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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 3章 灰冠の下に増える席

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第68話 港外れの若い家



二十九歳の春、ベランディ家は長屋を一棟買った。


工房と南埠頭の中間。

煉瓦造りの二階建て。

部屋は十二。


屋根は漏り、共同井戸は濁り、裏庭の便所は扉が外れている。


値段が安い理由は、見れば分かった。


「新人寮にする」


古参会議で告げると、反対はなかった。


家賃を給金から引ける。夜間の呼び出しも早い。


外の大家へ若者の居場所を知られることもない。


組織にとって都合がいい。


「家賃はいくらです」


セレステだけが聞いた。


「周辺相場の八割」


「給金から自動で?」


「希望者だけ」


「退職したら」


「一月以内に退去」


「怪我で働けなくなったら」


答えがなかった。


仕事と家を同じ相手から借りれば、辞めた日に給金と寝床を同時に失う。


「一月では短いです」


「では退職者を、いつまで住ませる」


「通常退職は三か月。解雇は二か月。重大な暴力でほかの住人が危険な場合だけ即日」


「その間の家賃は」


「通常どおり。払えない場合は、信用庫の生活貸付。ただし、退職金と相殺するか本人が選ぶ」


「寮の規則を、新人が決めるのか」


「住む側です」


セレステは引かなかった。


俺は彼女の案を採用した。


さらに、家賃の決定を会計部門だけに置かない。


住人代表二人と、外部の借家人組合一人を入れる。


ソフィアにそうなったと言うと。


「自分の家なのに、家賃を他人に決めさせる?」


「自分で決めれば、給金を上げずに家賃だけ上げられる」


「そこまで自分を信用しないの」


彼女は呆れ顔だった。


「力がある時の自分は、信用しすぎない方がいい」



修繕は、新人たち自身も手伝った。


ニコが屋根。

テオが壊れた扉。

セレステが部屋割り。


ジャコモは井戸を掘り直す班へ入った。


三日目、作業を抜けた。


探すと、二階の角部屋で寝ている。


「何してる」


「部屋を選んだ」


「まだ割り当て前だ」


「早い者勝ち」


「規則は抽選」


「俺は最初からいた」


幼い頃から港にいた。


工房の仕事も、ほかの新人より早く覚えた。


自分は先に選べると思っている。


「出ろ」


「空いてる」


「皆が選ぶ前だ」


「若頭の部屋は、抽選で決めたのか」


痛いところを突いた。


俺の部屋は父から継いだ。


屋敷も、土地も、指輪も、抽選ではない。


「していない」


「なら、俺もここでいい」


「俺が継いだことが正しかったから、抽選にするんじゃない。

継ぐ以外の方法を、あの時持っていなかった」


「今はある?」


「作っている」


ジャコモは不満そうに部屋を出た。


抽選の日、角部屋を引いたのはミーロだった。


ジャコモは一階の井戸脇。


朝早く、水汲みの音がする部屋。


俺はミーロが持つ角部屋の鍵を指した。


「交換しろ」


ミーロは断った。


殴り合いにはならなかった。


ジャコモは三日口をきかなかった。



四日目、水汲みの子供へ井戸の使い方を教えていた。


住み始めて一月、最初の問題が出た。


組員ではない恋人を、夜間に入れるか。


古参は禁じたがった。


「秘密が漏れる」


「寮は武器庫ではありません」


セレステが言った。


「組織の者が住む」


「生活まで組織の秘密にするのですか」


来訪者名簿を作った。


夜十一時以降は、住人の責任で署名。


会議資料を部屋へ持ち込まない。


暴力や無断侵入があれば、本人以外の住人も通報できる。


許可証ではない。誰かを泊めるたび、古参へ金を渡さなくて済むための名簿だった。



二月目、隣の家主が苦情を言った。


「マフィアの若いのが集まって、娘が怖がる」


実際には、夜中まで酒を飲み歌っていた。


新人たちは『家の中』だから自由だと言う。


「壁の向こうまで、うちの家ではない」


夜間の騒音罰を作る。


一度目は掃除当番。

二度目は共同食堂の給仕。

三度目は一週間、外泊。


「子供の罰みたいだ」


