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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 4章 次の手に渡る鍵

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第73話 港の冬熱



その冬、港が凍った。


海ではない。


石炭置場が凍った。


王都からの鉄道が山間部の崩落で止まり、炭鉱の荷が十二日届かなかった。


石炭の値段は三倍。


金持ちは買える。


食堂は営業時間を半分にし、洗濯場は湯を一日おきにし、貧民区では一つの火鉢を三家族で囲んだ。


第八型保温板が売れた。


売れすぎた。


朝に十リラだった板が、昼には二十リラで転売される。


一人で二十枚買う商人も現れた。


「価格を上げるべきです」


ルカが言った。


「需要が三倍なら、二倍でも売れる。利益で春の備蓄庫を作れます」


正しい。


安値のままなら、転売屋が差額を取るだけだ。


俺たちは温熱板を三つに分けた。


家庭用は一世帯二枚まで、旧価格。

商業用は五割増し。

転売用の大口は競売。


増えた利益は、診療所と共同食堂の暖房へ回す。


購入時に住所を記録した。


「配給所みたいだ」


古参が言う。


「マフィアの倉庫でやる配給だ」


「慈善家と呼ばれる」


「用心棒代を払う店が凍れば、春の徴収先が減る」


街が春まで生きれば、俺たちの商売も残る。


共同食堂へ行くと、入口に母子がいた。


母親は保温板を一枚抱え、赤ん坊を外套の内側へ入れている。


「板が冷たい」


マルタへ訴える。


「温かくなるって聞いた」


第八型は熱を生まない。


湯や火鉢の熱を、外へ逃げにくくする。


完全に冷えた部屋へ置いても、何も起きない。


販売札には書いた。


だが凍える者は、説明より先に火を求める。


「返す?」


マルタが聞く。


「返したら、何を買える」


母親は答えられない。


炭は高すぎる。


食堂の炉で湯を沸かした。

鍋の外へ板を巻く。


同じ量の炭で、湯が長く温かい。


赤ん坊を湯で拭き、母親にも汁を飲ませる。


「家では、どうする」


「火鉢を一度だけ使う。その時に湯と板を温める。板は布へ包んで、火から離す」


「夜中まで持つ?」


「持たない」


正直に言う。


「夕方より、少し遅く冷えるだけ」


母親は板を見た。


「少し、か」


「はい」


「ないよりいい」


母親は「少し」と言われた板を、赤ん坊の背へ当て直した。



三日目、家庭用の在庫が尽きた。


列は残っている。


倉庫には商業用が百枚。


すでに高い価格で予約を受けていた。


家庭用へ回せば、食堂や洗濯場が止まる。


「どちらを先にする」


一つずつ選べば、母の失敗と同じになる。


ルカが使用人数を出した。


食堂一軒で百二十食。


洗濯場一軒で病院の布百枚。


個人へ配るより、共同で熱を使う場所を先にする。


商業用予約を守り、その代わり食堂へ一日二時間の無料暖房席を条件にした。


洗濯場は、乳児の布と診療所分を優先する。


利益を取る店へ、利益の一部を返させる。



四日目、転売屋が偽住所で家庭用を買っていたと分かった。


ジャコモが同じ筆跡を見つけた。


倉庫へ行く。


板が三十枚積まれている。


「商売だ」


男は言った。


「安く買って、高く売る。何が悪い」


「家庭用の条件を偽った」


「金は払った」


「返金する。板は回収」


「拒んだら?」


「共同工房と信用店で、あなたへの販売を止める。偽住所の証拠は警吏へ出す」


男は板を渡した。


三十枚は、列の後ろへ回った。


全員には足りない。


列の最後の七人は、その日も買えなかった。


「灰冠でも、石は増やせないのか」


老人が言った。


「増やせません」


「役に立たんな」


「はい」


その夜、老人を共同食堂へ案内した。



十二日目、鉄道が動いた。


石炭価格は下がった。


寒波で死者は三人。


前年より少ない。


ゼロではない。


三人のうち一人は、最初に保温板を返そうとした母親と同じ長屋に住んでいた。


名は、オルガ。


六十八歳。


夜の洗濯場で、濡れた布を絞る仕事をしていた。


共同食堂へ行くよう勧められた夜、自分より乳児のいる家を先に入れろと言って戻った。


翌朝、寝台で冷たくなっていた。


診療所で死亡簿へ署名した時、母が俺の手を止めた。


「前年より少ない、とは遺族の前で言わないで」


「言いません」


「顔に出てる」


三人という数字を見て、対策が働いたか考えた。


去年の死者数。

配った板。

使った炭。

次の備蓄量。


死者の隣で、次の冬を計算していた。


「数えなければ、来年も同じだけ死ぬ」


「数えて」


母は言った。


「でも、慰める時には名前を先にして」


死亡簿には、家族欄が空白だった。


母はオルガが洗濯場で一緒だった女たちを呼び、遺品を渡した。


濡れた手袋。

銅貨九枚。

