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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 3章 灰冠の下に増える席

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第66.5話 リーナの休診日



リーナは休診日に、診療所へ来た。


「帰れ」


テオが入口で言った。


「薬棚を一段だけ整理したら帰る」


「昨日もそう言って、三段やった」


「今日は一段」


「今日は休み」


「患者が来たら?」


「別の医師がいる」


「帳簿が分からなかったら?」


「セレステがいる」


「エミリア様が――」


「俺がいる」


リーナが黙った。


テオは彼女の外套を取り、診療所の外へ押し出した。


行き先は決めていない。


二人とも、休み方を知らなかった。


市場を一周する。


リーナは薬屋の前で止まる。


「新しい包帯が」


「見るな」


「見るだけ」


「仕事だ」


パン屋の前では、テオが警備配置を確認する。


「裏口の見張りが一人――」


「仕事」


互いに止め合うと、行く場所がなくなった。


焼き栗を買い、海辺のベンチへ座る。


三分で会話が尽きた。


「左腕、痛む?」


「仕事の話だ」


「身体の話」


「診療所の話だろ」


「では、何を話せばいいの」


「知らない」


栗を剥く。


テオの左手は細かな作業が苦手で、薄皮が残る。


リーナが取ろうとすると、彼は手を引いた。


「できる」


「知ってる」


「じゃあ待て」


時間をかけ、きれいに剥く。


最初の一粒をリーナへ渡した。


「自分で食べないの?」


「剥けるところを見せたかった」


「子供ね」


「褒めろ」


「上手にできました」


「馬鹿にしてるな」


笑いながら、リーナは受け取った。


海の風が強い。


紙袋が膝から飛びそうになる。


二人で同時に押さえた。


右手と右手が重なる。


テオは離さない。

リーナも離さない。


「休診日って、何をすれば成功なの」


「明日、少しだけ仕事へ戻りたくなれば成功じゃないか」


「今も戻りたい」


「失敗だな」


「でも、もう少しここにいてもいい」


それなら半分は成功だ、とテオは思った。



午後、港へ旅芸人が来た。


子供向けの人形芝居。


テオが足を止める。


「見る?」


「子供のものだろ」


「見たい顔をしてる」


「護衛として、人の流れを」


「仕事」


今度はリーナが袖を引いた。


二人で一番後ろへ立つ。


木の王子が竜を退治する話だった。


王子は三度、剣を落とす。

子供たちが拾えと叫ぶ。

最後は姫が竜と話し、腹が減っていただけだと分かる。


王子の剣は必要なかった。


「若頭が好きそうね」


「王子が間抜けだからか?」


「竜の食費を帳簿に入れるところ」


二人で笑った。



芝居が終わると、テオは人形を一つ買った。


左腕に傷のある、小さな木の兵士。


「誰に?」


「診療所の子供部屋」


「仕事では?」


「贈り物だ」


「では、受け取ります」


帰り道、リーナは栗の袋と木の兵士を持った。


テオは彼女の外套を持った。


診療所へ着いても、薬棚は一段も整理しなかった。


子供部屋へ兵士を置く。


翌朝、腕の傷へ赤い布が巻かれていた。


誰かが、治療したつもりらしい。



次の休診日は、ひと月後だった。


今度はリーナが診療所の扉へ鍵を掛けた。


「行きましょう」


「どこへ」


「決めてない」


「それで外へ出るのか」


「前回と同じよ」


テオは外套を二着持って待っていた。


前回より、少しだけ上手くなっている。


二人は北市場の古道具市へ行った。


仕事に使えそうな物を見ないという規則を決める。


三軒目で、リーナが銀の薬匙を手に取った。


テオは何も言わずに見る。


「これは食器」


「薬匙だろ」


「蜂蜜を食べられる」


「仕事だ」


「では、あなたもその革帯を戻して」


テオの手には、短銃を吊るせる丈夫な帯があった。


二人とも品物を戻した。


代わりに、青い釉薬の小さな杯を二つ買う。


同じ形ではない。


片方は少し傾き、片方は縁が欠けている。


「どちらが私の?」


「傾いている方」


「どうして」


「置いても倒れない」


「褒めてる?」


「かなり」


帰り道、雨が降った。


軒下へ入る人が重なり、リーナの肩が押される。


テオが右手を伸ばし、彼女を自分の側へ引いた。


すぐに離そうとする。


リーナは、その手を掴んだ。


「手を繋ぐのは、右でいいの?」


「左がいいのか」


「どちらでも」


「左は強く握れない」


「強くなくていい」


そう言われても、テオは迷った。


左腕は、守れなかった時のことを覚えている。


動かない指を見られることにも、助けられることにも、まだ身構える。


