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第75話 南埠頭の鍵



南埠頭の第七倉庫には、鍵が三つあった。


一つは税関。

一つはロッシ団。

最後の一つは、持ち主不明。


夜になると、最後の鍵で扉が開く。


申告されていない煙草。

薬酒。

外国製の短銃。


密輸は珍しくない。


港のマフィアは、税を払わない荷で育った。


父も例外ではない。


問題は、粗悪な鎮痛薬だった。


診療所へ三人が運ばれた。


瞳孔が小さく、呼吸が遅い。


一人は十四歳。


石炭運びで腰を痛め、露店から薬を買った。


通常量の半分しか飲んでいない。


リーナが胃を洗い、夜通し呼吸を見た。


「効き目を強く見せるため、眠り粉が倍入ってる」


薬瓶には正規工房の印。


底だけ、硝子の色が違う。


古瓶へ偽物を詰めている。


「倉庫を潰す」


リーナは静かに言った。


ロッシは反対した。


「煙草と酒まで止めたら、うちの取り分が消える」


「薬だけ止めろ」


「荷主は同じだ。薬を抜けと言えば、全部ほかへ回す」


「なら、ほかへ回せ」


「二十人の給金は誰が払う」


同じ船に煙草と酒と、子供の呼吸を止める薬が載っていた。



三晩、倉庫を見張った。


一日目、荷はない。

二日目、税関の鍵で正規荷が入る。

三日目、午前二時。


顔を隠した男が、税関でもロッシでもない鍵を使った。


扉が音なく開く。


荷車二台。


番人は止めない。


ロッシ団の古参が、荷札を見ずに倉庫へ通す。


慣れた動きだった。


俺たちはその場で押さえなかった。


荷主までたどる。



翌朝、倉庫の帳簿には煙草十箱しか記載がない。


実際には薬瓶が四箱。

短銃二箱。

煙草は八箱。


二箱分の煙草は、薬と銃の重さを隠す数字だった。


荷主は、海向こうの商人ヴァルガ。


市外の宿で会った。


彼は護衛を六人連れてきた。


こちらは四人。


数を見せる交渉から始まった。


「薬の成分検査を受ける」


俺は条件を出す。


「短銃は製造番号を控え、売却先を記録する。

煙草と酒には、正規税の半分に当たる港整備金を払う」


「密輸人が規則を出すのか」


ヴァルガは笑った。


「税関へ行け」


「断れば、第七倉庫を閉じる。船名を税関へ渡す」


「自分の首も締まるぞ」


「知っている」


彼の荷を通した記録には、ベランディ傘下の印もある。


税関へ出せば、こちらも捜査される。


だから脅しになる。


税関へ出せば、うちの印も一緒に調べられる。


「薬を買う奴が悪い」


「十四歳にも?」


「働いてるなら、大人だ」


リーナの顔が動いた。


テオが前へ出るのを、俺は手で止める。


ここで殴れば、薬の話が護衛同士の喧嘩になる。


「三日待つ」


ヴァルガは席を立った。


「その間、倉庫は閉める」


「閉めてみろ」


交渉は決裂した。



その夜、第七倉庫を閉じた。


ロッシ団の番人二人。


ベランディから二人。


帳簿は別の場所へ移した。


午前三時、裏の水路から五人が入った。


最後の鍵は使わない。


屋根の排気口を外し、内側へ降りた。


最初の銃声。


ロッシ団の番人が肩を撃たれる。


二発目で、もう一人が倒れた。


ベランディの番人が撃ち返す。


灯りを落とし、扉を開ける。


襲撃者は火の付いた油瓶を投げた。


薬箱の横へ落ちる。


番人は追わず、火を消した。


正しい判断だった。


その間に襲撃者は逃げた。


ロッシ団の男、ピエトロ・カリーニは胸を撃たれていた。


リーナが着いた時には、脈がない。


薬箱も帳簿も燃えなかった。


その横で、ピエトロだけが死んだ。


ヴァルガの船は夜明け前に港を出た。


税関へ船名を渡したが、追跡船は間に合わなかった。


第七倉庫は三か月閉じた。


ロッシ団の給金は共同準備金から出す。


ピエトロの葬儀で、妻が棺へ最後の鍵を置いた。


「これ、夫の上着にあった」


ロッシ団の鍵ではない。


持ち主不明だった三本目。


妻はロッシを見る。


「なぜ、あの人が持ってたの」


ロッシの顔が白くなる。


葬儀の後、彼は告白した。


最後の鍵を、ヴァルガへ渡したのは自分だった。


昔の荷主と切れず、ベランディが条件を出した夜、逃げ道として扉を開けようとした。


ピエトロへ鍵を預けた。


襲撃まで頼んだわけではない。


だが鍵を受け取る関係がなければ、ピエトロは狙われなかった。


「俺を殺すか」


「殺さない」


「追放か」


「頭目を降りろ。持分の半分を妻へ。残りで働け」


「それで済むのか」


「済まない。だから、一度で終わる罰にはしない」


「下で働けば、毎日あいつの家族を見る」


「そうだ」


ロッシは頭目を降りた。


団の新しい代表は、ピエトロの姉マリアが選ばれた。


妻ではない。


遺族だから頭目にする、という別の重荷を負わせなかった。



第七倉庫の鍵は二つになった。


