4.怠情
掛川の話を反芻しながら、消化の悪い話はいつまでも僕に気持ち悪さを与えていた。そして学校の前の十数段の階段を魂の抜け殻のような雰囲気でいつものごとく通り抜ける……はずだった。
急にあたりが静まり返り、活気の消えた校舎前。周りを見渡すと、皆が足を止めている。
時間が止まった? 僕は口に出さずに問う。それと同時に原因も見つける。
鷲だった。最後の階段の足場を踏み外し、滑った足はほぼ真上を向き、このままだと階段を転がり落ちるだろう。僕は駆け寄り、彼女をお姫様抱っこの要領で支える。すぐに時は動き出した。
「きゃっ!?」
彼女はちょっとした悲鳴を上げた後、数秒自分の状況を確認しているのか、目をぱちくりさせている。そして僕の顔を見るなり
「あ、その、ごめんなさい……」
と野良猫のように階段を駆け上がり学校へと入ってしまった。
わずか数十秒の出来事を僕はただただ立ったまま見つめていた。
「嫌われちまったのか」
僕はこれ以上ないぐらいの勢いで人生が減速していく様を感じていた。
天気予報は今日の午後から雨となっていたが、天は僕を嘲笑うかのごとく、雨をいきなり降らせていた。
午前の授業はほぼテスト返しだ。正直、これに関してもう何も言うことは無い。彼女が勝つか、僕が勝つか、はたまた第三者が勝つか。その三択だ。
「今回英語B難しくねぇか? 1年の期末より範囲が広かったからか」
「そうか? 一年の時の期末より一点だけだったが高いぞ、僕は」
「俺は12点も落ちたよ……53点だよ。お前は?」
「97だ」
「これに関しては、お前はすごいとしか言いようがないな。というか、お前一年の時からそんなに頭よかったのか……才能って怖いな」
「努力だ、努力」
至って普通の会話だった。
右側に視線をそらそうとしてもびくともしない。眼球を鎖でつながれたの如く。鷲の点数は何点だったのか、非常に気になるのに。
暇になると、彼女について考えるようになった。なぜ彼女は親について知られるのが嫌だったのだろうか。仮に親について知ったとしても、別に彼女が不利になるということはあまりないと思うが。僕はいつまで考えても、彼女が僕を、掛川を相手にしない理由がわからない。
僕はのらりくらりと思想をさまよっていた。生きた屍は昼飯も食べず、ただただ屋上へとつられるように登って行った。
少し早めに終わった授業。僕は12時ちょうどのチャイムを聞きながら何をするわけもなく、雨の中いつもの場所で座っていた。ここなら彼女のことが少しはわかると思ったからなのだが、全然わかることは無かった。
キー……。しばらくして、錆びついたドアの音が雨の中かすかに聞こえた。この屋上に上る人は、僕の知ってる限りだと一人だ。
いつも二人でいるドアの上の小さなスペースへと彼女が上る音がする。僕はどうすることもできなかった。だんだんと傘が見え、彼女の顔が見える。僕と視線が合う。やっぱり彼女は逃げるように走り出した。
「ちょ、待てよ!」
彼女はドアのところでもたもたとしていたが、一歩手前で僕が伸ばした腕を交わした。そして彼女はそのままのスピードで階段に突入した。
「おい待て! 待……!」
僕の言葉に反応するかのように、彼女は止まった。不自然に。時が止まったというのか。一日に複数回止まることはたぶん初めてだ。
僕は彼女の足元を見る。今朝とは逆に足を滑らせていた。鷲はかなりどじっ子なのだろうか。
僕は彼女の手をつかむ。やはりすぐに時は動き出した。
「きゃっ!?」
朝聞いたような声をまた出す。手に何か感触があることに気付いたのか、彼女はゆっくり後ろを振り返る。一瞬目があったと思ったら刹那ののうちに彼女は声にならない声とともに僕を突き飛ばした。不意だったうえに、多分彼女の本気を真に受けて、僕も手を放した。その隙に彼女は階下へと走って行った。
「……ダメだよな。ダメだよやっぱり」
一人階段にへたり込んでは、行動を反省した。僕の頭はもう空回りしすぎて、ネジが飛びそうだ。後悔先に立たずとは言うが、冷静に考えてみれば僕の行動はもう奇人のそれに近い。これでは状況が悪くなる一方だ。
僕はそう考えながら、一人階段に座り、涙を流していた。




