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第56話 留守を預かる六人



話は少し遡る。


兄ちゃん、いや、ドンたちが港を出た翌朝、魔晶石工房の会議は三分で止まった。


理由は簡単だ。


誰も、真ん中の椅子に座ろうとしなかった。


もちろん、俺もだ。



長机には六人いる。


ルカは帳簿を抱え、俺は座らず壁へ寄り、ブルーノは太い杖を膝に挟んでいる。

エヴァの指には石粉、ニコの前掛けには油。

山の食堂から出荷期だけ港へ来るマルタ・ベルティは、朝届いた苦情票をもう製品別に分けていた。


若頭が出発前に残した権限表は、中央の椅子へ置かれている。


価格変更はルカとマルタ。

製造停止はエヴァとニコ。

警備と回収はブルーノと俺。


四人以上が賛成した案件は、帰還を待たず実行できる。


誰が真ん中に座るかは書いていない。


「空けておけば、戻ってきた時に分かりやすいだろ」


俺は壁にもたれて言った。


「空席を中心に会議をするのは、留守番ではありません」


ルカは帳簿を抱えたまま答える。


「何なんだ」


「降霊術」


ニコが吹き出した。


エヴァは笑わず、苦情票を机へ広げた。


「椅子が決まるまで、石は待ってくれるの?」


待たない。


朝だけで苦情が八件届いていた。


第八型保温板が、海辺の食堂では山間部より早く冷える。

第六型警報器が、荷車の振動で勝手に鳴る。

乾燥布を交換した後、板の縁から青い粉が出た。

昨日まで正常だった定温箱が、今朝は片側だけ熱い。


どれも人は死んでいない。

火傷もない。


だから、売れはする。


「第八型だけ、海辺向けを止めます」


エヴァが言った。


「原因が分かるまで」


マルタは海辺から届いた苦情票を一枚持ち上げた。


「山向けは?」


「苦情はない」


「同じ製造番号の石を使っています」


ルカが帳簿を開く。


「止めるなら全部では」


「使う場所で結果が違うのよ」


「客は、同じ第八型だと思っています」


「なら客が間違ってる」


「そう売ったのは、こちらです」


会議が止まる。


エヴァは石を見ている。ルカは、同じ名で買った客の顔を見ている。


俺は答えを探して空席を見た。


椅子は何も言わない。


座らない限り、ただの家具だった。


ブルーノが杖で椅子を引く。


真ん中へ座るのではなく、横向きにした。


背もたれへ太い腕を載せる。


これで、誰の席でもなくなった。


「石を持ってこい」


ルカは抱えた帳簿を開かない。


「会議中です」


「分からん物を机へ載せずに、何を決める」


工房の床へ、第八型を十二枚並べた。


苦情が出た海辺用六枚。

同じ日に作った山向け六枚。

外見は同じ。


灰青石を薄い銅板へ挟み、乾燥布で覆い、木枠で留めてある。


一枚を開く。


海辺用の布は、指で押すと湿っていた。


石の表面に白い膜がある。


「塩?」


俺が舐めようとすると、エヴァに手を叩かれた。


「何するの」


「塩か確かめる」


「毒だったら?」


「塩なら?」


「あなたが馬鹿だと確かめられる」


ニコが薄片を削り、湯へ入れた。


銀の試験紙が黒くなる。


塩分がある。


海の湿気を吸った布から、塩が石の微細な溝へ入っていた。


魔晶石は、何もない場所から熱を作らない。


内部を走る細い筋が、周囲の熱を特定の方向へ通しやすくする。


鍋から外へ逃げる熱の一部を、内側へ戻す。


表面へ塩水が入ると、その筋の間で熱が横へ散る。


山では働き、海では鈍る。


同じ石でも、場所が違えば同じ道具ではなかった。


「乾かせば戻る?」


マルタが聞く。


「たぶん」


「たぶんでは、客へ言えません」


「なら試す」


窯の余熱へ一枚入れた。


二時間待つ必要がある。



会議は、椅子ではなく実験台の周りへ移った。


待つ間に、第六型を開く。


こちらは乾いている。


圧力を受ける石の向きが、設計図と逆だった。


押した時ではなく、荷を離した時に強く震える。


荷車が石畳で跳ねるたび、押す、離すを繰り返して警報を鳴らしていた。


「誰が逆に入れた」


ブルーノが聞く。


ニコは製造印を見る。


「俺だ」


「六枚とも?」


「同じ日の班長だった」


「見本は」


「見た。色の濃い面を上にした」


「設計書には筋を見ろとあるわ」


「筋なんか、削ったら見えねえよ」


エヴァとニコの声が強くなる。


エヴァには石の筋が見える。


ニコは、油と粉の飛ぶ作業台で、その筋が見えなくなる時を知っている。


俺にはどちらも見えない。


ただ、片方を怠け者にして終われば、次の六枚も逆さに入る。それくらいは分かった。


「色ではなく、切る前に向きを刻む」


俺は石を持ち上げた。


「採掘場で印を入れられないのか」


エヴァが考える。


