第65-2話 返事だけが先に届く
テオは、リーナへ好きだと言うつもりだった。
朝から決めていた。
言う場所も選んだ。
診療所の裏庭。
洗濯物が乾き、患者が減る夕方。
言葉は短い方がいい、とソフィアに聞いた。
「好きだ。これからも隣にいてほしい」
「結婚を申し込むの?」
「違う」
「では、何を求めるの」
「言うだけだ」
「相手に返事をさせる言葉よ」
考えていなかった。
テオは一日、仕事をしながら返事について考えた。
断られたら。
診療所へ行けなくなる。
怪我をしても、別の医師を呼ぶのか。
護衛で戻るたび、最初に探す顔を見られなくなるのか。
受け入れられたら。
何が変わる。
手をつなぐのか。
休診日を増やすのか。
結婚はまだ早い。
子供は分からない。
考えるほど、言葉が長くなった。
夕方、裏庭へ行く。
リーナは白い布を取り込んでいた。
「話がある」
「左腕?」
「違う」
「護衛の仕事?」
「違う」
「若様が怪我した?」
「してない」
「じゃあ何」
準備した言葉が消えた。
リーナの腕には、洗濯物が積まれている。
目の下に疲れ。前掛けへ薬の染み。
今日、患者を何人診たのか。
ここで自分の返事まで負わせていいのか。
「その布、持つ」
「話は?」
「後で」
布を半分受け取った。
二人で物干し台と診療所を往復する。
三往復目、リーナが聞く。
「好きって言うつもりだった?」
テオは布を落とした。
白い敷布が地面へ広がる。
「なんで分かる」
「朝から、私を見るたび口を開けてた」
「魚みたいだった?」
「少し」
二人で布を拾う。
端に土が付いた。
洗い直しだ。
「言わないの?」
リーナが聞く。
「疲れてるだろ」
「疲れてたら、好きじゃなくなる?」
「返事が面倒になる」
「もうしてる」
「何を」
「好きだって思ってる」
テオは、また布を落としかけた。
今度は左手で端を掴んだ。
うまく握れず、リーナが同じ場所を持つ。
「返事は?」
「必要なのか」
「相手に返事をさせる言葉なんでしょう」
ソフィアから聞いた会話まで知られていた。
「誰に」
「ソフィア様」
「聞いたのか」
「相談された」
「俺が相談したのに、なんでお前へ」
「私の返事だから」
筋は通っている。
腹は立つ。
「で?」
「私も、あなたが好き」
裏庭には、土の付いた白い布。
乾いた布を抱えた二人。
花も、指輪もない。
テオが一日かけて準備した一言は、最後まで言えなかった。
それでも、返事だけは先に届いた。
「これで、何が変わる」
聞いてから、情けない質問だと思った。
物干し台の脚は傾いたまま、敷布には土が付き、診療所の裏口では次の患者が咳をしている。
リーナは、二人で持っていた布を洗濯桶へ戻した。
「変えたいことは?」
「俺に聞くのか」
「二人の話でしょう」
テオは考えた。
仕事の帰りに診療所へ寄る。怪我をすれば診てもらう。
夕食が余れば運ぶ。リーナが夜勤なら、入口の椅子で朝まで眠ることもある。
どれも護衛と医療者、幼馴染、家族同然という言葉で説明できた。
「帰る時、先にここへ来ていいことにしたい」
「今までも来てる」
「許可を取ってなかった」
「怪我がなくても?」
「怪我がない時に」
リーナは桶へ水を足した。土の筋が白い布から薄く流れる。
「では、私も一つ。平気なふりをした日は、帰さない」
「恋人の条件か、それ」
「医療者としては前から」
「変わってない」
「急に全部変えたら、長く続かない」
彼女は布を押し洗いする。前掛けの袖が濡れた。
テオは右手を桶へ入れた。冷たい水が指の間を抜ける。
左手も入れようとして、途中で止めた。
火傷と古傷で、握る力が弱い。濡れた布は重い。
助けられる前に、自分でできる方を探す癖がついている。
リーナは左手を取らなかった。
代わりに、布の軽い端をそちらへ寄せた。
「ここなら持てる」
「患者扱い」
「恋人なら、持てない端まで渡していいの?」
「それは嫌だ」
二人で絞る。
右と左で力が違うため、布は斜めに捩れた。水がテオの靴へ落ちる。
リーナが笑った。
「下手」
「一人ならもっと上手い」
「二人でする練習ね」
洗い直した布を、もう一度干す。
今度は端と端を持った。
テオが背伸びをし、リーナが木の留め具を挟む。
風が入ると、白い布が二人の間で膨らんだ。
顔が見えなくなる。
布越しに、リーナが聞いた。
「手をつなぎたい?」
テオは返事に詰まった。
銃を向けられた時より、短い問いの方が逃げ道を奪う。
「つなぎたい」
布の向こうから手が出た。
右手だった。
テオは左手を出す。握り返す力は弱い。
リーナの指が、その弱さを確かめるように一度だけ動いた。
治療の触れ方ではなかった。
長くは続かなかった。診療所の中から呼ぶ声があり、二人とも手を離す。
離した後も、どちらの手がどこにあったかは覚えていた。
「明日の休診日」
テオが言う。
「栗を食べに行く?」
「仕事が」
「休診日だ」
「では、午前だけ」
「一日」
「昼まで」
「夕方まで」
「三時」
「決まり」
恋人になった最初の約束は、休む時間の値切り合いだった。
一日かけて用意した言葉より、白い布の方が先に落ちた。
花も指輪もない裏庭。濡れた布を、今度は端と端で持つ。
明日の約束は三時まで。
今日の洗濯物には、もう一度乾く時間が要る。
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