リーナは右手を離し、彼の左側へ移った。


袖の上から手首へ触れる。


指ではなく、腕を組んだ。


「これなら?」


「歩きにくい」


「嫌?」


「遅くなる」


「今日は休み」


雨の中を、二人は遅く歩いた。


診療所の角へ着く頃、リーナが言った。


「いつか、ここではない場所へ住みたい?」


テオはすぐ答えなかった。


屋敷の近くなら、若頭を守れる。


診療所の近くなら、リーナが夜間の患者へ行ける。


その二つ以外を、住む場所の理由として考えたことがない。


「窓が二つある部屋」


ようやく言った。


「どうして二つ?」


「片方を閉めても、もう片方から逃げられる」


リーナは笑わなかった。


「私は、朝の光が入る方がいい」


「両方ある部屋を探す」


約束というには、まだ窓が二つあるだけだった。


それでも二人は、その日買った不揃いの杯を、一つずつ持ち帰らなかった。


診療所の棚へ、並べて置いた。



三か月後、窓が二つある部屋を見つけた。


診療所から歩いて十分。


屋敷までは十五分。


二階の角部屋で、朝は東の窓から光が入り、西の窓から港の屋根が見える。


テオは最初に、階段の幅と裏口を確かめた。


リーナは水場と日当たりを見る。


「仕事を見ない規則は?」


「住む場所は、仕事じゃない」


「逃げ道を見ていた」


「火事の時に要る」


「私は薬草を干せるか見てた」


「仕事だ」


二人とも直っていなかった。


家主は、テオの左腕と腰の短銃を見た。


次に、リーナの白い前掛けを見る。


「ベランディの方ですか」


「俺が」


「私は診療所です」


「同じようなものでしょう」


家賃は、掲示の額より二割高くなった。


武器を持つ者が出入りすれば、近所が嫌がる。

夜中に患者が来れば、階段が騒がしい。


火事や襲撃で窓が割れた時の保証金も要るという。


「うちの名で、通常額にしろと言える」


外へ出てから、テオが言った。


「言わないで」


「払える額じゃない」


「だから借りない」


「名前を使えば借りられる」


「名前を使って安くした部屋で、休める?」


テオは答えられなかった。


ベランディの名を借りる。


その名で家主を黙らせ、二人の生活を始める。


守られた部屋なのか、仕事の中へもう一つ寝台を置くだけなのか分からない。


「俺の給金を上げてもらう」


「それも、若様に?」


「護衛の相場を調べる。足りなければ交渉する」


「私も、夜間診療の手当を見直す」


「一人で払う気か」


「二人で払うのでしょう」


賃貸契約の名も、二人にすることにした。


「すぐには無理ね」


「いつまで待てる?」


「部屋が見つかるまで」


「それは、待つ期限になってない」


「あなたは?」


「窓が二つあるまで」


同じ答えだった。


その日は契約しなかった。


帰りに診療所へ寄り、不揃いの杯で茶を飲んだ。


二つの杯はまだ同じ棚にある。


飲み終えた後も、二つの杯は同じ棚へ戻した。



半年後、同じ部屋がまた空いた。


前の借り手は、家賃が高すぎて三月で出たという。


家主は掲示額を一割だけ上げた条件を出した。


夜間患者による破損は診療所が保証する。


武器を持つ訪問者による損害は、テオの給金からではなく、ベランディの警備保険で払う。


近所の三世帯が、夜の患者は裏階段を使うことを条件に署名した。


あっさりと署名したのは、ベランディ家が積み重ねてきた信頼もあったのかもしれない。


二人は契約書へ並んで署名した。


リーナが先。


テオは左手で、ゆっくり名を書く。


「同じ姓に見える」


家主が冗談を言った。


「見えないだろ」


「見えません」


二人が同時に答えた。


最初に運び入れたのは寝台ではない。


診療所の棚にあった、不揃いの杯だった。


一つは縁が丸く、一つは取っ手が少し欠けている。


「どちらを使う」


「取った方」


テオが欠けた方を取る。


「そっち、私が使っていた」


「決めてたのか」


「決めていません」


「なら、取った方だ」


結局、リーナが奪い返した。



夜、二人は別々の寝台へ入った。


間に、小卓一つ分の距離がある。


テオは裏口の鍵を三度確かめた。


リーナは薬鞄を枕元へ置いた。


灯りを消してからも、どちらも眠らない。


「扉の外に立たなくていい」


リーナが暗闇で言った。


「中にいる」


「見張らなくていい、という意味」


「眠っても?」


「そのための部屋でしょう」


テオはしばらく答えなかった。


次に聞こえたのは、椅子を扉の前へ動かす音ではない。


剣帯を床へ置く、小さな金具の音だった。


朝まで、剣帯の金具は床の同じ場所にあった。


薬匙と革帯は、古道具屋へ戻した。

代わりに持ち帰った二つの杯は、やがて同じ部屋へ。

朝の光が入る窓と、もう一つの窓。

剣帯を床に置く音がして、それから朝まで、金具は鳴らなかった。


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