第66話 港の若い狼
二十八歳の夏、ジャコモが人を刺した。
刃は右脇腹へ入り、肺までは届かなかった。
刺されたのはロッシ団の若者、ダリオ。
南埠頭の酒場裏に倒れていた。
報告を受けた俺は、最初にリーナを向かわせた。
次に警吏との連絡係。
最後にジャコモの武器を外し、地下室へ入れた。
拷問部屋ではない。
窓がなく、酒と怒りが抜けるまで待たせる部屋だ。
「理由を聞かないのか」
扉越しに少年が言った。
「先に、刺したことを認めるか」
採用条件の三つ目。
「刺した」
「何回」
「一回」
「殺すつもりだったか」
長い沈黙。
「分からない」
「そう記録する」
事件を見た者は四人いた。
酒場の女給。
年少の荷運び二人。
通りかかった魚商人。
四人の話は、少しずつ違った。
女給は、ダリオが先に殴ったと言う。
荷運びの一人は、ジャコモが先に肩を押したと言う。
もう一人は、二人とも怒鳴っていて分からない。
魚商人は、刺した瞬間しか見ていない。
全員、本当のことを言っているかもしれない。
見えた部分が違う。
四つを重ねる。
ダリオは、十六歳の少女へ荷運び仕事を回す代わりに、給金の三割を取っていた。
ジャコモがそれを知った。
やめさせようとした。
ダリオは、ロッシ団の縄張りへ口を出すなと言った。
ジャコモは、受領証を見せた。
二つの家で仕事を分けた以上、年少者から私的に取る金はどちらの規則にもない。
正論だった。
正論を、相手が逃げられない酒場裏で突きつけた。
ダリオが殴る。
ジャコモも肩を押す。
二発目で地面へ倒れる。
起き上がる時、靴の内側から刃物を抜いた。
守ろうとした者がいた。
怒る理由もあった。
それでも、刺したのはジャコモだ。
理由だけを書けば、次も同じ刃が正義になる。
事実だけを書けば、年少者から金を取った側が消える。
両方を書く。
ダリオは手術を受けた。
腸を傷つけていたが、命は助かった。
目を覚ました後、最初に言った。
「あいつを殺せ」
ロッシも怒鳴り込んできた。
「うちの若いのが刺されたんだぞ!」
「治療費は払う。刺した者も罰する。お前たちも払え」
「なぜ俺が」
「所属する組員が、仕事の割り振りを売っていた」
証言は三人。
ダリオの寝床から、年少者の名と金額を書いた紙も出た。
下の者が勝手に取る金を放置すれば、頭目の信用が削れる。
「知らなかった」
「責任を取るのが頭の仕事だ。」
ロッシは文句を言いつつも、条件に合意した。
ロッシ団が治療費の半分。
ベランディ家が半分。
ダリオの私的徴収は、被害者へ返す。
ジャコモの罰は、六か月の武器禁止。
伝令から外し、倉庫昼番へ。
治療費のうち自分の給金一か月分を負担。
残りを家が払う。
「軽い」
古参が言った。
「一人を殺しかけた」
追放すれば、ジャコモは別の組織でまた刃を持つ。
罰を与えなければ、誰かを守るためなら刺してよいと家が認める。
だから刃を取り上げたまま、同じ港で働かせる。
三日後、地下室から出した。
「追い出さないのか」
また同じことを聞く。
「罰の途中だ」
「俺は、あいつを殺そうとしたかもしれない」
「だから刃を返さない」
「怖くないのか」
「怖い」
俺は答えた。
「お前が誰かを守る時、殺すことでしか守れない男になるのが怖い」
ジャコモは俯いた。
「俺も怖かった」
「何が」
「殴られて、あいつが笑った。何もできないって思った」
「刃を抜けば、何かできたか」
「黙らせた」
「次は」
「分からない」
「六か月で考えろ」
倉庫昼番では、刃物を使う仕事が多い。
縄を切る。
袋を開く。
魚箱の封を外す。
ジャコモだけ、先の丸い工具を渡された。
屈辱だった。
最初の一月、何度も不満を言った。
