り替える術はある」
「……顔を、作り替える?」
アールは医師の息子。だからこそ、簡単に傷痕が消えるものではないことを知っていたし、人間の顔を弄ることの難しさも知っている。誰かとそっくり同じ顔にするなんて、今の技術では夢のまた夢だ。
だが、公爵の声は不気味な自信に満ちていた。
「いずれ、お前には顔も名前も捨ててもらう。それまでは、フィリップの従者として、アレに成り代わる準備をしておくがいい」
この男は、そうするのがさも当然のように、自分にに顔と名前を捨てろと言う。
だがそのこと以上に、己の孫を「アレ」呼ばわりしているという事実に、アールは嫌悪感を覚えた。
* * *
公爵邸に到着したアールに公爵が真っ先に引き合わせたのは第二王子のフィリップだった。
まだ五歳になったばかりの幼い王子は、人形のように可愛らしかったが、オドオドと怯えたような顔で祖父を見上げている。
「お、おかえりなさいませ、おじいさま……」
そう言ってもじもじと指をこねる孫を、アズノール公爵は無機質な目で見ていた。
あれは相手を値踏みした上で、期待するに値しないと判断した目だ。そういう目をした大人を、アールは孤児院で過ごす一年間で、嫌になるほど見てきた。
公爵にとって、この国の第二王子である孫ですら価値のない存在なのかと思うと、何やら背中が冷たくなっていく。
「今日から、お前付きの従者になるアールだ」
それだけ言って、もう用は済んだとばかりに、公爵はフィリップの横をすり抜ける。
「あ、あの、おじいさま、えっと……」
フィリップは、あたふたと祖父の後を追いかけようとした。だが、そんな孫に公爵は冷ややかな目を向ける。
「新しい従者に屋敷のルールを教えるのが、主人であるお前の役目だ。そんなことも言わないと分からないのか」
「ご、ごめんなさ……あっ、ちがっ、もうしわけ、ありましぇん」
幼い王子が舌足らずに謝罪の言葉を口にすれば、公爵の無表情が初めて崩れた。
幼い孫に頬を緩めるのではなく、不快そうに眉をひそめる形で。
「見苦しい。それでもレインの子か」
フィリップは叩かれたかのように、肩をビクリと震わせ立ち尽くす。
その間に、公爵はスタスタと早足で立ち去ってしまった。
まだ五歳のフェリクスは綺麗な水色の目に涙を滲ませながら、それでも泣きだすのを必死で我慢している。
その姿がアールには、幼くして死んだ妹リアに重なって見えた。リアはもっと小さかったけれど、頼りなさという点ではこの王子様も大差ない。
アールはポケットからハンカチを取り出すと、それをクルクルと丸めてウサギの形にし、フィリップの前で動かしてみせた。
「……あ、うさぎしゃん」
アールはほんの少しだけ口の端を持ち上げ、ハンカチで作ったウサギでフェリクスの目元にキスをする。そこに滲む涙をようように。
「涙は止まりましたか?」
「あ……ぅ……」
フィリップは泣きそうになっていたことを恥じるように、顔を真っ赤にしてもじもじしている。
アールは反対の目に浮かぶ涙も、ウサギ人形でぬぐってやった。
「他に作って欲しいものはありますか? 猫か花なら、すぐに作れますが」
「……わたしでも、できる?」
リアが生きていたら、こんな感じだったのだろうか。言いきれない後悔と懐かしさの温かみが、アールの胸の奥に燻った。
(あぁ、そうだ。僕はリアに……もっといろんなことを、教えてあげたかったんだ)
家族を失った日から抜け殻みたいになっていたアイザックに、その時初めて、やりたいことができた。
──この幼い王子様を笑わせてあげたい。
青色の目をキラキラさせてこちらを見上げるフィリップに、アールは久しぶりに作り物ではない笑みを浮かべた。
「お教えしますよ、フィリップ様」




