第77話 愛人ではなく共同責任者
三十二歳の誕生日、新聞に俺とソフィアの記事が載った。
見出しは、こうだ。
-灰冠の愛人、鉄道利権を支配。
写真には、ソフィアと鉄道会社の取締役が写っている。
灰青鉄道の供給契約を更新した夜のものだ。
出席者は八人。
新聞は二人だけを切り抜き、俺の名を見出しへ足した。
「父が持分を持つ新聞社ね」
ソフィアは記事を折った。
怒っている時ほど、紙を丁寧に扱う。
「オルシーニを継がず、ベランディと仕事をする私が気に入らない」
「訂正を出させる」
「何を訂正するの」
「愛人ではない」
「私たち、結婚していないもの」
「恋人だ」
「新聞にとっては同じでしょう」
同じ家で過ごす夜も増えた。
公の役職では、ソフィアは三家共同企業の交渉責任者。
俺はベランディ家の代表。
その間を説明する言葉を、曖昧にしてきた。
敵対する家の娘と息子だった頃は、曖昧さが二人を守った。
いまは、その曖昧さが彼女の仕事を『愛人の口添え』へ変える。
「会見を開く」
「私の名誉を、あなたが説明するの?」
「二人で出る」
「私が断ったら」
「俺だけで、俺の発言について訂正する」
「あなたは、この記事で何も言っていない」
「今まで、公に言わなかった」
それも選択だった。
恋愛を利用しないつもりで、説明しない方だけを選んできた。
ソフィアは翌朝まで考え、会見へ出ると決めた。
「条件がある」
「何を」
「原稿を作らない。あなたの言葉を、私が先に直さない」
「失敗するかもしれない」
「その時、隣で訂正する」
ソフィアの目を見て、これはやるしかないと確信した。
会見には二十人の記者が来た。
記事を書いた新聞社は、最前列。
机へ三つの契約書を置く。
灰青鉄道。
共同企業。
第十型の規格移管。
すべてに、ソフィアの署名が俺と同じ大きさである。
「ソフィア・オルシーニは、私の愛人ではありません」
筆が走る。
「共同企業の交渉責任者であり、鉄道契約の共同署名者です。
私が彼女の寝室へ入ることと、彼女が契約を成立させたことは、別の事実です」
会場が静まった。
後ろでテオが顔を覆っている。
ソフィアは横から俺を見る。
言い方を失敗した。
「寝室へ入るのですか」
記者がすぐ食いつく。
「いまのは、必要のない説明でした」
「事実では?」
ソフィアが口を開く。
「私生活について答える会見ではありません。
彼が言いたかったのは、私たちが恋人である事実と、契約上の権限の根拠が別だということです」
「では、恋人ではある?」
「はい」
彼女は迷わなかった。
俺も続ける。
「彼女の権限は、私との関係から与えられたものではない。
契約の利益と損失について、私と同じ署名責任を持つ共同責任者です」
「それでも、ベランディの力が交渉を有利にしたのでは」
「しました」
ソフィアが答えた。
記者が顔を上げる。
「鉄道会社はベランディの港湾影響力を必要とした。
私たちは、それを交渉材料に使いました。
一方、供給契約は公開入札で決まり、製品試験の結果も市議会へ提出しています」
「力を使ったことは否定しない?」
「否定すれば、責任も負えません」
ソフィアは書類の一頁を開いた。
移転費が不足した場合、共同企業の役員報酬から補う条項。
彼女自身が加えたものだ。
「私が愛人だから署名できたとお考えなら、同じ損失責任も愛人だから負うのか、記事に書いてください」
記者は書かなかった。
別の者が聞く。
「いずれ結婚を?」
ソフィアが俺を見る。
議題表にない質問。
「その話は、新聞より先に本人とします」
今度は笑いが起きた。
「まだ、していないのね」
会見後の廊下で、ソフィアが言う。
「何を」
「結婚の話」
「していない」
「そう」
声の意味を考えすぎ、足が止まった。
「した方がいい?」
「いま聞くことではないでしょう」
「新聞より先だ」
「会見の直後で、廊下に記者がいる」
角から三人がこちらを見ている。
ソフィアは俺の脇腹をつねった。
「寝室の話は必要だった?」
「悪かった」
「本当に」
「でも、恋人とは言った」
「私が先に」
「俺も言った」
「子供みたい」
彼女は襟を掴み、誰もいない次の曲がり角まで引いた。
そこで短く口づける。
「これは記事にしても?」
角の向こうから記者の声がした。
ソフィアは俺の肩へ額を付けたまま答える。
