第百五十話:小説家の妄想
夜のその街は、モナカが以前訪れた時以上に賑やかなものだった。
春というのは人々が浮かれた季節であるようで、街ゆく人々は皆何かに期待したように弾んだ気持ちで貨幣を握りしめている。
モナカは僅かな記憶を頼りにそんな人々の間を縫って歩いていた。
そうして狭い路地を歩いていった先にあったのは『猫書店』と書かれた看板。
モナカはスーハーと一度だけ深呼吸をし、書店の扉を開けた。カランと乾いた鈴の音は、街と変わらず以前も聞いた音である。
薄暗い店内には等間隔に並べられた本棚がある。扉からすぐ先には本棚に挟まれたカウンターが見える。
店内に他の客の姿はなく、カウンターでは店主のポーターが以前と変わらぬ姿勢で書き物をしていた。
褐色黒髪のポーターは、南国の方の血を引いているのか歳は分かりづらい。だが、モナカの父と同年代と言われれば納得できる容姿ではあった。
「こんばんは」
モナカが声をかけても、ポーターは文字を綴る手を止めない。眼鏡の奥にある黒い目は、紙面をひたりと見据えたままだ。
だが、モナカの声が届いていない訳でもない。サラサラと羽ペンを動かしながら、ポーターは億劫そうに口を開いた。
「思ったりより早かったな。昔から小説に興味がなさそうなお前だったから、もう少しかかると思っていたんだが」
「『真実の聖杯』…お父さんの真実を、聞かせてください」
ポーターは羽ペンを動かす手を止め、やっとモニカを見上げた。
少しだけ隈の浮いた目が気怠げにモナカを映し、不満げに呟く。
「ミステリーというのは、伏線や前座のような土台が大事で、そう率直に核心に触れるものではないのだがな」
ポーターは羽ペンをペン立てに戻すと、インクで黒く汚れた手を手布で拭いた。
「適当なところに座るといい。昔話をするなら、ゆったりと感傷に浸っているほうがいい」
座ってくれと言われても、書店には店主が座る椅子以外に椅子は見当たらなかった。モナカは辺りを見回し、小さめの足台を見つけると、それを椅子がわりに腰を下ろす。
ポーターは店の奥にあるらしい小さな居住スペースに引っ込み、しばらくすると盆を手に戻ってきた。盆の上に乗っているのは2つのカップとポット。
「悪いがウチはコーヒー以外を取り扱っていなくてな。コーヒーで我慢してくれ」
ポーターはコーヒーをカップに注いでモナカに差し出す。
ポーターはカウンター前の椅子にドサッと腰を下ろすと、コーヒーを一口すすって息を吐いた。
「さて、どこから話したものか………『レオンハルト冒険譚』は、もう読んだのか?」
「す、推理の部分だけで…」
左手で持つカップを傾けるポーターの左目が引くついた。
ポーターは右手でしわの寄った鼻を押さえると、不機嫌そうに口を開く。
「ミステリーとしては本題の部分ではあるが、作者としてはそれ以外の部分も読んでほしかったものだな」
「す、すみません……小説は、読むの苦手、で…」
「それで、それを読んだ感想は?」
『レオンハルト冒険譚』新作七巻、第十三章「レオンハルト・メモリーと真実の聖杯」のあらすじはこうだ。
情熱の国を訪れたレオンハルトは、その王国の後継者問題に巻き込まれることとなる。
その国には真実の聖杯なる国宝があったのだが、その真実の聖杯が何者かに盗まれてしまった。そこで国王は三人の息子と娘に、その真実の聖杯を見つけ出した者を王にすると告げる。
しかし、それを隠したのは他でもない、国王候補として最も有力視されていた第一王子エイラトールだった。
真実の聖杯は、魔力を捧げることで真実の如何が赤く示される神秘の秘宝。
しかし、エイラトールは王妃の不義の子で、王の子ではなかった。故に、その事実を隠すべく真実の聖杯を盗み出したのだ。
その真実に気づいたレオンハルトが、王女アイリーンと協力して隠された黒い聖杯を見つけ出し、王に差し出す。
* * *
聖杯のうえに浮かぶ純白の水晶は真実そのものを具現化させたような白だった。
その杯に王女アイリーンが己が魔力を捧げると、純白の聖杯は内部から跳ねるように深紅が躍動し、純白の水晶を塗りつぶす。
国王はそれを見届け、声も高らかに告げた。
「王女アイリーンよ、黒い聖杯を真紅に染めたそなたは正しき王の血を引く者であると証明された。
さぁ、反逆の王子よ。お前もその血をもって、己が王家の者であることをここに示すがいい!」
* * *
結果、王妃と別の男の間に生まれた不義の子であるエイラトールは、己が魔力をもって偽りの青碧を示し破滅する─というのが大筋の流れ。
だが、モナカにとって重要なのはストーリーでもキャラクターでもなく、真実の聖杯の役割だ。
この話の中に登場する真実の聖杯の元ネタは、対象の魔力に反応して変色するような、一種の魔導具ではないかとモナカは考えた。
そして、この真実の聖杯こそが、モナカの父ヴェルネ・モネが処刑された理由。
「……お父さんは、この『黒い聖杯』を、作ろうとしたんですね?」
モナカの父は、魔力による遺伝構造・情報の研究をしていた。
人間の魔力─具体的に言えば得意属性や魔力量などは、親から子に遺伝する。
得意属性は必ず両親どちらかのものが得意属性となるし、両親の魔力量が多ければ、子の魔力量も多くなる。
そのメカニズムを父は解析しようとしていた。
「正確には、お父さんが作りたかったのは、この黒い聖杯を模した、遺伝情報を読み取る魔導具だと思います。採取した血液を分析、解析することで、遺伝的な病気の有無や血縁関係などを調べることができる……という」
それは、遺伝的な病気の治療や、古代の生物を再現することに利用できる有益な技術だ。
だが、この研究内容を見たとある人物は「反逆の王子」と同じことを考えた。
──血縁関係を調べることができるようになったら、国王と第二王子が血縁関係ではないことがバレてしまう。
だから、その人物─アズノール公爵は裏から手を回し、ヴェルネ・モネに罪を被せて処刑したのだ。
全ては、フィリップ・アルト・レティーラという偽物の王子を国王にするために。
モナカは両手でコーヒーカップを握りしめ、足元を睨みつける。そうしていないと、自分の中にある激情に飲み込まれてしまいそうだったのだ。
自分の考えを述べたモナカは静かに俯き、ポーターは淡々と告げる。
「真実の聖杯の元ネタは、お前の言う通りアイツの魔道具だ。ではどうして真実の聖杯にしたかというと、それは1年前にミ─」
「ポーターさん」
モナカに言葉を遮られたポーターは驚きに眉を上げる。モナカはカップのコーヒーを飲み干すと、ポーターを見据えて口を開く。
「……ポーターさんは、何をどこまで、知っているんですか?」
ポーターは、何故モニカの父が処刑されたのか、理解しているような口ぶりだった。
つまり…彼は知っているのだ。今、フィリップ・アルト・レティーラを名乗っている第二王子が偽物だということに。
だが、ポーターはアールが第二王子であることを、知っていたのか否か?
