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第59話 百八十七回目



試験用の板を、人の手で千回押す。


言葉にすれば、それだけだ。


俺も百回くらいならまぁ、簡単だと思った。


千回と言われた時には、聞こえなかったふりをした。


最初の百回は、ニコが行った。


同じ高さまで取っ手を下げ、同じ速さで戻す。


板の中央へ荷重をかけ、石の表面へ貼った温度紙を読む。


百一回目から、バッシ工房の職人へ替わった。


二百三十回目で、押す腕が速くなった。


三百回目には、戻す高さが指一本分だけ浅くなる。


五百回を越える頃、板より先に人間の肩が壊れかけた。


「昨日の石は、八百で亀裂が入った」


エヴァが記録を見た。


「今日の石は、同じ山の同じ層から切ったのに、千二百でも割れない」


「こっちが丈夫だったんだろ」


ニコは汗を拭いた。


「あなたの腕が、昨日より疲れてる」


石の違いを調べるはずが、先に人間の疲れが数字へ混じった。


押す者を交代すれば、力が変わる。

同じ者へ続けさせれば、疲労が変わる。


千回という数だけ揃えても、千回の中身は揃わない。



「人が押さなければいい」


昨日はみんな疲れ切って帰った。


今日は年長のバッシ職人が、工房の天井を見上げていた。


そこには、荷揚げ機から外した太いばねが吊ってある。


船荷を下ろす時、綱が急に緩んでも荷台を跳ねさせないための物だった。


「ばねで、同じところまで戻す。足踏み板で押せば、腕より長く続く」


俺は足踏み板を踏む真似をした。


「足も疲れる」


「交代できる。戻る力はばねが決める」


マルタは劇場街へ手紙を送った。



三日後、舞台係が壊れた風装置を荷車で運んできた。


舞台の幕を膨らませ、霧を流すための大きなふいごである。


「これで板を押すの?」


「押す時の力で、塩水も吹きつける」


乾いた工房で丈夫な板が、海辺の倉庫では三月で腐食した。


圧力と湿気を別々に試すだけでは、二つが重なった時の壊れ方を見落とす。


足踏み板を下げる。

ばねが試料を押す。

戻る力でふいごが縮み、細い管から塩水の霧が出る。

歯車が一目盛り動き、紙へ小さな穴を開ける。


百回ごとに穴の位置をずらせば、字が読めない者でも回数を数えられる。


「誰の設計にする」


舞台係が聞いた。


特許のためではなかった。


壊れた時、誰が直すかという意味だった。


枠はバッシ工房。

圧力板と測定部は共同工房。

ふいごは劇場。

石の試料は山の採掘班。


誰か一人の設計ではない。


俺には大勢で作った方が丈夫そうに見えた。


ニコによれば、故障した時に四人とも隣を指せるという意味でもあるらしい。


「部品ごとに担当名を刻む」


ニコが言った。


「失敗を押しつけるため?」


「直せる奴を呼ぶためだ」



十二日かけて、一号試験台が組み上がった。


エヴァは同じ層から切り出した試料を十枚並べた。


一枚目を挟む。


俺が足踏み板へ乗った。


一回。

霧が出る。


二回。

紙へ穴が開く。


十回目で、見物していた者たちが数を声に出さなくなった。


五十回目から、バッシの若い職人へ替わる。


百回を越えても、ばねの戻る高さは変わらない。


百八十七回目。


乾いた音がした。


全員が試料を見た。


石には、亀裂がない。


ふいごの軸が折れていた。


塩水が床へこぼれ、記録紙の端を濡らす。


「舞台の軸が弱い」


「荷揚げ用のばねが強すぎるんだ」


「休止時間を入れなかった試験計画にも問題がある」


三人の指が、きれいに別の方角を向いた。


ニコの言ったとおりになった。


ニコは折れた軸を拾い、作業台へ置いた。


「誰のせいかは、後で書け」


「書くのか」


「消したら、二号機も同じところで折れる」


「なら、まず誰が直す」


誰も答えなかった。


部品には名がある。


だが、折れたのは部品と部品の間だった。


そこには誰の名も刻んでいない。


俺は濡れた記録紙を持ち上げた。


「四人で作ったなら、壊れたところも四人の真ん中だろ」


「お前、たまに賢いことを言うな」


ニコが言った。


「護衛の仕事は、賢さを隠すことなんだ」


舞台係が軸を太くした。


バッシ職人は、ばねの戻りを二段へ分けた。


エヴァは一時間ごとに停止し、軸の温度を測る欄を試験表へ加えた。


共同工房の見習いは、こぼれた塩水を受ける溝を枠へ彫った。


二号機は、二百回を越えた。


五百。

千。

千五百。


足を替える人間の方が先に七人になった。


二千回を前に、数値が急に下がった。


石は割れていない。


圧力も、霧の量も変わらない。


「測定紙が古い」


ニコが新しい物へ貼り替えた。


色は、やはり薄い。


「試料の性能が落ちた?」


エヴァは、一号機の記録と見比べた。


同じ層の石が、同じ回数より早く弱っている。


故障箇所を直したせいで、石へ強い力が届くようになった可能性もあった。


