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無情の魔術師  作者: 情緒箱
第十三章:真相編
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第百五十一話:ただの不運

フィリップ(偽物王子)の過去編入ります。

 アール・クラナータはレティーラ王国東部の小さな町の、医師の息子だった。

 温厚で優しく、町の人間から慕われている父。美人と評判で料理上手の母。まだ一歳にもならない妹のリア。そして六歳になったばかりのアールの四人家族は、少しばかり裕福な、どこにでもいる平凡で幸せな家族だ。

 そんな平凡な幸せが崩れた日のことは、今でも鮮明に覚えている。


 あれは年に一度の大祭の日のことだった。


 父と母と幼い妹と、家族みんなで祭りに出かけたアールは、串焼きを買ってもらってご機嫌だった。手や口をベタベタにして串焼きを頬張ると、父が苦笑まじりにハンカチで口を拭ってくれる。


「アール、串は縦じゃなくて横に持つといいんだ」

「はぁい」


 アールは父に言われた通りに串を横向きにしつつ、母に抱かれながら、アールの持つ串焼きに手を伸ばす、幼い弟を見上げた。


「串焼き、とっても美味しいよ。リアも食べるかな?」

「ふふっ、リアに串焼きはまだ早いわよ」


 幼い弟相手にお兄ちゃんぶりたいアイザックが串焼きを上に挙げるも、母に止められてしまった。それを少しだけ残念に思いつつ、リアがもう少し大きくなったら、串焼きを分けてあげようと誓う。


 ─その時、遠くの方で鐘の音が聞こえた。祭りとは関係のないその鐘の音は、非常事態を知らせるものだ。

 カァン、カァン、という暴力的な音の合間に誰かの叫び声が聞こえた。


「竜だ! 竜の群れが町に!!」


 * * *


 先ほどまで笑いに満ちていた町は、たちまち悲鳴とどよめきに支配され、恐慌状態に陥った人々は我先にとその場を駆け出していた。


「来なさい!」


 父がアールの手を引き、母は幼いリアをしっかり抱きしめて走り出す。

 アールの手からポロリと落ちた串焼きは誰かに踏まれて、たちまち見えなくなった。


 町を襲ったのは地竜の群れだった。飛行能力は無い代わりに飛竜よりも鱗が硬く、足も早い。おまけに群れになると手がつけられない凶悪な竜。常駐の警備兵がどうにかできる相手ではない。

 大した軍事力もない町はたちまち壊滅状態になり、大勢の人間が死んだ。


 その日からアール達は町の端にある避難所で過ごすことになったが、医師である父は怪我人を治療するべく、前線へ赴くことになる。


「お父さん、大丈夫なの? まだ竜がいるんでしょ?」


 不安がるアールに父は穏やかな声で、竜の群れは殆どが町の外に移動したことを教えてくれた。

 それでも、町の中には群れから逸れた竜が数匹残っているのだ。おまけに、王都の竜騎士団もまだ到着していない。


「お父さん、ダメだよ、危ないよ」

「父さんはお医者さんなんだ。怪我している人がいるなら、行かなくてはいけない」


 父は大きな手で息子の頭を撫でて、優しくも絶対に譲れない思いがその言葉に込められていた。

 父は穏やかに笑いながら言う。


「アール、父さんがいない間、母さんとコリンを守ってくれるかい?」


 アールは泣きそうになるのを堪えて、強く頷く。


「うん、できる。できるよ。だって、ぼく、お兄ちゃんだから」

「良い子だ」


 父は力強く笑い、白衣の裾を翻して避難所を後にする。


 父が崩壊した家屋の下敷きになり、帰らぬ人となったのは、その翌日のことである。


 * * *


 父の死に母は嘆き悲しんだが、息子のために速やかに荷物をまとめ、町を出る支度をした。

 乗り合い馬車には人が殺到していて、誰もが我先に馬車に乗り込もうと押し退けあっている。アールと母が馬車に乗れたのは、順番を待ち続けて二日が経った頃だった。

 ようやく乗り込んだ馬車は座席もない幌馬車で、人が重なり合うように、ぎゅうぎゅう詰めになっている。隣に座っていた中年の男が少し腕を動かすたびに、肘がアイザックの頭にゴツゴツと当たって痛い。