使いかけの石鹸。


保温板はなかった。


「父上なら、どうした」


俺は母へ聞いた。


「石炭商を殴ったかしら」


「値段を下げさせるために?」


「私と喧嘩した後なら、たぶん」


父は昔、診療所の炭を先に買えと母に言われ、自分の倉庫へ運ばせた。


襲撃に備えて、部下を凍えさせないためだった。


母は三日、口をきかなかった。


四日目、父は倉庫の半分を診療所へ運び、残り半分を市場価格で売った。


無料ではないところが父らしい、と母は言った。


「善人ではなかった」


「ええ」


「それでも、変えた」


「遅れてね」


母の声には、責める響きと懐かしむ響きが同じだけあった。


俺たちは三人の名を死亡簿から別の紙へ写した。


備蓄計画の一行目には、死者三人ではなく、オルガの名を書いた。



春、競売益で港外れに備蓄庫を建てた。


壁には第十型を入れ、貨車の振動で炭粉が締まりすぎないようにする。


冬に儲けた金を、次の冬に値段を吊り上げないために使う。


春の陽に照らされても、備蓄庫の入口にはオルガたち三人の名札が残った。


備蓄庫が完成した最初の冬、石炭が盗まれた。


一晩で二十袋。


外壁に破損なし。


鍵も閉まっている。


倉庫番は夜通しいた。


「内通者です」


セレステが在庫表を見た。


「袋の数だけ減り、封印札が二十枚増えてる」


正規の出庫に見せている。


札へ署名したのは倉庫主任。


本人は書いていないと言う。


偽造か。


署名はよく似ている。


ただ、日付の数字だけ、下に線がない。


「工房学校の生徒だ」


ルカが言った。


数字の書き方を、セレステから習った者。


候補は二十人以上。


「全員の部屋を捜す?」


テオが聞く。


「証拠がない」


「石炭は大きい。売れば分かる」


市場の価格を調べる。


盗難後、安い石炭は出ていない。


二十袋を売っていないなら、使った。


煙突を見る。


貧民区の南側で、夜通し煙が出た家が六軒あった。


一軒ずつ回る。


最初の家は、熱を出した老人。


娘が石炭一袋を受け取ったと言う。


「誰から」


「灰冠の配給だって。若い男」


二軒目は、乳児のいる家。

三軒目は、夜の洗濯場。


どこも金を払っていない。


盗んだ者は売っていない。


配っている。


「善人気取りか」


古参が言う。


備蓄庫は次の寒波に備えるものだ。


今夜寒い者へ配れば、明日足りなくなる。


寒い家を見つけたことと、一人で倉庫を開けたことは、別に数える必要があった。



七軒目で、ジャコモを見つけた。


空の袋を荷車へ積んでいる。


「お前か」


テオが聞く。


ジャコモは逃げなかった。


「俺が札を書いた」


「鍵は」


「倉庫番に開けさせた。若頭の緊急命令だって」


倉庫番は字が読めない。


印と署名を見て従った。


「なぜ報告しなかった」


「三日前、配給を増やせって申請した。却下された」


「在庫が次の寒波一回分しかない」


「今、寒い」


「だから盗んだ?」


「配った」


採用初日のパンと同じ言い方だった。


ただし今回は二十袋で、家の署名まで盗んでいる。


「戻せる石炭は」


「ない。もう燃やした」


処分会議で意見が割れた。


追放。

降格。

給金から弁償。

受け取った家へ請求。


最後は認めなかった。


灰冠の配給だと信じた者へ、後から盗品代を払わせるなあどあり得ない。


倉庫番も処分しない。


字を読めない者へ、署名だけ見て命令を判断させた側の欠陥がある。


ジャコモは連絡役を三か月外す。


石炭代を一年で返す。


配った二十軒すべてへ、自分の命令だったと説明する。


さらに、次の配給規則を作る班へ入れた。


「罰なのか、仕事なのか」


本人が聞く。


「両方だ」


「俺が、正しかったことになる?」


「ならない。却下された後、署名を偽造した」


「でも、寒かった」


「それも記録する。正しい問題を見つけた者が、正しい手段を選ぶとは限らない」


新しい規則では、備蓄の四分の一を緊急枠にした。


医師、倉庫番、地域代表の三人が認めれば出せる。


文字の命令だけでなく、色の違う三枚の札を揃える。


字が読めない倉庫番にも分かる。


残り四分の三は、寒波警報が出るまで開けない。


ジャコモは二十軒を回った。


「灰冠がくれたんじゃないの?」


乳児の母が聞く。


「俺が勝手に持ってきた」


「返すの」


「返さなくていい。俺が返す」


母親は礼を言おうとした。


「言うな」


ジャコモが止める。


「礼を取ったら、盗んでよかったと思う」


次の寒波で緊急枠を開けた時、ジャコモは赤、青、白の三枚札を倉庫番へ一枚ずつ渡した。


倉庫番は色を確かめ、自分の鍵で扉を開けた。


【用語紹介】

・第八型保温板

湯や火鉢の熱を、外へ逃げにくくする道具。

火を起こしたり、冷えきった部屋をそれだけで暖めたりはできない。

熱のあるうちに使い、冷えるまでの時間を延ばすもの。


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