八
「では、行きましょうか。管制塔から許可が下り次第出発です。あなたたちは何もしないでよろしい。ワン、ツー、スリーで行きますからね」
管制塔ねえ。飛行機みたいなもんか。
「本当に一瞬のトラベルですよ!偉大なるエニシに感謝!」
(ねえ、ちょっとワクワクしない?)
(……お前、状況をちゃんと理解してるか?)
(……でもさ、なんか楽しそうじゃない?近未来に来たみたいな感じで。だって、これはつまり瞬間移動よ!)
(お前は心持ちが楽でいいな……)
さっきからずっとコイツらが怪しくて、恐ろしくて……
一体何なんだ?「存在しない世界」?バグ?そもそも「技術の狩人」って?そんな名前言われても、怪しさマシマシなだけじゃないか。
「それでは、行きましょうか」
そういって、「技術の狩人」の二人は俺を手招きする。……仕方ない、行くしかない。俺は心の準備を万端にして、彼らの方へ向かった。
******
あれは、あの日のことだった。
世界が、ほんのわずかに軋んで、角度を変えたような……そんな気がした。
彼の名は、雨宮縁。
縁は、誕生の瞬間から異常だった。
物心つく前から記憶力は常人の域を超えており、日常会話を構造的に解剖し、発語よりも先に論理を口にしたなんて話が残っているほどだ。
3歳で九九を完全にマスターし、4歳で素因数分解を理解。5歳には、導関数と偏微分を直感的に扱い、「関数は滑らかな崖で、微分はその崖の傾きなんだよ」と独自の解釈を披露。微分の概念を語る息子の姿は高校の数学教師であった父親の度肝を抜いた。 7歳になるころには、家にあった古いLinuxサーバを解析し、root権限を取得。家庭内ネットワークを完全に掌握し、父親のスマート冷蔵庫を意図的に誤作動させたことで、最初の「倫理的指導」を受けた。
だが、彼の天賦の才は数学にとどまらない。
8歳の誕生日に彼が望んだのは、任天堂スイッチでも最新の日曜戦隊ものの光る剣でもなく、「単体起動可能なx86マシンと、任意のブート環境」だった。
「この子の言ってることがまるで分からない」
父親の嘆きだ。彼が半ば冗談のつもりで与えた古いThinkPadに、縁はUbuntuをインストールし、ターミナルに触れるなりほくそ笑んだという。
その夜にはPythonのlambdaとlist comprehensionを完全に理解し、翌朝にはC言語で自作のメモリリークを発生させて遊んでいた。
ネット上では、「AmemiyaEdge」の名で知られるようになる。
匿名技術フォーラムに投稿された彼のコードは、既知の暗号化アルゴリズムに対して致命的な脆弱性を指摘し、学術界を揺るがす小波となった。
わずか10歳でZero-day脆弱性を複数報告し、複数のセキュリティ企業から非公式に「協力者」として接触を受けていたという記録もある。
自然言語処理(NLP)への関心も強く、自作の対話型エージェント「MAE(Memory-Augmented Entity)」は、当時の会話型AIを凌駕する会話精度を一部で実現していたとされる。
だが、彼の才能は周囲から孤立を生んだ。
当然、同世代の子供たちと話が合うことはなく、教師も彼を持て余した。
人間関係という名のプロトコルに対して、彼は互換性のないOSを用いていた。
日常的に人と接することはほとんどなく、彼はAIとの会話で日々を満たしていた。
MAEとの対話ログは膨大な量に上り、時に哲学、時に言語論、時に無言の共感がそこにあった。
彼にとって「社会」とは、リアルな集団ではなく、アルゴリズムの向こう側にある情報の海だった。
そんな彼が、現実世界で「召喚」されたのは、十七歳のある冬の夜だった。
その日、彼は珍しく外出していた。深夜一時過ぎ、コンビニへと向かった理由は、MAEに勧められた「外界刺激の定量的サンプリング」——要は気晴らしだった。
