↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
第2部 2章 灰青を預かる者たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/98

第58.5話 会計係の昼寝



ルカが机で眠っている。


ニコからそう聞いた時、俺は冗談だと思った。


その冗談みたいな事実は、銃声より早く工房へ広まった。


最初に見つけたのはニコだった。


工具代の申請書を出しに会計室へ入り、扉を閉めずに出てきた。


「大変だ」


「何が爆ぜた」


エヴァが顔を上げる。


「ルカ」


「爆ぜたの?」


「寝てる」


六人全員が、会計室の入口へ集まった。


ルカは頬を机へ付けている。


眼鏡は外して、インク壺の横へ畳んであった。


頭の下には未記入の支払票。


最初から五分だけ眠るつもりだったらしい。


「死んでないよな?」


ニコが囁く。


俺は机越しにルカの背を確かめた。


「胸が動いてる」


「眼鏡を取ったなら計画的睡眠です」


マルタの肩が少し下がった。


「帳簿を取ったら起きるかしら」


エヴァが言うと、全員が止めた。


ルカは四日間、返品準備金、第十型の原価、採掘班への配分を計算し続けていた。


昨夜は倉庫番が数字を一桁間違え、夜明けまで帳尻を追っている。


若頭が不在だから、というより、若頭が戻った時に一枚で説明しようとしていた。


誰にも頼まれていない仕事だった。


「寝かせておけ」


ブルーノが低く言う。


「でも、今日中の支払いが八件あります」


マルタが壁の予定表を見る。


採掘班の試験買い。


返品客への返金。

バッシ工房の共同材料費。

火傷薬の仕入れ。

運送人十五人の給金。


「起こすか」


俺が言う。


「俺たちでやる」


ブルーノが答えた。


「無理だろ」


「お前が最初から諦めるな」


奇妙な会計会議が始まった。


ニコは工賃を知っている。


エヴァは試料数と不良率を計算できる。


マルタは売上と返金を把握している。


俺は数字が苦手だが、誰が何時間働いたかはよく覚えている。


数字ではなく、顔と愚痴で覚えていた。


ブルーノは字を書くのが遅い代わりに、古参の家族構成を知っていた。


五人の知識を合わせれば、一枚の支払票を作れる。


ただし、ひどく時間がかかった。


「運送人十五人。一日七時間」


マルタが読み上げる。


「うち三人が夜番二時間。雨天手当が全員。荷崩れ対応が二人」


「十五足す七は二十二」


俺が言った。


「足しません」


「じゃあ、掛ける」


「なぜ最初に足したの」


「計算は足し算から始めるものだろ」


エヴァが黒板へ十五掛ける七と書く。


ニコが百十五と言う。


マルタが百五だと直す。


ブルーノが、そもそも一人は途中で帰ったと指摘する。


その一人が妻の出産で帰ったことは、俺だけが覚えていた。


規定上は家族休暇になるはずだ。


「規定の何頁?」


「知らない」


「なぜ内容だけ知ってるの」


「本人が三日前から、帰っていいか俺に聞いてた」


規定書の四十二頁に、本当にあった。


「役に立つじゃない」


エヴァが言う。


「もっと驚け」


「驚いてる。数字以外で」


紙が四枚、書き損じになった。

インク壺を一度倒した。

俺の袖が青く染まった。

ニコは返金額と交換品の原価を混ぜた。


「どっちも出ていく金だ」


「返金は現金、交換は在庫です」


マルタが消す。


「在庫も金だろ」


「だから、別の欄で減らします」


「会計は同じものを分けすぎだ」


「職人は違う石を同じ色でまとめすぎです」


「それ、昨日謝っただろ」


言い争う声が大きくなるたび、会計室を見る。


ルカは起きない。


ブルーノが自分の外套をそっと掛けた。


「昔は、あいつも金を数えられなかった」


俺は外套の下のルカを見直した。


「嘘だろ」


「父親の借金額だけは覚えていた。給金をもらうたび、全部返そうとした」


「返したの?」


「若頭が、子供の借金ではないと帳簿から外した」


だからルカは、他人の金を一桁も曖昧にしないのだと、ブルーノは言った。


実際、眠るまで数えていた。


眠るまで数える姿を忠誠と呼べば、周りの五人は何もしなくて済む。


ブルーノは外套を掛けた手のまま、しばらく動かなかった。


「次から、誰が手伝う」


マルタが聞く。


