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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
6章 血を流さない戦争

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第40.5話 山の硬いパン



ラファエレ・ヴァレンティは救助された子供が残した歯形つきの硬いパンを、朝の会議卓から片づけられなかった。


パンは小さい。


山の子供が朝に持たされる、硬く焼いた黒パンだ。昨日、保線小屋から引き出された娘が、毛布にくるまれたまま握っていた。半分だけ噛み、疲れて眠った。


誰かが会議前に片づけるはずだったが、誰も触れなかった。


「ドン」


側近のオルランドが書類を持って立っていた。


「若手が集まっています」


「怒っているか」


「怒っていない若手は、山にいません」


ラファエレは薄く笑った。


笑いは口元で止まる。


昨日、港の若いドンは布を運んだ。


ベランディの護衛は子供に上着をかけた。


女の鉱物学者は崩れる岩を見て、危ない場所に印をつけた。


その事実だけで山の扉を開ければ、ラファエレは自分の家の鍵を捨てたことになる。


救助への礼。


鉱床の権利。


鉄道の支配。


鉱夫の生活。


同じ朝の机に、全部が載っていた。


若手たちは食堂にいた。


豆の煮込みの湯気が、荒い息を少しだけ隠している。ミケーレは壁際で腕を組み、他の若者たちより一歩前に立っていた。


一歩前に立つ者は、自分が皆の怒りを背負っていると思いやすい。


ラファエレも若い頃、そうだった。


「港の連中を泊めているそうですね」


ミケーレが言った。


「線路が止まっている」


「歩いて帰せばいい」


「山道で死なせれば、こちらの面子は立つか」


ミケーレの顎が硬くなる。


「昨日、布を運んだからって」


「礼は言う」


ラファエレは席に着いた。


「だが、権利は渡さない」


若手たちの空気が少し緩む。


彼らが欲しい言葉は、それだった。


港へ頭を下げていない。


山は山のまま。


しかし、そこで終われば昨日救われた保線員の脚も、子供の震えも、ただの面子の飾りになる。


「警報灯の試験は、条件を変える」


「受けるんですか」


ミケーレの声が低い。


「受けない、と言えば勇ましい」


ラファエレはパンを見た。


子供の歯形。


小さい。


「だが、昨日の地滑りで、東斜面の見張りがもっと早く鳴っていれば、保線員の娘は小屋に入らずに済んだかもしれない」


「港の灯なんかに頼れば」


「頼らない」


ラファエレは彼を見た。


「使えるなら、山の道具にする」


給仕の女、マルタが鍋を混ぜていた。サンドロの叔母だ。家の会議で意見を求められる立場ではない。ただ、山の食堂で、男たちの空腹と怒りの量を毎日見ている女だった。


「ドン」


彼女が口を開いた。


男たちが振り向く。


「昨日怪我した保線員の家へ、粥を持って行きます。粉は、どこの帳面で落とします」


問いは粉のことだった。同時に、昨日の救助をどこの責任にするかの問いでもあった。


「鉄道保守費」


ラファエレは答えた。


「見舞いではない。保守中の事故だ」


マルタは頷いた。


「子供の飴は」


「私の財布」


ドンが子供へ飴を買うことは、優しさにも見える。権威を買うことにも見える。どちらでもある。


朝食の後、ラファエレは保線小屋の家族を見舞った。


薪の匂いと湿った靴の匂いが混じる家だった。昨日脚を挟まれた保線員は寝台に横たわり、妻は礼を言うべきか怒るべきかわからない顔をしていた。


「治療費は鉄道保守から出す」


ラファエレが言うと、妻は目を伏せた。


「ありがとうございます」


その言葉は薄かった。


薄い礼を責める資格はない。


彼女の夫は、しばらく線路へ出られない。賃金が減る。子供は昨日から声を出していない。ドンが粉を出しても、地滑りの土は家の中に残る。


「港の人も、助けてくれた」


寝台の男が言った。


ミケーレなら嫌な顔をしただろう。


ラファエレは頷いた。


「その礼は、私が言った」


「警報灯は」


妻が小さく聞いた。


「本当に鳴るんでしょうか」


正直な問いだった。


ラファエレは、鳴るとは言えなかった。


「まだ試す道具だ」


「試すのは、うちの坑道ですか」


痛いところを突かれた。


港の道具を山で試す。


その言葉だけなら、外部資本が昔したことと同じ形になる。


「だから、山の者が設置する。山の者が点検する。記録の写しは山に残す。港の工房だけの道具にはしない」


「それで安全になりますか」


「安全になる可能性を少し上げる」


女は笑わなかった。


「少し」


「少しだ」


大きく言えば、彼女は安心したかもしれない。


安心させる嘘は、後で深く傷を作る。


白灯の看護師が包帯を替えていた。


