9.てんじょう
緑のソファーは父が昔の本当の母親と一緒に買った最初の家具らしい。ボロボロで、いたるところに傷が着き、それを直したような跡。愛着が湧いているのか、大事な思い出なのか、このソファは僕が生まれてから置いてある家具の一つだ。
そのソファに腰かけた彼女。下座だからなのだろうが、ちょっと気まずい。父は「いつも家を留守にする俺が上座に座るのは申し訳ない」とドアの入り口近く、窓にも近く非常に明るい位置に椅子を置いた。
「悪い、隣の椅子に移ってくれないか?」
彼女は動きで返事を返した。
食器棚から客人用のコップを持ち、氷を入れる。冷蔵庫からウーロン茶をだし、コップに注ぐ。
鷲の目の前に座り、コップを彼女の前に置く。
「なんか話でもあるのか?」
いきなり彼女にとって図星に等しい質問を投げかけた。彼女は挨拶に困っているようだ。黙ってうつむくだけの彼女に次の質問を投げかけた。
「そういや、昨日の放課後どうしてた?」
彼女にとって昨日の放課後に、どのような景色を見ていたのか。彼女はうつむいたままだった。
外では、庭の一本の木が揺れている。風が吹いてきたのか。
渇いたのどにウーロン茶を流し込む。すると彼女が話し始めたので、ウーロン茶を喉に詰まらせそうになった。彼女はうつむいたままだった。
「私が聞きたいよ。放課後何があったって」
彼女はカバンの中から一本の折り畳み傘を取り出した。僕のだった。
「なんで、私は國定君の傘を持ってるの?」
彼女が話したかったことはこれか。十中八九、というか今日は予想がそのまま通ることが多い。
「おま……鷲は昨日の放課後を覚えてないのか?」
ふるふると彼女は首を動かす。彼女はうつむいたままだった。
「時々、雨の降る夕方。私は記憶がなくなるの。不思議でしょ?」
彼女はやっと顔を見上げる。まっすぐな瞳がこちらを突き刺し、あわててコップに口をつける。
「そうか、放課後の記憶のない間に僕にあったと予想して、放課後に鷲に何が起きたかっていうことを教えてくれってところかな?」
「……國定君は言わなくても何でも分かるの?」
「ただの予想だ。後ろの道を振り返れば、前の道がいきなり曲がりくねりださない限りある程度は予想できるもんだ」
「……難しそうだね。でも、前も後ろも道じゃないこともあるんじゃないかな?」
「いや、絶対僕の前にも後ろにも道はある。だって道しか通らない」
彼女は少し笑う。
「なるほどね。で、國定君の解答は?」
「答えていいのかな? 後悔しないと、そう約束するなら言おう」
「なんか怖いね。でもいい」
彼女の表情はだんだんとキリリとしてきた。僕はそれを察し、彼女に昨日のことを打ち明けた。屋上でのこと、屋上での話。包み隠さず、一つも嘘は言わず。
「私が疫病神……」
「あのニャンコは言ってた、そうやって」
語尾がやけに猫くさかったのでニャンコという呼称を統一した。
彼女は先ほどと同じように俯いた。心当たりでもあるのか。
「でも意外だな。僕は君に別人格があるだけで驚くとは思ってたけど。冷静だな」
「少しはわかってたことですから。それでも、内心驚きはありますけど」
表情はいつものそのものだ。
「ありがとうございます。お話してくれてありがとうございます。とっても大事な話なのに」
「お前にとっても大事な話だろ? 話すのは当たり前だよ」
「ありがとう……ございます」
「あともう一つ言おう。また態度がよそよそしいぞ? 昨日のホームルームぐらいガッツリ来なきゃ」
ずっと気になっていた。昨日のホームルーム、その前日の屋上では砕けた口調でしゃべっていたが、今日に限ってまた妙に他人行儀である。
「そ、そうね……でもなんか先輩方と話してる姿を見ると國定君も先輩に見えてさ」
「まぁ実質先輩なんだが。一年留年してるようなやつを先輩と思わない方がいいぞ」
「そうですか。話は大きく変わります……変わる? けど?」
なんか会話がいきなりぎこちなくなったぞ。
「テストの結果どうだったの?」
「予想は何位だと思う?」
「10位とか。留年してるって言ってもしょうがないことだったんですしね。しかも小春先輩が信頼を置いてるように見えますし、結構頭が良いって予想です? だよ?」
彼女はもしかしたら自分から意識的にがっつりと人と絡むのは苦手なのかもしれない。
「鷲は何位だった?」
「791点で二位でした。いつも一位だったのに、すごい頑張った人でもいるんのかな? 私も頑張らないとなぁ……」
「すごい頑張ったとは限らないぞ、もしかしたら新たな刺客かもよ」
にやにやしながら彼女を見ると、彼女は獲物を見るような眼で僕を見る。
「國定君、まさか」
黙って先ほど掛川からもらった紙を差し出す。彼女はもう一瞬でいろいろな表情を表す。小春みたいだ。
「打倒國定、そんな目標を今立てました」
「毒だけは盛らないでくれよ……」
以降、くだらない会話を繰り広げいていた。鷲に何か一歩近づいた、そんな日だった。




