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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 3章 灰冠の下に増える席

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第70話 古い賭場の新しい帳簿



港最大の賭場『青鯨』を傘下に入れた時、ソフィアは三日間、俺と口をきかなかった。


ソフィアは嘘が嫌いだ。


さも儲かる、勝てると知識のない人間を囲い込み、それを食い物にするやり方を、彼女は嫌っている。


しかし、賭場は父の時代から家の収入源だ。


組織崩壊の後、別の家へ渡り、借金漬けの客から店や娘まで取る場所になっていた。


俺はソフィアの反対を押し切り、経営する家の借金を買った。


青鯨を取り戻したのだ。


「閉じないのね」


四日目、ソフィアが言った。


「閉じれば、裏の小部屋へ散る」


「だから公認する?」


「管理する」


「便利な言葉ね」


俺も賭博を好まない。


だが、嫌いだから閉じるだけなら、客は看板のない小部屋へ移る。


「一晩、見てから決めてくれ」



午後八時。


入口は暗い。


窓がなく、時計もない。


中へ入れば、朝か夜か分からない。


酒は最初の一杯だけ無料。


二杯目から、客の勘定へ付く。


勝った者の酒は薄く、負けた者へ濃い酒を出す。


判断を鈍らせ、取り返す金を借りさせる。


一人の男を追った。


市場の靴職人。


最初に銀貨五枚を賭け、三枚勝った。


席を立とうとする。


支配人が無料の酒を出した。


次の勝負で二枚負ける。


三度目で、元金も失う。


男は帰ろうとした。


胴元が耳元で言う。


「一夜分なら貸す」


銀貨十枚。

利息なし。


ただし返せなければ、靴店の在庫を預かる。


男は署名した。


一時間後、十枚も消えた。


「止めないの」


ソフィアが聞く。


「いまの規則では」


「あなたの賭場でしょう」


「今日からだ」


「今日の客は、昨日の規則で壊していい?」


返す言葉がなかった。


俺は支配人へ貸付を止めさせた。


靴職人は怒った。


「もう十枚あれば戻せる!」


「戻らない」


「あんたが決めるな」


「貸す側として決める」


「殴ってでも追い出すのか」


「歩けないなら、家まで送る」


男は椅子を蹴った。

護衛が動く。


ソフィアが先に、男の署名した紙を取った。


「在庫を担保にしたのね」


「返せばいい」


「明日、靴を売らなければ返す金も作れない」


「分かってる!」


「分かって署名した。だから、署名が有効でも、よい契約とは限らない」


ソフィアは俺を見る。


「この貸付は、店が得た利益から取り消せる?」


支配人が抗議する。


「そんなことをすれば、皆が負けを取り消せと言う」


「賭け金は返さない。店が貸した十枚だけ、返済を一月待つ。在庫は取らない」


俺は決めた。


靴職人は礼を言わなかった。



翌朝、青鯨に新しい規則を入れた。


客ごとの一日上限。

給金日前の前借り禁止。

家族が申請した入場停止は三か月。


店の貸付は一夜分まで。利息は付けない。


負けを取り戻す再貸付は禁止。


従業員の取り分と、家への上納を分ける。


勝ちすぎた客を裏口で襲わない。


「最後は規則にする必要が?」


セレステが聞いた。


「必要があったから書いてある」


それから、外観から手を入れ始めた。


まず、入口を明るくした。

壁へ時計。水を無料で置く。


そして、家族が待てる小部屋。


雰囲気というものは客層に影響する。


来るものは拒まない。

ただし、立ち振る舞いは制御が必要だ。


その一つとして、入場時に、今日の上限を本人が書く。


途中で増やす場合は、外へ一度出て一時間待つ。


客がもう一度賭けるまでに、時計を眺め、水飲む一時間を挟んだ。



最初の月、利益は四割落ちた。


古い支配人が抗議する。


「負ける者を止めたら賭場にならない」


「戻ってこられないほど負けさせたら、一晩の客だ」


「それが賭博だ」


「うちは長く取る」


人の弱さと楽しみから、胴元として取り分を取る。


ただし、首を吊る縄まで貸して回収とは呼ばない。


一月後、あの靴職人が来た。


借りた十枚を返した。


「入場停止を」


自分で申請した。


「三か月でいいのか」


「一生は禁止できる?」


「本人申請なら、一年ごとに更新する」


「じゃあ一年」


彼は札を受け取り、帰った。


靴職人は、その夜、自分の靴で明るくなった表口を出た。



ソフィアは青鯨を許さなかった。


そして、「監査席へ月に一度座る」と宣言した。


「嫌いな場所へ、なぜ来る」


「嫌いだから、あなた一人に任せない」


監査の日、ソフィアは俺の隣ではなく、支配人の帳簿が見える向かい側へ座った。


規則を入れて三か月後、一人の女が百八十リラ勝った。


名前はエヴェリーナ。


船員宿の給仕。


一月分の給金を持って青鯨へ来て、骰子を六度続けて当てた。


支配人は勝ち金を払った。


新しい規則どおり、表口から帰した。


その夜、路地で襲われた。


金は奪われなかった。


腕を折られ、次は来るなと言われた。