「子供より大きな声で騒いだ」


母が言うと、誰も反論しなかった。


半年後、長屋は『若い家』と呼ばれた。


寮ではなく、住人がそう呼び始めた。


外壁には灰冠の印を付けない。


玄関にあるのは、住人たちが選んだ『若い家』の木札だけだった。



ある夜、ジャコモの部屋へあの幼い兄妹が泊まった。


採用初日にパンを渡した二人。


来訪者名簿に、自分で名を書けない。


ジャコモが代筆し、横へ二人の指印をもらう。


「拾ったのか」


俺が聞く。


「泊めただけだ」


「いつまで」


「仕事が見つかるまで」


「家族にする?」


彼は長く考えた。


「まだ、向こうに聞いてない」


兄妹の指印が乾くまで、ジャコモは名簿を開いたまま待った。


冬の初め、二階の住人が恋人を殴った。


廊下まで追い、止めに入ったミーロにも瓶を投げた。


規則どおりなら、ほかの住人を危険にした暴力で即日退去。


男は三年働いた組員だった。


夜番も、火事場も逃げなかった。


「外で寝たら、もっと荒れる」


古参は猶予を求めた。


「ここに置けば、殴られた側が戻れない」


セレステは答えた。


男をその日のうちに、屋敷裏の空き倉庫へ移した。


寝具と食事は出す。


武器は預かる。


給金は止めない。


ただし、若い家へ近づかない。


殴られた女には、診療所と別の部屋を用意した。



翌朝、住人会議を開く。


本人を戻すかどうかを、ベランディだけで決めない。


十二人のうち十人が、戻さないへ票を入れた。


一人は棄権。


一人は、戻して監視すべきだと言った。


殴られた女は、投票へ入らなかった。


会議の後、自分からセレステを呼んだ。


頬の腫れは引いている。


左耳の下に、まだ黄色い痣が残っていた。


「私が戻してくれと言ったら、戻すの」


「住人会議をもう一度開きます」


「私の部屋でしょう」


「廊下と階段は、ほかの人の家でもあります」


女は窓の外を見た。


「あの人、酔っていない時は優しい」


「はい」


「仕事では誰も殴らない」


「記録でも、初めてです」


「なら、私が許せば」


言葉が止まる。


許したいのか。許さなければ自分が冷たいと思われるのが怖いのか。

殴った男が寝床を失った責任まで、自分へ来たように感じているのか。


セレステは、代わりに決めなかった。


「戻りたいですか」


「分からない」


「では、分からない間は別の部屋を使えます」


「いつまで」


「あなたが決めるまで。ただし、家の規則として彼を戻すかは、別に決めます」


「私が会いに行くのは?」


「止めません。住所は教えませんが、手紙は渡せます」


「守るふりをして、閉じ込めない?」


「しません」


「本当に?」


「見張ってください。したら、住人会議へ私の名を出して」


女は初めて、セレステの顔を見た。


「あなたも、追い出されるの」


「規則どおりなら」


「そう言える人は、たぶん追い出されない」


「だから、外の借家人組合も会議に入れています」


セレステは借家人組合の連絡先を、女にも読める大きさで紙へ書いた。



女はその日、男へ手紙を書いた。


許すとも、別れるとも書かなかった。


自分の寝台へ近づかないで、とだけ書いた。


女は手紙を封じた後、自分の部屋の鍵を内側から掛けた。


「仲間を捨てるのか」


退去を告げると、男が俺へ言った。


「組織からは、まだ出さない」


「同じ家だろ」


「同じにしたから、殴られた者が逃げる場所を失った」


男には、酒を断つ治療と半年の倉庫勤務を命じた。



二月後、本人から組織も辞めた。


生活貸付を使い、港北の下宿へ移る。


貸付の申請書へ、セレステが退職者として署名した。


「裏切り者にも貸すのか」


とジャコモが言った。


「辞める権利に利息を付けます」


「冷たいな」


「無償で縛る方が、温かいですか」


ジャコモは答えられなかった。



翌春、男は借金の一回目を返した。


謝罪文も同封されていた。


殴られた女は読まず、返済の記録だけ残してほしいと言った。


封筒の横へ返済記録だけを置き、その夜も自分の寝台で眠った。


屋根を直した長屋の玄関には、住人たちが選んだ木札。

共同の名を持つ家にも、内側から掛ける鍵と、自分の寝台がある。


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