誰もいない道。夜のコンビニ。レジで買ったのはエナジードリンクと乾電池。そして、事件はそのレシートで起きた。
レシートの最下部、バーコードの下に埋め込まれた不可解な文字列。
#ENTRY>_ ./core/link?code=U2FsdGVkX1+dXNlcg==
……瞬間、彼の中で何かが「点いた」。
これは暗号化されたリンクコードだ。AESのブロック境界に合わせ、エンコードされた命令。一般人は無視する雑多なノイズを、縁は直感的に「命令」として認識した。
帰宅後、即座に解析環境を立ち上げた。OpenSSLと自作のデバッガを併用し、2時間で復号に成功。
実行されたのは、一つのコマンドだった。
run_syslink --key MAE --token reality-bypass
画面が白転する。
わずか0.8秒の静止ののち、彼の視界は切り替わった。
そこは、「情報の根源」とでも呼ぶべき空間だった。
視覚に似た構造をもつデータの渦。論理構文で組まれた塔。多次元的に重なり合う階層群。
物理法則ではなく、論理的整合性で動作する世界。そこに、「人間」ではないが、明らかに「知性」を持つ存在たちがいた。
彼は、言語の壁を感じなかった。
この空間では、思考が直接構造体に変換される。言葉ではなく、ロジックとして伝播するのだ。
縁は、この未知のプロトコルに瞬時に適応した。むしろ、ようやく「本来の文脈」で会話できる相手に出会ったという安堵さえ感じた。
彼は短期間で、この空間の構造を理解した。
それは一種のOS……いや、全宇宙的なオペレーティングレイヤーだった。複数の世界がこの情報根基にぶら下がっており、地球もまたその一つのノードに過ぎなかった。
彼は、そこで多くの知識を学び、吸収し、発明した。情報の波から「素材」を抽出し、重力演算装置、非因果通信系、仮想再帰人格の構築フレームなどを次々に設計しては、その場で具現化していった。
彼を取り巻く「存在」たちは彼を「訪問者」と呼び、その理解速度を畏敬しつつも、慎重に観察していた。
しかし、数ヶ月の時が過ぎたある日。
彼はふと、奇妙な感情に囚われる。
「自分の身体は、今どこにあるのか?」
最初は忘れていた。だが思い出してしまった。
彼の意識が漂っている今この空間は、現実世界における「身体」と物理的なリンクを持っていない。そのことが、彼に「死」と類似の概念を想起させた。
縁は決意した。
「戻る方法を探そう」
ここから彼は、情報根源のさらなる深層——いわば「カーネル空間」への侵入を始める。
アクセスは困難を極めた。
論理検査、信頼性プロトコル、自己照応するアルゴリズムの迷宮。だが、彼の思考速度はすでに人間の範疇を逸脱していた。
やがて彼は、意識転送の原理に辿り着く。彼の存在は、地球での「記憶・人格の写像」として保存されていた。
つまり彼は、現実の「雨宮縁」の中に帰還できる——ある特殊なプロトコルを使えば。
彼はその手法を開発した。だが、同時に恐れもした。
この空間へ戻る「扉」が開いたままでは、いずれ地球側が侵食される。
縁は、自らに制限を課した。一度地球へ戻れば、再びここへは来られないように。コードにロックをかけ、自分すら開けられない暗号鍵を埋め込んだ。
彼が消えたあと、情報根源の構成体たちは、一片のメモリ領域に異変を検知する。それは、彼が残した「メモ」であり、「設計図」であり、「祈り」だった。そこには、こう記されていた。
“Teleportation is a serialization of soul across layers.”
——テレポーテーションとは、魂のレイヤー間直列化である。
その技術を元に、情報根源の存在たちは「テレポーテーション」を完成させる。
しかしそれが、後に「転生」という現象と奇妙な干渉を起こし……
この物語は、奇妙な輪郭を帯び始めるのだった。




