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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 3章 灰冠の下に増える席

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第63話 工房学校



最初の採用手続きは、四人目で止まった。


採用通知の受領欄を前に、十九歳の男が筆を握ったまま動かない。


「血判なら押せる」


「ここは名前を書く欄です」


ルカが言った。


「同じだろ。俺が押したって分かる」


「誓約を読めますか」


男は紙を見た。


月の給金。

勤務時間。

退職の権利。


どの言葉にも目が止まらない。


後ろにいた十一人のうち、三人も視線を逸らした。


自分の名前を書けない者が、十二人中四人。


足し算はできても、利息を計算できない者が七人。


それでも全員、銃の扱いだけは知りたがった。


俺は採用通知を閉じた。


「銃の前に、学校だ」


工房の二階。

夜六時から八時。

一時間は読み書きと会計。

一時間は仕事の規則と実地訓練。


講師はルカ、セレステ、テオ、マルコ、エヴァ、時々ソフィア。


俺は月に一度だけ話した。


若頭が毎晩出れば、学校ではなく訓示になる。


最初の授業の題は『借金』だった。


ルカが黒板へ百リラと書く。


「月五分の利息で借り、半年返さなければいくらですか」


「百三十」


ジャコモが即答した。


「単利なら」


「タンリって誰だ」


教室に笑いが起きる。


利息を元金へ足す。


次の月は、増えた金額へまた利息が付く。


手数料。

遅延金。

担保の保管料。

保証人への連絡費。


百リラは、契約書の下へ行くほど大きくなる。


「書いた者は、最初から全部を取るつもりか」


新人が聞いた。


「返済されれば、取らない金もあります」


「なら、なぜ書く」


「返せなかった時、選ぶ権利を貸した側だけが持つためです」


市場の高利貸しだけの話ではない。


俺たちも金を貸す。


銀行は土地や大きな倉庫を持つ者にしか貸さない。


ベランディは、その人間の商売、仕入れ先、家族、返済の癖を知っている。


担保は荷だけでなく、次の売上。


保証人は血縁だけでなく、同じ組合の二人。


返せない時は理由を調べる。

病気なら止める。

賭博なら本人の取り分を止める。

嘘なら信用札を剥がす。


「優しい金貸しですか」


セレステが聞いた。


「違う」


俺は答えた。


「取り返せる形で貸す金貸しだ」


店を潰して棚を奪えば、一度は回収できる。

店を来年も働かせ、その利益から返させれば、長く取れる。


慈善ではない。


店を壊して棚だけ持ち帰ることを、回収と呼ばないだけだ。


誰が約束を守り、誰が破った後に埋めたか。


俺たちは銀行の帳簿にない暮らしまで知っている。


その記憶が一番危ない。好かれた者の遅れは消え、嫌われた者の失敗だけが残る。


だから紙へ移し、本人にも見せる。



二か月目、実地授業をした。


生徒へ一枚ずつ借用証を渡す。


すべて、実際に市場で使われていたものの名だけを変えた。


「借りる側として、署名できると思ったら署名してください」


十二人中、九人が署名した。


ジャコモもした。


セレステはしない。


「理由は」


「返済期限が二つあります」


表には三十日。


裏の細字には、貸主が危険を感じた場合は即時。


危険の定義はない。


「貸した側が不安になれば、その日に全額返せと言える」


ジャコモは契約書を裏返した。


「でも、返せるなら問題ないだろ」


「三十日あると思って仕入れた翌日に言われたら?」


「売る前だ」


「だから返せない。担保を取られる」


九人が自分の署名を見た。


紙に書いた名は、読めなかったことを理由に戻ってこない。


「破っていい?」


一人が聞く。


「授業なので」


紙を破る音が続いた。


「本物なら?」


ルカが聞く。


「相手と交渉する」


「応じなければ」


「払う」


「払えなければ」


「担保を取られる」


「それが署名です」


破った紙片を、九人はすぐに捨てなかった。



三か月目に、銃を出した。


弾は入っていない。


机へ置くだけ。


十二人の目が紙より真剣になる。


テオが部品を外し、安全確認を教える。


「撃ち方は来月だ」


不満の声。


「今日は、撃たない判断を覚える」


扉の向こうに人がいる時。

相手の後ろに群衆がいる時。

酒を飲んだ時。

怒っている時。

命令した者の顔が見えない時。


一つずつ、銃を机へ置く。


「そんなに撃てない時があるなら、いつ撃つ」


「撃たなければ、自分か守る相手が死ぬと判断した時」


「誰が決める」


