6.欲情
「久しぶりだな」
雨の音以外は何も聞こえない屋上。傘を差しながら、琴音の姿をした"何者か"に話しかける。
「コングラッチュレーショーン! お赤飯でも炊きたい気分だニャ」
「……ありがとう」
多分にゃんこは、琴音を通して僕たちのことを知ったんだろう。僕はそう納得した。
「お互い名前で呼び合うニャか……いいニャー、青春って感じだネ」
この腹黒猫から青春なんて言葉が出るとは思わなかった。
「悠馬の事ならなんで知ってるかなんてだいたい察しはつくと思うけど……ネ、鷲ちゃんは私に伝わるぐらい、そして親のことも忘れるぐらい、あなたにゾッコンネ! うらやましい限りだニャ」
にゃんこの口からそういわれると、僕も信じる気にはなる。
「でも、この体を悠馬のモノにされるのネ……あぁ私の全てを悠馬に見られるニャァ……」
恍惚とした表情すら浮かべ始めたにゃんこを無視して僕はこの屋上の唯一の屋根へと向かう。
「あぁん待ってよぉー」
「黙っとけ」
一言で制すと、扉を開き中に入る。
道中買ってきたペットボトルの口を開き、一口口に含む。渇いたのどが潤う。
「お前と琴音って、同じ体だけど正反対の性格だよなほぼ。ファンタジーな小説の読みすぎかもしれないが、お前らはなんというか……光と影? みたいな。表裏一体というか一心同体とかそういうものなのか?」
「……違うニャ」
「じゃあお前と琴音との関係はなんだ?」
「……私にもわからないわ」
彼女はかすかに視線を上にあげながら、参った参ったと、そんな感じに言葉を放つ。
「彼女は疫病神、っていったよネ。実際は彼女の今の強い気持ちが、この世界に表れてると言っていいのかニャ? 彼女の気持ちが弱くなれば弱くなるほど、彼女の周りの世界も悪くなる。逆もまた然り……ニャ」
「つまり、前までは親という負の心を持って、その上僕との関係もあって……心はどんどんと沈んでいったのか」
「そうニャ。今はその逆ネ。悠馬との関係が心の底からうれしいんだろうニャ」
「照れるな」
本心だ。
「……だから、今の彼女は疫病神じゃニャい」
「……つまりはしばらくは安心していいのか?」
「そうだニャ……少なくと悠馬と絶交していた時よりは数十倍、ましになるニャ」
……何で知ってんだろう。僕と琴音が絶交してた時の、琴音の"症状"のことを。それとも、にゃんこなりの推測だろうか?
僕はまたペットボトルを口につける。
そういえば、と僕は鞄をごそごそとあさる。
「……ニャんだそれは? 霧吹き?」
ご名答。僕が持っているのは霧吹きだ。そう答える代りに、彼女に向って霧吹きのノズルを引く。
「ニャ! ニャ! ニャにをするんニャ!」
答えてやろう、この水にはマタタビの成分が入っているんだ! ――言おうと思ったが、彼女は水をかけられそれどころじゃないほどパニックだ。雨でぬれてるというのに。
「ニャ! ニャ! これは! ンニャァァァア……」
口から出る言葉といい、行動といい、猫だ。背中を地面に擦りながら四つん這いになってる。……何とも言い難いが、かなりエロティックだ。琴音が、そんなことをやっているという背徳感というか、珍しさが、際立たせる。
「なんか、フワフワするニャ……」
シワクチャになった服を軽く整える。マタタビといっても効果はこれぐらいか。そう思った瞬間に、僕のさっきまで飲んでいたペットボトルを半ば奪うように取っていった。
「おい、返せよ!」
「のどが……渇くニャ」
そのまま、僕のペットボトルに口をつけ、目にもとまらぬ速さでペットボトルの中身は消えた。もはや蒸発といった方が良い域だ。
「アハハ! 智也と間接チューしちゃった!」
あ、だめだこいつ。そう思った時にはすでに僕の中では後悔の念による心の侵略が始まっていた。しかしながら、琴音がこんなことやっていると思うと、心の中の後悔は少し治まってきてはいる。
「落ち着けよ……」
琴音とこいつとの似たところは、姿形だけでなく何かに酔ってる時の行動もではないか?
先ほどとは違う、顔を赤くして、自分の本心から酔っている、そんなうっとりとした表情。背中がゾクゾクとしてきた。何せ僕の後ろはドアじゃなく壁だ。
彼女は無言でじりじりと近寄る。瞬間を切り取ったら、どう考えても殺人事件現場だ。
にゃんこが僕の肩を掴む。
「智也。大好きニャ」
人生にモテキは三度あるという。今年は、そのうちの一年の一つだろう。
しかし、その唇の味は既視感があるものだった。