「割った直後なら筋が見える。山側の工程を一つ増やせば」


ルカの指が、帳簿の費目欄で止まる。


「費用は?」


「一個につき、銅貨二枚」


「完成後に六枚戻るより安い」


一つの苦情から、採掘場の手順まで戻る。


若頭がいれば、山側へ交渉文を出せと命じただろう。


いまは、その文へ誰が署名するかを決めなければならない。


「私とニコで出す」


エヴァが言った。


「間違えた班長の名も入れる」


ニコが答える。


「入れろ。隠す方が格好悪い」


二時間後、乾かした第八型を試験した。


同じ量の湯を入れた二つの鍋。


片方に板を巻く。


三十分ごとに、蝋の軟らかさを指で確かめる。


最初の一時間は、山向けと同じように働いた。


二時間目、また熱が逃げ始めた。


表面を乾かしても、石の内部へ入った塩分が残っている。


「乾燥布を厚くするだけでは足りない」


ニコが板を割った。


石の断面は、中心まで白く曇っている。


エヴァは床に白線を三本引いた。


熱。

振動。

圧力。


石を製品番号ではなく、反応ごとに分け始める。


熱型の中にも、熱を戻すもの、ゆっくり横へ逃がすもの、一定以上で急に働くものがある。


振動型には、高い音を拾うもの、低い揺れを受けるもの。


圧力型には、押された瞬間、押されている間、離された時。


産地。

筋の方向。

湿度への弱さ。

耐えた試験回数。


夕方までに、項目は十二になった。


「いままで、製品ごとに一型から九型まで付けた番号は何だったんだ」


俺は床を見た。


「製品ごとの形です」


ルカが答えた。


「石の性質ではない。同じ第六型でも、温熱板と警報器は別の系列です」


「同じ色だから、同じ石だと思った」


「同じ鉄なら、鍋と銃も同じか?」


ブルーノが言った。


俺は空席を見て、それから石を見た。


「違うな」



日が落ちた。


第八型を全部止めるか、海辺用だけ止めるか。


朝の問いへ戻る。


マルタは苦情票を読み直した。


海辺以外でも、使用場所を書かなかった客がいる。


山向けとして売った板が、川船へ積まれた可能性もある。


「全部止めます」


エヴァが手を上げた。


ニコ。

マルタ。

ルカ。

四人。


俺とブルーノも上げた。


全会一致だった。


「若頭が戻る前に、売上を止めたな」


俺が言う。


「戻るまで待てば、板は売れます」


ルカが議事録へ線を引いた。


「問題があると知った後の売上は、利益ではありません。まだ金額が決まっていない借金です」


停止札を工房の扉へ貼る。


理由を書く。


海辺で性能が落ちたこと。

石の向きが確認できない製品があること。

再開条件は、分類、方向印、防湿試験。


若頭不在、とは書かなかった。


客にとって、誰が留守かは品質と関係がない。


働く者にとっては、関係があった。


停止札を貼って十分もしないうちに、製造班の二十人が工房前へ集まった。


「いつまで止める」


最前列の女職人が聞く。


「防湿試験が終わるまで、最短で七日です」


エヴァが答えた。


「七日分の給金は」


六人が互いを見る。


権限表には、製造停止の権限がある。


止めた者の給金をどうするかは書かれていない。


俺は先に手を上げた。


「払う」


ルカは帳簿を膝の上へ開く。


「財源を確認してからです」


「止めた後に確認するのか」


女職人の声が硬くなる。


「子供へ、今夜から七日分食べるなと言えない」


停止札を貼った時、エヴァは仕事が一つ終わった顔をしていた。


女職人の一言で、その顔が変わった。


札の裏側に、二十の食卓がある。


俺にも、そこでやっと見えた。


商品は止めた。腹まで止めるつもりはなかった。


ルカは帳簿を床へ広げた。


返品準備金は、客へ返す金だ。


仕入れ金を崩せば、山の採掘班へ払えない。


役員報酬を止めても、二十人の七日分には届かなかった。


「では、いくら出るの」


女職人が聞いた。


ルカは数え直した。


一度。


もう一度。


普段なら数字を読み上げる彼が、口を開かない。


「明日、返品窓口を開きます」


マルタが言った。


「板を持っていないけど」


「あなたも来て」


「客の列に?」


「止められた側の列です」


女職人は、返事をしなかった。


後ろの十九人も、停止札の前から一人ずつ離れた。


真ん中の椅子は一日中空いたままだった。


夕方、ブルーノがそこへ苦情票の箱を載せた。


【用語紹介】

・六人委員会

レオーネの留守を預かる、テオ、ルカ、ブルーノ、エヴァ、ニコ、マルタの六人。

四人以上の賛成で、事業を守るための判断を下す。

製造停止も給金の手当ても、帰ってくる若頭を待たずに決める。


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