ポーターの手元の燭台の小さな火が、ゆらりと揺れて彼の陰鬱な顔を照らし出す。
「『全てを』とでも言えば……全てを知りながら親友のために何もせず、傍観していた僕を、お前は軽蔑してくれるかな?」
ポーターの声は静かで、淡々としていたが、その言葉尻にも奥底にも僅かな罪悪感が滲んでいた。
モナカはと首を横に振る。
「…いいえ。何もできなかったのは、私も同じです」
「『何もしなかった』と『何もできなかった』は意味が違うんだ。
当時幼かったお前と、全てを知っていた大人の僕とでは、事情が違う」
「…アズノール公爵の権力の前では、大人も子どもも大差ない、と思います」
ポーターは本当に何もしなかったわけではないのだろう。少なくとも彼は彼なりに動いて、親友の死の真相を探るべく情報収集をした。
だが、そこで辿り着いた真実を前に、彼はきっと、立ち尽くすことしかできなかった。
『第二王子は偽物だ。それを隠すためにクロックフォード公爵は、自分にとって都合の悪い研究をしていたヴェネディクト・レインを処刑した』
……そんな突拍子もない話を、誰が信じてくれるだろう。
「親友が死んだ原因の王子が、身分を隠してこの店を訪れた時は驚いた。あぁ、そうだ。驚いたけれども、僕は何もしていない。何もしなかったんだ。
ただ、傍観者のままだった。きっと死ぬまで、僕は生涯傍観者のまま、こうして己の妄想を紙に書き散らして生涯を終えるのだと、そう思っていたある日…」
眼鏡の奥の黒い目が、ひたりとモニカを見据える。
「お前とあの偽物王子が引き合った。何の因果か、親友が死んだ原因となった男が、親友の娘を連れてきたんだからね。なんて悪夢だったか」
その時、初めて彼は自らの意思で動いたのだ。
咄嗟に原稿用紙の端に、暗号めいた文字を綴って。それを、本の奥に挟み込んで。
「…ポーターさんは、すごい、です。一人で情報を集めて、推理して、ここまで辿り着くなんて……」
ポーターはギロリとモナカを睨みつけ、まるでナイフの切っ先でも突きつけるかのように、羽ペンの先端をモナカの眉間に突きつけた。
「ふざけるな。こんなのは推理でもなんでもない。証拠も何もない、ただの小説家の妄想、妄言だ。
いいか、お前は僕の根拠もへったくれもない妄想を聞いているんだ。
……だから、無謀にもアズノール公爵に楯突こうとは思うな」
それはおそらく、不器用な彼なりの気遣いだ。
だが、隣国の皇帝と約束を交わしたモナカはもう、傍観者でいることはできないのだ。
モナカが何もしなければ、この国は帝国と戦争になるか、あるいは内乱で滅茶苦茶になる。
モナカ己の眉間に突きつけられるペン先を見つめながら、口を開いた。
「私は、お父さんが処刑されるのを、ただ見ていることしかできませんでした」
お父さんは悪くない、という言葉は喉に貼りついて、モニカは声を上げることもできぬまま、ただ父が焼かれて息絶えるのを見ていた。焼かれる父の姿と本の中をただ見ているだけしかできなかった。
「私に何ができるかは分かりません……けど」
モナカは無詠唱で風の魔術を行使する。
ポーターの指の間から羽ペンがするりと抜けて、一人でに宙をクルクルと回り始めた。ギョッとするポーターに、モナカは静かに告げる。
「あの頃のわたしより、できることがあると、思うんです」
ポーターは眼鏡の奥の黒い目を見開き、「……まさか」と呟いて羽ペンとモニカを見ている。
どうやら彼は、フィリップの正体こそ知っていたが、親友の娘のその後までは知らなかったようだ。
モナカは宙に浮いた羽ペンを摘み、ぎこちなく、自分に勇気を出すように笑ってみせた。
「だって、私は…『沈黙の魔女』だから」