全員が機械を囲む間、検査見習いが窓を閉めた。


外から雨が吹き込んでいた。


工房の冷たい空気が、炉の熱でゆっくり戻る。


温度紙の色も、わずかに戻った。


「待って」


エヴァは窓を開けた。


色が薄くなる。

閉める。

濃くなる。


石ではなく、部屋の温度が測定へ混じっていた。


「そんなの、最初に分かるだろ」


バッシ職人が言う。


「分かっていた。知っていたから、記録するのを忘れた」


エヴァは自分の試験表を見た。


荷重、湿度、回数、軸の温度。


室温の欄だけがない。


知っていたせいで、測る必要がないと思い込んだ。


一号機の数字も、そのまま比較には使えなくなった。


「やり直すのか」


「やり直す」


「千八百回だぞ」


「千八百回で気づいたと書いて、やり直す」


ニコは試料を外した。


捨てずに、番号をつける。


本当にやるのかと、俺は言いかけたが、それは必要だとすぐに思い直した。


そして失敗した試験も、別の条件を確かめる時には使える。



話し合いの結果、窓の開閉を禁じるのではなく、室温計を二か所へ置いた。


雨の日、晴れの日、炉を使う日。


三つの条件で同じ試料を試す。


二号機の最初の正式記録は、完成から四日遅れた。


正式試験の途中で、バッシが機械を止めた。


「この石は、もう外せ」


針は基準内にある。


温度紙も変わっていない。


亀裂は見えなかった。


「根拠は?」


エヴァが聞く。


「音だ」


一回ごとに鳴る低い響きへ、薄い擦れが混じっているという。


俺には、さっきまでと同じ音にしか聞こえない。


ニコにもエヴァにも分からなかった。


機械の数字だけを基準にすれば、止める理由はなかった。


「親方の勘で試験を止めるなら、人の腕で押してた頃と同じよ」


「親方じゃない」


バッシは言い返した。


「だから、勘だと言って捨てる前に確かめろ」


試料を外し、油を落として拡大硝子へ置いた。


表面には何もない。


裏の銅板を剥がすと、留め穴の内側に白い筋が一本あった。


外から見えない亀裂だった。


「何回前から聞こえた?」


「二十回くらいだ」


「くらい、では記録にできない」


「耳に目盛りはない」



翌日から、バッシへ十枚の試料を聞かせた。


亀裂のある物と、ない物を混ぜる。


七枚は当てた。


三枚は外した。


七つ当てた耳を、三つ外した耳のまま規則にはできない。


劇場の楽器職人が、細い金属管を持ってきた。


片端を試料の枠へ当て、もう片端へ薄い膜を張る。


音が変わると、膜の上の砂模様も変わった。


バッシの耳を、そのまま規則にはしない。


耳が拾った違いを、別の職人も見られる形へ移す。


砂模様の検査が増えた後、見えない亀裂は平均して四十回早く見つかった。


「機械が俺の耳を盗んだ」


バッシは不満そうに言った。


「違う。あなたがいなくても、次の人が見つけられるようにしたの」


エヴァが答える。


「縁起でもないな」


「技術は、だいたい縁起でもない理由で記録するものよ」


三千回目で、針がわずかに跳ねた。


今度は故障ではない。


試料の端から、髪の毛ほどの亀裂が伸びていた。


「止めて」


エヴァが叫ぶ。


壊れるまで押すはずだった。


だが完全に割れば、亀裂がどこから始まったか分からなくなる。


三千という数字だけでなく、最初の一本を残すために止めた。


次の試料は、五千回でも割れなかった。


別の石は、九百回で熱の戻りが鈍くなった。


乾燥時には弱かった石が、一定の湿度では長く働いた。


黒い捨て石は圧力板には向かなかったが、枠の振動を散らし、試験台そのものの揺れを減らした。


上質、中質、捨て石。


値段で三つに分けていた石が、用途と壊れ方で十五に分かれた。


湿気に耐える石。

乾いた場所でしか使えない石。

割れる前に熱が落ちる石。

熱を保ったまま突然割れる、危険な石。


色や光だけでは見えなかった違いが、穴の列と温度紙の色になった。


「これを全部、製品札へ書くの?」


マルタが十五枚の記録を見た。


俺も十五枚を上から眺めた。


「客は読まないぞ」


「読まない人へ、何を一番大きく書くか決めるために調べたの」


マルタは、使ってはいけない場所を赤く囲んだ。


売り文句より先に、禁じる用途を書く。


ニコは区分ごとに、交換線の深さを変えた。


エヴァは、試験を通った石にも期限をつけた。


安全な石が見つかったわけではない。


危ない石を、客の手へ渡る前に止められる回数が増えただけだ。



その夜、二号機は次の板を押し続けた。


工房の外まで、一定の音が響く。


俺は二百まで数えた。


百八十七回目で、今度は止まらなかった。


そこから先は、紙の穴に任せた。


耳には目盛りがない、と元親方は言う。

薄い膜の上で、砂の模様が変わる。

自分にしか聞こえなかった音を、隣の職人が覗き込む。

バッシの顔は、相変わらず不満そうなまま。


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