彼女は山の女だが、鞄に小さな白灯を縫っている。ラファエレはその印を昔から知っていた。港の奥方が使っていたという話も、知らないふりをしている。


「熱は」


彼が聞くと、看護師は短く答えた。


「今のところ低い。ただ、肩の方は時間がかかります」


「仕事に戻せるか」


「戻せる日と、戻していい日は違います」


刺すような言葉だった。


ラファエレは頷いた。


「鉄道帳場へ、休業分を出させる」


「帳場は嫌がります」


「帳場のために線路があるのではない」


帳場がなければ粉は買えない。粉がなければ食堂は動かない。


善い言葉だけで山は回らない。


会館へ戻ると、試験条件の書き換えが待っていた。


ベランディ側の案では、設置は共同、点検は共同、記録は双方保管となっている。


ラファエレは赤い鉛筆を取った。


設置責任者は山側保守係。


ベランディ工房は立会い。


点検は山側保守係とベランディ工房代表の二名以上。


記録原本は山に置く。


写しを港へ送る。


不具合時は出荷停止ではなく、該当坑道への追加設置停止。


ここで手が止まった。


追加設置停止だけでは足りないかもしれない。


だが全面停止にすれば、若手は勝ったと言い、負傷者の家族はまた暗い坑道へ入る。


「共同点検時の記録写しに、鉱夫代表の印を入れる」


オルランドが横から言った。


ラファエレは彼を見た。


「鉱夫に印を持たせるか」


「持たせなければ、港とドンの紙です」


側近は淡々としている。


正しい。


正しいが、印を増やせば、ドンの一言で動かない場所も増える。


支配は少し薄くなる。


安全は少し厚くなる。


同じ紙で、その二つが起きる。


ラファエレは赤い線を引き、鉱夫代表印の欄を足した。


午後、ベランディの若いドンへ条件を伝える場が設けられた。


レオーネは疲れた顔をしていた。


昨夜、宿で眠れなかったのだろう。


それでも、椅子に座る前に会館の窓と扉を見た。護衛から教わった癖か、自分で身につけた恐れか。どちらにせよ、山では役に立つ。


「昨日の救助には礼を言う」


ラファエレは言った。


「ありがとうございます」


「礼と権利は別だ」


「昨日も聞きました」


「何度でも言う。忘れた時に人が死ぬ」


レオーネは頷いた。


その若さで頷けることが、少し危うく見えた。


「警報灯の試験は、山側設置、共同点検、記録原本は山、写しは港。鉱夫代表印を入れる。受けるなら、試験坑道を一つ指定する」


エヴァがすぐ紙を覗き込んだ。


「原本が山だけでは困るわ。改竄された時」


ミケーレが立ち上がりかける。


ラファエレが手を上げた。


「写しは同日電信で番号通知。月末に封印写しを交換する」


「それなら」


エヴァはまだ不満そうだが、頷いた。


レオーネは少し考えた。


「第三者検査は」


「まだ入れない」


空気が硬くなる。


「今入れれば、山は港に役人を呼ばれたと見る。まず山と港で記録を作る。記録が食い違えば、その時に外部を呼ぶ」


「事故が起きてからでは遅い」


「役人の印があれば事故が起きないのか」


問いは意地悪だった。


レオーネは黙った。


それでいい。


互いに譲れない線が見えた。


「試験は一つ」


ラファエレは続けた。


「成功しても、山の全坑道へ広げるとは言わない。失敗しても、即座に港を追い出すとは言わない。記録で次を決める」


レオーネの目が少し変わった。


その言葉は、彼の工房の言葉でもあるのだろう。


信用ではない。


ただ、同じ道具を違う恐れから使おうとしている。


会議が終わると、ラファエレは例のパンを紙に包んだ。


捨てるには重い。


飾るには軽すぎる。


彼は食堂へ戻り、救助された子供へ飴と一緒に渡した。


「これは」


子供が小さく聞く。


「昨日、お前が噛んだパンだ」


「硬かった」


「山のパンは硬い」


「港の人も食べた?」


ラファエレは一瞬迷った。


「食べた」


「嫌な顔した?」


「したかもしれん」


子供は初めて少し笑った。


その笑いだけで、山と港が和解するわけではない。


明日には、若手がまた怒る。


ベランディは記録の写しを求める。


ラファエレは鉄道を手放さない。


警報灯が本当に役立つかも、まだわからない。


それでも彼は、子供の歯形の残ったパンを捨てなかった。


救われた命を、礼の飾りにも、交渉の札にもしたくなかった。


夕方、会館へ戻る途中で、彼は擦れた肘の上着を見た。


弱く見えるかもしれない。堅く見えるかもしれない。見え方をすべて支配することはできない。


できるのは、線を引くことだけだった。


港へ礼は言う。


山の権利は渡さない。


安全道具は拒まない。


だが、山の手で触る。


ラファエレは赤い線を入れた試験条件書を封筒に入れた。


硬いパンを噛むには、歯が要る。


飲み込むには、もっと時間が要る。


赤い線を入れた試験条件書と、子供の歯形が残る硬いパン。


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