二月目、同僚へ刃を借りようとして断られた。
三月目から、工具を研ぎ、縄を切りやすい角度を覚えた。
五か月目、荷崩れで一人が下敷きになった。
縄を切れば早い。
刃を持っていない。
ジャコモは結び目を解くのではなく、滑車を逆へ回して荷を上げた。
時間は掛かった。
下の男は助かった。
ジャコモは報告書へ一行書いた。
-刃があれば、もっと早かった。
倉庫主任は、その下へ太い字を足した。
-なくても助けた。
六か月後、武器を返す面談をした。
短銃一丁。
刃物は、さらに半年保留。
「まだか」
「荷崩れの時、なくて困ったか」
「困った」
「それでも別の方法を選んだ」
「毎回、滑車があるわけじゃない」
「だから、次も考えろ」
港では彼を『若い狼』と呼び始めていた。
格好のいい名だ。
人を噛んでも、強かった話だけが残る名でもある。
俺は呼び名を禁じなかった。
代わりに、人事記録から刺傷を消さなかった。
人事記録には、『年少者を守った』より先に『右脇腹を一回刺した』と残した。
ベランディ家の傘下は、五つになった。
ロッシ団。
東倉庫のモーラ班。
山道運送のフェッリ隊。
劇場裏の舞台警備組。
河岸の船曳き連。
古参は、すべてベランディを名乗らせろと言った。
同じ紋章。
同じ上着。
同じ挨拶。
百人が五つの名で立つより、一つの名で立つ方が敵は恐れる。
だが失敗した時も、一つの命令に見える。
「名前は残す」
俺は五人の頭目を集めた会議で告げた。
「代わりに、共通規則を七つ入れる」
子供から徴収しない。
薬と葬儀費へ高利を付けない。
縄張り争いで店を壊した側が補償する。
銃を抜いた者は、撃たなくても報告する。
死者、重傷者、失踪者を月末名簿へ載せる。
上納金の割合を文書にする。
ベランディの名を使って私的な借金を取り立てない。
「七つもある」
ロッシがぼやいた。
「守れないか」
「四つなら」
「どれを捨てる」
彼は一覧を見た。
最初の二つを指で避ける。
自分にも子供がいる。
銃の報告は面倒だが、他組織が隠す方が怖い。
上納金は書きたくない。
だがベランディ側が後で増やすことも防げる。
どれも、自分が被害を受ける側なら残したい規則だった。
「規則は、こっちの下にも適用されるのか」
フェッリが聞く。
「ベランディの直系にも」
「若頭が抜いた銃も?」
「報告する」
「誰が罰する」
「幹部会。異議があれば、五家の代表会議」
モーラが笑った。
「俺たちが、灰冠を裁く?」
「抜いた銃については」
「その後、俺の倉庫が燃えない保証は」
部屋が静かになる。
規則より先にある恐れだった。
俺が気に入らない裁定を受けた時、報復しないとどう証明するか。
「保証はできない」
モーラの口元が歪む。
「ただし、裁定後三か月以内にその家が被害を受けた場合、ベランディ家は説明義務を負う。
自分たちが関与していないことを、ほか四家へ説明する」
「疑われる側になる?」
「力が一番大きいなら」
ソフィアが提案を文面へ足した。
ソフィアがその一文を読み上げると、モーラはようやく紙を受け取った。
五家は七つの規則と一つの追加条項を持ち帰った。
その場では署名しない。
自分の下の者へ見せる。
三日後、舞台警備組が最初に賛成した。
劇場では、子役から金を取らない規則がすでにある。
フェッリ隊は、上納率を季節で変える修正を求めた。
雪で山道が閉じる月に、同じ額は払えない。
認めた。
船曳き連は、失踪者名簿を嫌がった。
密航者まで載せれば商売にならない。
「名を公開しなくていい。人数と、最後に見た場所は出す」
行方不明を、仕事の一部として消さない最低線を作った。
下部組織には、上納金と引き換えに三つを渡す。