「うちの者ではない」


支配人は言った。


「金を取られていない。客同士の恨みだ」


古い青鯨では、勝ちすぎた客を襲い、勝ち金の一部を戻させた。


新しい規則で禁じた。


だから、正式な命令は出せない。


昔からの用心棒が、自分の判断で仕事を続けた可能性がある。


勝者の名と額を知る者を調べた。


支配人。

会計係。

卓の胴元。

出口の護衛二人。


襲撃時刻、護衛の一人だけ休憩記録がない。


名をダミアーノ。


父の時代から青鯨にいる男だった。


呼び出すと、最初は否定した。


「証拠があるのか」


「ない」


「なら、俺を疑うな」


「休憩中、どこにいた」


「女のところ」


「名は」


「言えない」


古い言い逃れ。


愛人の名誉を守る顔をして、空白の時間を作る。


ソフィアが、エヴェリーナの勝ち札を机へ置いた。


端に黒い爪跡がある。


出口で勝ち金を確認する時、ダミアーノが付けた印だ。


ほかの客の札にはない。


「襲う目印?」


男の目が動いた。


「昔からの確認印だ」


「昔は、印を付けた後に何をした」


答えない。

殴って吐かせれば早い。


だが、それこそ彼が分かる規則へ戻る。


俺たちはダミアーノを勤務から外した。


目印の付いた過去三年の札を探す。


十二人。


四人は勝ち金の一部を『寄付』として返していた。


三人は青鯨へ二度と来ていない。


一人は行方不明。


新しい規則を書いた三か月後も、古い爪跡は札に残っていた。


ダミアーノは三日目に認めた。


「店を守った」


「規則を破った」


「勝った奴へ全部払えば、胴元が潰れる」


「負けた客から取っている」


「運だけで百八十持っていく女より、何年も働いた俺の方が店だ」


店を守ったという忠誠と、勝者への怒りと、暴力を役得にする欲は、同じ口から出た。


「解雇する」


「二十年働いた」


「だから、過去の十二件もお前が知っている」


「家へ尽くした」


「尽くした履歴は消さない。腕を折った事実も消さない」


退職金は出す。


そこからエヴェリーナの治療費を差し引く。


過去の四人へ返した『寄付』も、店と本人で補償する。


行方不明者は調査を続ける。


エヴェリーナの腕は、元どおりには動かなかった。


骨は繋がる。


だが重い盆を片手で支える仕事へ戻るには、半年かかるとリーナが言った。


治療費の話をするため、ソフィアと二人で船員宿へ行った。


エヴェリーナは、折れていない方の手で給仕台を拭いていた。


「座ってください」


ソフィアが言う。


「客へ言う台詞を取らないで」


彼女は立ったまま、補償の紙を読ませた。


治療費。

半年分の休業補償。

勝ち金百八十リラは、そのまま本人の物。

青鯨への入場停止は、本人が望む期間。


「口止め料は、どこ」


「ありません」


「賭場を訴えないという文は?」


「ありません」


「なら、後から入れる?」


「入れた時は、署名しないで」


エヴェリーナは紙を卓へ置いた。


「あの男を許せば、仕事へ戻れる?」


「戻れません」


リーナは即答した。


「許さなければ、腕が早く治る?」


「それもありません」


「なら、許すかどうかを治療の話へ混ぜないで」


誰も、混ぜるつもりはなかった。


それでも被害を受けた者は、いつか許すことまで期待されると先に知っていた。


「青鯨は、閉じないの」


彼女は俺へ聞いた。


「閉じれば、別の場所へ散る」


「それは、あなたたちの都合ね」


「そうです」


俺の答えは、店を持つ側の都合だった。腕を折られた彼女が納得する理由にはならない。


「私は、監査役にはならない」


ソフィアが頼む前に、エヴェリーナは言った。


「この腕を見るたび、あの店の仕事をさせられたくない」


「分かりました」


「代わりに、船員宿の女たちへ勝ち札を見せて。大勝ちした客が出た日は、帰るまで二人で付く」


店の護衛だけではない。


店の外にいる者が、客が無事に帰ったか確かめる。


青鯨は、毎月の大口勝者の人数と、支払額だけを船員宿組合へ知らせることになった。


名前は、本人が同意した時だけ。


エヴェリーナは役職を受けず、次の勝者に付き添う者の名だけを紙へ書いた。



帰り際、彼女がソフィアを呼び止めた。


「あなたは、あの賭場を許したの?」


「いいえ」


「閉じないのに?」


「許していないから、帳簿を見ています」


エヴェリーナは初めて、わずかに笑った。


「便利な言葉ね」


四日目に俺へ言った言葉を、そのまま返された。


ソフィアも否定しなかった。


古参は客の減った卓を見回した。


「恩知らず」


青鯨の利益は、また下がった。


それでも翌月、一人の商人が大勝ちした。


出口で勝ち札を見せる。


爪跡はない。


表口から出て、翌日も生きて店を開けた。


出口の護衛は勝ち札を裏返した。


そこには、もう黒い爪跡はなかった。


【用語紹介】

・青鯨

父の時代にベランディ家の収入源だった、港最大の賭場。

灰冠の傘下へ戻り、賭け金の上限や入場停止の仕組みを設けた。

時計と無料の水も置かれたが、賭場であることは変わらない。

ソフィアの席は、月に一度の監査席。


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