「その場のお前だ」


「間違えたら」


テオは左腕の袖を少しまくった。


「撃った後、一生かけて間違いだったか考える」


新人たちは、弾の入っていない銃を一人ずつ机へ戻した。


半年後、最初の試験をした。


銃ではない。


実在の商人が持ち込んだ融資申請を、本人の前で読む。


利息を計算する。


返済が遅れた場合を説明する。


貸すかどうかは決めない。


自分が理解したことを、借りる本人が理解できる言葉へ直す。


ジャコモは数字を一度間違えた。


商人に指摘され、最初から計算し直した。


セレステは正確だったが、説明が速すぎた。


商人に「分からない」と言われ、紙へ林檎の絵を描いた。


百個仕入れ、何個売れば一回分を返せるか。


それで通じた。


十二人のうち十人が合格。


二人は翌月に再試験。


落ちた者を追い出さない。


まだ他人へ紙を渡させないだけだ。


試験が終わると、商人はセレステの林檎の絵を借用証と一緒に持ち帰った。


銃は、その日も鍵棚から出なかった。


ベランディ家の入団式には、血判があった。


左手の親指を切る。


灰冠の紙へ血を付ける。


家の秘密を漏らせば、この血を全部返すという誓いを読む。


父もした。


マルコも、ブルーノも、若い頃のテオもした。


工房学校の仮修了者を入れる前夜、古参が短剣を持ってきた。


銀の柄。


切先は、何十人分も研がれて細くなっている。


「使わない」


俺が言うと、部屋の空気が変わった。


「伝統です」


古参の司式役が答える。


「誰の血か分からない刃で指を切るのは、伝統より感染だ」


「火で焼きます」


「問題は、そこだけじゃない」


血を出さなければ家へ入れない。


ジャコモのような者にとって、指を切る方が、毎日規則を守るより簡単だった。


ブルーノは白紙の誓約書をつまみ上げた。


「紙へ何を付ける」


「署名」


「役所と同じだ」


「違う物にしたいなら、誓いの中身を変える」


古い誓いを読んだ。


家へ絶対の忠誠。

命令への服従。

裏切りには死。


家族より家を優先する。


「この通りに守らせるのか」


誰もすぐには答えない。


俺たちは給金規定を作り、異議申立書を渡し、家族休暇を認めた。


古い誓いとは、すでに違う家になっている。


「血判をなくせば、遊びで入る者が出る」


「指の傷は一週間で治る。給金を数え、規則を守り、仲間の失敗を報告する方が長い」


新しい誓約を作った。


預かった金を自分の金にしない。

家の名で私的な復讐をしない。

命令が規則に反する時は、従う前に報告する。


武器を使った時は、理由だけでなく結果を記録する。

家を去る時、知った秘密を売らない。

家の側も、給金、治療、弁護、退職の権利を守る。


入る者の欄と、入れる家の欄を同じ紙へ作った。


「破ったら死か」


ジャコモが聞いた。


「破った内容に応じる」


「秘密を売ったら」


「損害を返させる。人が死ねば、裁判へ出す」


「家で殺さない?」


「逃げる敵と戦う時はある。罰として殺す権利は持たない」


古参の何人かが席を立った。


「これはファミリーではない」


出ていく背を止めなかった。


ブルーノは残った。


銀の短剣を手に取る。


「俺の傷は、無駄だったか」


左親指に古い線がある。


「無駄にしないため、次の者へ同じ傷を求める?」


「そうしてきた」


「父に殴られた父親が、息子を殴るのと同じだ」


ブルーノの目が鋭くなる。


言いすぎたかもしれない。


それでも引かなかった。


長い沈黙の後、彼は短剣を鞘へ戻した。


「なら、この刃はどうする」


「残す。昔、何を誓わせたか忘れないために」



入団式の日、十二人は指を切らなかった。


一人ずつ誓約を読む。


意味の分からない語があれば、その場で聞く。


ジャコモは『私的報復』で止まった。


説明を聞き、もう一度最初から読んだ。


最後に本人と俺が署名する。


ブルーノは銀の短剣を机の中央へ置いた。


使わない刃として。


「血がないと、軽いな」


テオが自分の親指を見る。


「なら、明日から重くしろ」


ブルーノが新人たちへ言った。


「明日も来い。遅れるな」


最初に手続きを止めた男は、自分の名を行からはみ出して書いた。


「もう一枚、要るか」


ルカは首を振った。


「読めます」


式が終わると、銀の短剣だけが刃を汚さずに残った。


その横には、二つずつ署名のある紙が十二枚並んでいた。


【用語紹介】

・工房学校

共同工房の二階で、夜に開く学校。

読み書きと会計、仕事の規則や実地訓練を学ぶ。

銃を教える前に、自分が署名する紙を読めるようにする場所。

試験に落ちても、翌月にもう一度。


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