共同の弁護士。
診療所の利用。
争いが起きた時の仲裁席。
さらに、ベランディの信用札。
札を持つ店は、仕入れを三十日後払いにできる。
一つの傘下が踏み倒せば、共同準備金から先に払う。
後で、家同士で回収する。
店は、どの団の若者が来ても同じ札を信用できる。
団は、自分だけでは借りられない額の荷を動かせる。
共同準備金の帳簿には、五つの家の名を別々に書いた。
署名の日、五つの頭目が別々の印を押した。
その下に、灰冠の輪を一つ。
「これで俺たちはベランディか」
フェッリが聞く。
「違う。フェッリ隊のままだ」
「では、この輪は何だ」
「お前たちが約束を破った時、俺たちにも取り立てに来ていい印だ」
フェッリは自分の印を指で確かめた後、その下へ灰冠を押した。
最初に傘の広さを悪用したのは、ベランディの直系だった。
新人の兄を名乗る男が、家賃を半年滞納した。
大家が退去を求める。
男は灰冠の受領証を机へ置いた。
「弟はベランディだ」
それだけで、大家は一月待った。
二月目、男はさらに金を借りた。
弟本人は何も知らない。
家の名を使ったのは組員ではなく家族だった。
共通規則の七番には、こうある。
-ベランディ家の名を使って、私的な借金を取り立てない。
借りる時については書いていない。
「抜け穴だ」
古参が言う。
「借りたのは家族。組員本人は命令していない」
「では、罰せない?」
ジャコモが聞く。
彼自身、南埠頭の兄妹へパンを渡していた。
血のつながりがなくても、同じことは起きる。
家族を助けたい。
そのために、自分の所属する力を少しだけ見せる。
最初は一月の家賃。
次に食費。
やがて、払わなくても相手が黙ると知る。
「本人を罰する前に、何を知っていたか聞く」
新人を呼んだ。
兄が家賃に困っていたことは知っていた。
自分の名を出したことは知らない。
ただ、受領証を一枚なくしている。
「落としたと思った」
「報告は」
「してない」
「なぜ」
「怒られるから」
小さな恐れが、家の名を半年貸した。
本人は、受領証の紛失不報告で処分。
一月の外回り停止。
兄の借金は兄へ返させる。
ただし、大家が灰冠を恐れて待った二か月分は、家が先に立て替えた。
「なぜ、うちが」
ロッシが聞く。
「名前が保証だと思わせた」
「勝手に思っただけだ」
「受領証を見せた後で黙った。勝手ではない」
大家は立替金を受け取っても、まだ不安そうだった。
「追い出したら、今度は本当に来ない?」
「来ません」
「兄弟が路上で死んでも?」
「住まわせる義務はありません。死なせない仕事は、こちらが別に探します」
大家へ慈善を強制しない。
兄弟には共同宿と仕事を案内する。
別の帳簿へ分けた。
新しい規則を加えた。
家の印、受領証、信用札を紛失した者は、その日のうちに報告。
家族が名を使った場合も、本人が知った時点で報告。
報告しただけでは処分しない。
隠した期間と、生じた損失で決める。
「家族まで監視するのか」
反発も出た。
「監視はしない。だが、家族が勝手に使った時、本人へ死刑を出さないために事実を分ける」
古い家なら、名を汚した者と身内をまとめて消した。
新しい受領証の裏には、紛失時の連絡先が大きく印刷された。
大家はそれを受け取り、灰冠の表ではなく、裏の番号を先に読んだ。
【用語紹介】
・傘下組織
ベランディ家の下で、元の名と仕事を保つ組織。
上納金を納め、共通の規則に従う代わりに、弁護士、診療所、仲裁席や信用札を利用できる。
別々の印の下へ押された灰冠は、ベランディにも責任を求められる印。
--
評価、コメントはページ下部よりお気軽に。
作者の励みになります。