税関と、倉庫組合。


ベランディは合鍵を持たない。


十四歳の少年は助かった。


ピエトロは戻らない。


南埠頭の帳簿には、押収した薬瓶の数と同じ頁へ、ピエトロ・カリーニの名を残した。


ピエトロの妻へ渡す持分を巡り、ロッシ団が割れた。


「働いていない女へ、半分も渡すのか」


古参三人が異議を出した。


「あいつが死んだから、空いた」


「家族へ相続する規定がある」


「頭目の罰で取った金だろ。団へ戻すべきだ」


ロッシが頭目を降り、持分の半分を妻へ渡す。


残り半分で、本人は下働きとして残る。


決めた時、持分の中身を正確に数えていなかった。


倉庫の利益。

見回りの上納。

密輸の未回収金。

払っていない夜番手当。


価値のある権利だけでなく、借金もある。


「半分とは、何の半分です」


セレステが聞く。


誰も答えられない。


ロッシの帳簿は、表と裏があった。


さらに、頭の中にしかない三冊目がある。


妻へ渡す前に、全部を開く。


七日掛かった。


結果、見かけの持分は二百リラ。

未払い給金と補償債務を引けば、八十六リラ。

妻の相続は四十三リラ。


古参が言っていた『半分』より、ずっと少ない。


「これだけ?」


妻は紙を見た。


「現金は。それに、今後一年の倉庫利益から一定割合」


「夫が死んだ値段?」


「違います」


「では、何」


「夫が生きていれば受け取った給金と、持っていた権利の分です」


「同じに見える」


「同じに見えても、死を買ったとは記録しません」


妻は署名しなかった。



三日後、姉のマリアを連れてきた。


新しい代表に選ばれた女だ。


「私が持分を預かる」


マリアが言う。


「妻の相続です」


セレステは断ろうとした。


「この子は、帳簿を読めない。団の男が毎月違う額を渡す」


「だから私へ?」


「信用してるわけじゃない。二人で署名する形にして」


妻とマリア。


支払いのたび、二人の確認。


さらにセレステが半年監査する。


セレステは少し考え、妻の欄は消さず、その横へマリアの確認欄を足すことにした。


ロッシ団の古参は、女が代表になったことも気に入らなかった。


最初の集会で、一人が席を蹴った。


「倉庫の何が分かる」


マリアは、ピエトロの夜番記録を机へ置いた。


「あなたが来なかった夜を知ってる」


「女が口を出すな」


「頭目として出してる」


「ベランディに選ばれた頭目だ」


「団の投票は十二対七。灰冠は投票してない」


「脅した」


「誰を」


「俺たちを」


「では、名を言って」


男は言えない。


マリアは威圧で勝たなかった。


記録と票を、本人に言わせる。


それでも反対する七人は残る。



翌月、夜番表で意図的に彼女の命令を無視した。


マリアは全員を追放しなかった。


一度目は上納分を減らす。

二度目は配置権を外す。

三度目で一人を除名した。


甘いと言われた。


ベランディの真似だとも言われた。


「真似で使えるなら使う」


彼女は答えた。


「兄を殺した仕組みまで真似しなければいい」



半年後、ピエトロの妻は自分で受領額を読めるようになった。


最初に署名を拒んだ紙へ、ようやく名を書く。


署名した日の夕方、マリアは南埠頭の墓地へ行った。


頭目の鍵を、兄の墓石へ一度だけ置く。


俺は少し離れて待った。


護衛ではない。


倉庫持分の最終確認へ来た帰り、同じ道になっただけだった。


「兄は、この鍵を私へ渡したかったと思う?」


マリアが聞いた。


「分からない」


「皆は、望んでいたと言う。妹なら兄の意思を継ぐはずだと」


ピエトロが残したのは、妻と未整理の持分と、夜番の欠けた帳簿だった。


妹へ頭目になれという遺言はない。


「私も、父上の指輪を望まれたか分からない」


「父親でしょう」


「死ぬ前に、継げとは言わなかった。生きろと言った」


生きる中に、家を継ぐことまで含まれていたのか。

家を捨てて生きてもよかったのか。


いまも答えはない。


「兄の代わりになったつもりはない」


マリアは鍵を拾った。


「でも、兄が死んだから、この席が空いた。

それを忘れると、私は自分の力だけで選ばれた顔をする」


「忘れなければ、兄の陰で頭目をすることになる」


「面倒ね」


「はい」


「否定してよ」


「私も同じです」


マリアは笑わなかった。


墓石の土を指で払い、鍵を腰へ戻した。


「兄さん。私は、あなたより長く生きる」


マリアは頭目の鍵を腰へ戻した。


墓石の上には、兄が持っていた三本目の鍵だけが残った。


【人物紹介】

・マリア

団員の投票で選ばれた、ロッシ団の新しい代表。

ピエトロの遺族であり、彼の妻が持分を受け取る際の確認役も務める。

古参の反対が残る中、夜番表と帳簿を開き、自分の名で判断を重ねている。


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