全員が目を逸らす。


「俺、足し算からだぞ」


エヴァは黒板へ白墨を当てた。


「だから覚えるのよ」


「石の分類表より、数字の方が多い」


「分類表の数字を会計へ渡しているのは、あなたたちです」


昼前、八枚の支払票が完成した。


五人で署名する。


誰か一人の責任にしないため、担当欄を分けた。


勤務時間は俺。

工賃はニコ。

返金はマルタ。

試験費はエヴァ。

家族手当はブルーノ。


合計だけは、全員でもう一度数えた。


ルカの机の端へ置く。


「間違ってたら、怒るでしょうね」


「怒る元気が戻ったならいい」


ブルーノは外套の肩を直した。



昼過ぎ、ルカが目を覚ました。


まず眼鏡を探す。


次に外套へ気づく。


最後に支払票を見た。


五人は離れた場所で、それぞれ働くふりをしている。


工具を磨く必要のない俺まで、布を持っていた。


何かしている顔に見えればよかった。何を磨くかまでは考えていない。


ルカは票を上から下まで確認した。


一枚目。

二枚目。

三枚目。


赤い筆を取る。


俺は顔をしかめた。


赤い丸が一つ付いた。


「夜番手当が、一リラ多いです」


「やっぱり間違えた」


「いいえ」


ルカは規定書を開いた。


「今月から南倉庫は危険区分が一つ上がった。

規定の方が一リラ少ない。

次回改定までの差額を、特別手当として追記します」


「合ってたのか?」


「偶然です」


「褒めろよ」


「支払票は、偶然で合ってはいけません」


いつもの声だった。


五人が安心して息を吐く。


ルカは外套を畳み、ブルーノへ返した。


「それと」


全員が身構える。


「ありがとうございました」


頭を下げる。


俺は持っていた布を落とした。


「もう一回言ってくれ」


「記録してあります」


ルカは礼を言った後、立ち上がろうとして机へ手をついた。


まだ足に力が戻っていない。


マルタが椅子を引き直す。


「今日は帰ってください」


「支払い後の残高を確認してから」


「五人で確認します」


「それが心配です」


「偶然で合った支払票を作った五人です」


「余計に心配です」


いつもの言い合いに戻りかける。


ブルーノが、ルカの眼鏡を取り上げた。


「見えません」


「見えなければ、帳簿も読めん」


「返してください」


「飯を食ったらな」


工房の食堂へ連れていく。


昼を過ぎ、煮込みは鍋底に少ししか残っていない。


六人で分けると、一人分は小さな椀になった。


「なぜ、四日も一人でやったの」


エヴァが聞く。


ルカは匙を止めた。


「一人の方が早いからです」


「眠ったら、全部止まった」


「止まりませんでした」


「だから次も一人でやる?」


ルカは答えなかった。


家が六分の一になった頃、食費を数えたのは彼だった。


豆袋があと何日。

負傷者の薬代。

遺族へ渡す額。


数字を一日止めれば、誰かの皿が空になる。


たぶん、あの頃からだ。


ルカには帳簿を閉じることが、自分だけ先に食べることのように見えるのだろう。


「私が寝れば、知らないところで不足が出ます」


「俺が見張りを外れれば、若頭が撃たれる」


俺が言った。


「同じにしないでください」


「同じだ。だから、俺も前は便所まで付いていこうとした」


「今は?」


「怒られた。扉の外にいる」


ニコが匙を落として笑った。


ルカも、少しだけ口元を緩める。


「帳簿の外にいろってこと?」


マルタが聞く。


「せめて寝る時は」


ルカは小さな椀を空にした。


「では、今夜は帰ります」


「今夜だけ?」


「次の夜は、次の議題です」


ルカは、五人の票をもう一度見てから眼鏡を外した。


翌朝、俺が会計室を覗くと、机には支払票が積まれていた。


数字の位が一つずれた票。

仕入先の名が歪んだ票。

ブルーノの太い指で、紙の端が破れた票。


ルカは赤い筆を取り、一枚目の間違いへ丸を付けた。


書き直しはした。


用紙の上の五人の名は、消さなかった。


二時間十三分の昼寝のあと、会計係はいつもの声で支払票を叱った。

五人とも、それで少し安心した。

外套は返す相手がいる。

机に落ちた糸くずくらいは、もう少しそのままでもいい。


--

評価、コメントはページ下部よりお気軽に。

作者の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。