 馬車の中でジッとしながら、アールは父のことを思い出して泣きたくなるのを堪えていた。

 本当はわんわん泣いてしまいたい。でも、自分はお兄ちゃんだ。母と弟を守らなくてはいけないのだから、こんなところで泣いているわけにはいかない。

 だが、周囲の不安が移ったのか、あるいは空腹なのか、母の腕に抱かれている幼いリアが、グズグズと泣き始めた。


「まぁリア、どうしたの? お腹が減ったの? ごめんなさい、もう少し、もう少しだけ我慢して」


 母はコリンを一生懸命あやしているが、か細くしゃくり上げる声は次第に大きくなり始めている。このままだと、火がついたように泣きだすのは時間の問題だ。

 アールはポケットからハンカチを取り出すと、それをクルクルと丸めて端をピンと引っ張った。


「ほら、コリン。ウサギさんだよ」


 即興で作ったウサギの人形をコリンのそばでヒョコヒョコ動かすと、リアの意識がそちらに向く。

 リアは人形のウサギに小さな手を伸ばし、キャッキャと笑っていた。

 アールはひとしきり弟をあやしてやると、ウサギの人形で弟の頬にキスをする。


「次は何を作ろうか?お花かな?それともお馬?」


 コリンは涎だらけの口を動かして「うーまぁ」と繰り返した。

「お馬さんが良いのか。よぉし、頑張るから、そこで待っててね」


 ハンカチで馬を作ろうとアールが試行錯誤していると、唐突に馬が激しく嘶き、馬車が大きく揺れた。

 傾いた馬車の端で押しつぶされた者が悲鳴と罵声をあげるが、それをかき消すように、獰猛な鳴き声が響き渡る。


 その鳴き声が何を意味するか、この場に知らない者はいない。


「……竜だあぁぁあっ!」


 誰かが叫んだ瞬間、馬車が大きく横に揺れて倒れた。竜の尾が馬車を横薙ぎにしたのだ。


 馬車の中の人々が重なり合い、悲鳴をあげる。下敷きになった者の中には、首が変な方向に曲がったり、頭から血を流したりして動かなくなった者もいた。

 アールの母もだ。


「お母さんっ、お母さんっ!!」


 アールとリアを抱きしめて庇った母は、頭から血を流していた。おまけに足首が赤黒く腫れている。

 それでも母は、泣き言一つ言わず、リアをアールの方に押しやった。


「リアを、連れて……逃げ、なさい」

「お母さんも、一緒に……」

「ダメ、足が、動かないの……はや、く……」


 アールはリアを抱きしめながら、途方に暮れた。アールは賢く分別のある子どもだったが、それでもまだ甘えたい盛りの六歳なのだ。


 父親を亡くしたばかりの幼い少年にとって、母を見捨てて逃げるという選択肢はあまりにも酷だった。


「やだ、やだ、やだぁ……っ」


 泣きじゃくるアールの腕の中で、リアがわんわんと泣きだした。


 ──その時、馬車に大きな穴が空いた。


 竜がその鋭い爪を馬車に振り下ろしたのだ。


 無造作に振り下ろされた巨大な爪の先端が、母の体を抉るのを、アールは見た。

 その瞬間、彼は考えるよりも早く足を動かしていた。

 母の亡骸に背を向けて、幼い弟を抱きしめて、横倒れになった馬車から飛び出す。

 馬車の外はまるで悪夢のような光景だった。馬車を囲う三匹の地竜。茶色い鱗に覆われたその生き物が無造作に爪を振り下ろすたびに、血飛沫が舞う。


 丸太より太い足下では、踏み潰された人々が苦悶の声をあげていた。


「あ、あぁ、あ、う、ぁああああああああ!!」


 アールは竜と竜の隙間を縫うように逃げようとした。だが、そんな幼い少年に竜は無慈悲に爪を振り下ろす。


 アールはギリギリでそれをかわそうとするも、竜の爪の先端が無情にも顔の右半分を抉った。


「っぁあああああああ!!」


 激痛、痛い、目が開けてられない、ボタボタと垂れる血が幼い弟の顔を汚す。


「あっ、ああっ、うわぁあああ!」


 弟を抱きしめて悲鳴をあげるアールの背中を、竜の尾が強かに叩く。


 そこで、アイザックの意識は一度途絶えた。


 * * *


 血塗れで倒れるアイザックの肌を雨の粒が濡らした。周囲に漂う死臭と血を、雨が洗い流していく。


「……リア……リア……」


 アールは途切れそうになる意識を懸命につなぎ止めて、幼い弟を胸に抱く。

 少しでも、リアが濡れないようにと、短い腕を伸ばして。


「……ぼくが、守るから…………ぼくは、お兄ちゃんだから…………」


 遠くから蹄の音が聞こえた。それも複数。

 あぁ、きっと竜騎士団だ。竜騎士団が来てくれたのだ。

 頭上で大人達の声がする。


「酷いありさまだな……」

「地竜の仕業と聞いたが……この辺に地竜は生息していなかったはずでは?」


「恐らく帝国の竜が、国境を越えて来たのだろう」


「これは、生き残りは……絶望的だな……いや、待て、あちらから声がする!」


 アールの掠れた声を聞きつけた騎士達は、すぐにアールを抱き起こしてくれた。

 あぁ、これで助かる。自分はなんとか幼い妹を守ることができたのだ。

 アールは朦朧とした意識の中で淡い達成感を得ていた。


「……兄の方はかろうじて生きているが……」

「あぁ、妹の方は……」


 その時、アールはようやく気がついた。

 腕の中のリアの体が冷たくなっていることに。もう、随分前から泣き声が聞こえなくなっていたことに。


 まだ幼い妹が、野ざらしにされて、数日も生き残れるわけがない。赤ん坊はか弱いのだから。

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