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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 3章 灰冠の下に増える席

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第65-1話 好きだと言う夜



ソフィアと夕食を取るのに、議題表が必要になっていた。


月曜は工房。

火曜は共同企業。

水曜は劇場街。

木曜は信用組合。

金曜は互いに別の会食。


同じ家へ帰る夜もあるのに、顔を見るのは会議室ばかりだ。


「今夜は仕事の話をしない」


俺が言うと、ソフィアは肉を切る手を止めた。


「病気?」


「健康だ」


「何か隠している」


「隠してもいない」


「怖いわね」


母の小さな食堂を借りた。


料理人も護衛も隣室へ下げる。


鍋を二人で温め直す。


火が強すぎ、底に焦げができた。


ソフィアが木匙で剥がし、俺が皿へ盛る。


二人とも料理は上手くない。


「焦げを下へ隠した?」


彼女が俺の皿を見る。


「表へ出す必要がない」


「帳簿の不正と同じ言い方ね」


「食べれば分かる」


「不正も後で分かるわ」


皿を交換された。


焦げの多い方が俺へ戻る。


「二十七歳になった」


「知ってる。贈り物をしたもの」


「袖留め」


「三日前から着けていない袖留め」


工房へ行く日は簡素な服へ替え、外していた。


「壊したくなかった」


「使わない方が贈り物は悲しむわ」


「物が悲しむのか」


「贈った女が悲しむの」


それならそう言えばいい、と以前の俺なら思った。


「次から着ける」


「工房では外して。石に傷が付く」


「どっちだ」


ソフィアが笑った。


仕事をしない夜は、思ったより難しい。


沈黙を議題で埋められない。


食器の音が大きく聞こえる。


隣室でテオが椅子を引く音まで分かる。


「何を考えてる?」


「仕事以外の話題を探してる」


「それは仕事ね」


「難しいな」


「では、今日いちばん腹が立ったこと」


「ロッシ団が仕事票を二枚なくした」


「仕事」


「あなたは」


「父が女優の配役へ口を出した」


「仕事だ」


二人で考える。


「母が、俺の幼い頃の話を診療所で皆にした」


「何を?」


「五歳まで、眠る時に布の犬を持っていたと」


ソフィアは木匙を置いた。


「初めて聞いた」


「忘れろ」


「仕事ではないわね」


「その条件は付けていない」


彼女は楽しそうだった。


俺は母を見つけた時のことを話した。


最初の言葉が『食べた?』だったこと。

嬉しかったのに、腹が立ったこと。

十年分を一度に抱いてもらえると思っていた子供が、自分の中にいたこと。


母と過ごす日が増えるほど、知らない癖も増えた。


眠る前に扉を二度確かめる。


白い花を部屋へ置けない。


甘い茶を嫌う。


俺が覚えていた母は甘い茶を飲んだ。


「変わったのか、覚え違いなのか分からない」


「両方かもしれない」


ソフィアは答えを出さない。


ただ、俺の皿へ焦げの少ない肉を移した。


「私も、父が謝れば全部終わると思っていた時がある」


「謝ったのか」


「いいえ。だから終わらなかった。でも、終わらないまま一緒に食べられる日は増えた」



食後、洗い物をした。


俺が皿を洗い、ソフィアが拭く。


一枚目は油が残った。

二枚目を落としかけた。

三枚目で、ようやく仕事らしくなる。


「いま、工程を改善しようとしているでしょう」


「布を二枚に分けた方が」


「仕事の話は禁止」


「皿の話だ」


「あなたにとって、全部が仕事になるのね」


責める声ではなかった。


ソフィアは濡れた手を、俺の袖で拭いた。


「袖留めをしていなくてよかった」


「わざとか」


「半分」


俺は彼女の手首を掴んだ。


強すぎない力を選ぶ。


彼女は逃げない。


近づき、短く口づけた。


焦げた肉と、石鹸の味がした。


「これも予定に入れる?」


「入れない」


「忘れそう」


「履歴を信じろ」


ソフィアが、もう一度口づけた。


「まだ、言っていないわね」


「何を」


「分からない?」


分かっていた。


「好きだ」


声にすると、短い。


前世で、欲しいと言って与えられなかったもの。

この世界で、失いたくないと思うほど口にできなくなったもの。


その短さが怖い。


「ソフィアが好きだ。

家のためでも、共同企業のためでもない。

あなたが俺の間違いを止めるからだけでもない」


手を握った。

口づけた。


「では、どうして」


理由を求められ、詰まった。


「分からない」


「そこは考えておいてほしかった」


彼女は笑っている。


「分からなくても、会いたい。

腹が立っても、次の食事をしたい。

あなたが俺の知らない場所で決めたことも、後から聞きたい」


ソフィアの目から、からかう色が少し消えた。


「私も、あなたが好き」


「理由は」


「たくさんある。でも、いま全部言えば議事録になる」


「一つだけ」


「焦げを隠しても、皿を交換されたら食べるところ」


「それか」


「今日は、それ」



明け方、食堂を出る前。


彼女は壁の議題表を裏返した。


白い面へ一行書く。


-来月第二日曜、夕食。議題なし。


「結局、予定表にするのか」


「守るためよ」


仕事は、放っておいても時間を奪う。


だから議題のない夜を、議題表へ書いた。


焦げた肉と、まだ少し油の残る皿。

仕事をしない夕食にも、二人分の失敗はある。

好きな理由を一つ聞かれて、今日の皿の話になる。

来月は、別の理由が一つ増えているかもしれない。


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