「したら、次の会見であなたの寝室について聞きます」
足音が遠ざかった。
新聞の翌号には、小さな訂正文が載った。
-ソフィア・オルシーニ氏の役職表記を追加します。
愛人という見出しは、取り消されなかった。
訂正文は小さかった。
その横へ、ソフィアは自分の署名がある契約書の写しを同じ大きさに折って置いた。
訂正文が出た翌週、鉄道会社から新しい契約書が届いた。
前回まで二つあった署名欄が、一つになっている。
ベランディ家代表、だけ。
ソフィアの役職は、本文からも消えていた。
「間違いではありません」
鉄道会社の使者が言う。
「新聞の騒ぎを受け、責任系統を明確にしたいと」
「私が共同責任者だと明確にした騒ぎよ」
「世間には、別の受け取られ方もあります」
契約更新が遅れれば、灰青炉の石材輸送が止まる。
工房は五日で在庫を使い切る。
俺が署名すれば、今日中に済む。
使者も、それを待っている。
「この契約は受けない」
ソフィアが紙を閉じた。
使者は俺を見る。
「ベランディ様のご判断は」
「交渉責任者が言った」
「しかし、代表はあなたです」
「だから、責任者を外す契約に署名しない責任がある」
使者は契約書を持ち帰った。
扉が閉まる。
ソフィアは五日分の在庫表を広げた。
「格好をつける余裕は、四日ね」
「五日では」
「最後の一日は窯を冷ます時間」
共同工房へ操業短縮を伝える。
労働者へは、理由も開示する。
役職を守るために、工房の給金まで危険へ晒している。
ソフィアは王都の別会社、山側の馬車組合、港の小船主へ同時に見積もりを求めた。
どれも鉄道より高い。
三日目、船と馬車を繋ぐ臨時輸送を組む。
費用は一割七分増し。
増えた分を製品価格へすぐ乗せず、共同企業の役員報酬から半年かけて補う。
会見で見せた、あの条項を実際に使った。
四日目の夕方、最初の石材が工房へ着いた。
雨に濡れ、二割が使えない。
それでも窯は止まらなかった。
若い荷役たちが夜通し選別する。
ソフィアも袖をまくった。
俺が手を出すと、濡れた石を一つ渡される。
「代表の仕事?」
「今日は荷運びを担当する」
丘へパンを運んだ時と同じ答えだった。
彼女が笑う。
一月後、鉄道会社は元の署名欄へ戻した契約を送ってきた。
臨時輸送が恒久契約になれば、自分たちの貨物を失うと分かったからだ。
運賃は以前より二分下がった。
ソフィアは、臨時輸送の一部を残すことも条件へ加えた。
一つへ頼り切らないためだ。
「勝ったな」
俺が言うと、彼女は首を振った。
「一月分の役員報酬と、石材二割を失った」
「署名欄を取り戻した」
「だから、負けてもいない」
署名式では、戻った二つの欄へ並んで名を書いた。
その夜、屋敷へ戻ると、母が新聞の切り抜きを保存していた。
愛人の見出しと、小さな訂正文を同じ頁へ貼っている。
「捨ててくれ」
「家族の記録よ」
母は手を止めない。
「まだ家族ではないわ」
とソフィアが言った。
母の手が止まる。
俺も止まる。
ソフィアだけが、茶を飲んだ。
「いまの意味は」
「言葉どおり」
「いつかは?」
「その話を、新聞より先にするのでしょう」
「いましている」
「エミリア様がいる」
母は切り抜き帳を抱え、無言で部屋を出た。
扉の外で、足音が止まっている。
聞いている。
「二人だけではない」
ソフィアが笑った。
新聞に聞かれ、母に期待された勢いで言うのは違う。
そう思う一方で、言わない理由へそれを使っている気もした。
「その話は、誰にも聞かれていない時にする」
「いつ?」
「決めた日付を、いま母上に聞かれる」
扉の外の気配が、わずかに揺れた。
「では、次の休業日は何をするの」
「港が見えない場所を探す」
「見つからなかったら?」
「探したことを、議題表へ書かない」
「それなら、行く」
母が小さくため息を吐いた。
ソフィアは聞こえないふりをした。
俺も、今度だけはそうした。
【人物紹介】
・ソフィア・オルシーニ
三家共同企業の交渉責任者で、鉄道契約の共同署名者。
レオーネの恋人でもあるが、仕事の権限はその関係から与えられたものではない。
交渉で得る利益だけでなく、失った分も自分の責任とする人。
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