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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
6章 血を流さない戦争

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第40話 鉱山町の歓迎



ヴァレンティ領の駅で俺たちを迎えたのは、銃ではなく、黙って閉まる店の戸だった。


ブルーマ峠鉄道は、海沿いの線路と違って、音が硬い。


車輪は鉄を鳴らすだけではない。山肌に反響し、谷へ落ち、また戻ってくる。


今回は相応に、準備に時間がかかった。


湿った雪と凍えた風はなく、削られた岩と雪解け水の匂いがあった。


テオは景色を見ながら、落ち着きなく足を動かしていた。


「山って、逃げ道が少ないですね」


「気づけるだけましです」


マルコが答える。


彼は列車に乗ってから、三度席を替え、

誰が乗り、誰が降り、どの窓から線路脇が見えるかを確認している。


俺は右手の指輪を手袋の下で動かした。


吹けば外れてしまうような感覚はもうない。


だが重い。


サン・エリオ鉱山町の駅に着くと、ホームには子供が数人いた。


俺たちの顔を見ると、一人が母親に抱えられるようにして店へ入った。


パン屋の戸が閉まる。

鍛冶場の槌の音が止まる。

酒場の窓の布が揺れ、その後で動かなくなる。


歓迎ではなく、拒絶でもない。


見られている。


「港のドンを見る目ね」


大きな荷物を抱えながら、エヴァが言った。


彼女は荷物を自分で持っている。鉱石を見るための道具が詰まった鞄だ。


預かろうかと言ったが、護衛の手に預けるのを嫌がった。


「あなたたち、ヴァレノでは守る側の顔をしているけれど、ここでは値を上げに来た買い手よ」


「わかっています」


「顔がわかっていないわ」


俺は返せなかった。


駅前の広場に、古い慰霊碑があった。


坑道崩落で死んだ鉱夫の名が刻まれている。年は、父がまだ港で勢いを持っていた頃だ。


名前の横に、同じ姓がいくつも並んでいた。


一つの事故で、一つの家から三人消える。


数字で読むと損耗。


石に刻むと、忘れない代わりに春の空気まで重くなる。


町会館は、駅から坂を上がったところにあった。


入口で武器を預ける。


マルコの短刀だけは、ソフィアの設計した条件通り、封印布で巻かれたまま持ち込まれた。


ヴァレンティ側の護衛も同じ処理を受ける。平等に見えるための不自由。


こういう細い針を、彼女はよく刺す。


会館の中では、ドン・ラファエレ・ヴァレンティが待っていた。


五十を少し越えた男だと思う。


灰色の髪を短く撫でつけ、黒い上着の肘だけが少し擦れている。


大きな声で怒鳴る男を想像していたが、彼は静かだった。


静かすぎて、後ろの若い男たちの呼吸の荒さが目立つ。


「遠路を」


ラファエレは立ち上がり、握手を求める。


「港から山へ来るのは、骨が折れたでしょう」


「鉄道が正確でした」


握手を俺が返すと、彼は薄く笑った。


その短く軽い握手は、形式的な物だと宣言するように感じる。


「それは私の家の仕事です」


最初の釘だった。


採掘権の話をする前に、輸送は自分たちの手にあると告げる。


こちらには残滓を精製する工房がある。規格と販売網がある。オルシーニの限定金融がある。


「抗議状は読みました」


俺は言った。


「第三残滓置き場の権利は合法です。未許可で鉱床を掘った事実はありません」


「紙の上では」


ラファエレが答える。


「ええ、紙の上では」


俺は逃げなかった。


ラファエレは2度頷き、こう続ける。


「生活の上では、別の見え方がある」


彼の目が少し変わった。


「港の若いドンは、山の生活をご存じか」


「知るために、来ました」


ラファエレは黙った。


後ろの若手の一人が舌打ちする。


「港の連中は、いつもそうだ。知らないと言えば許されると思ってる」


「許されるとは言っていません」


俺は彼を見る。


二十代半ばか。肩が厚く、爪に黒い粉が入っている。机仕事の男ではない。


「知らないまま買った分の責任を、ここで聞きに来ました」


「責任なら、値を吊り上げずに帰れ」


若手の声が荒くなる。


ラファエレが片手を上げた。


それだけで男は黙った。


「ミケーレ」


ラファエレが名を呼ぶ。


「山の怒りを、客の前で安売りするな」


客。


敵ではない。


まだ。


会議は、礼儀正しく進み、何度も止まった。


ルカの用意した登記写し。

ソフィアの弁護士が作った議題表。

ヴァレンティ側の鉱夫名簿。

山岳鉄道の運賃表。


エヴァは鉱床試料の古い分析票を見るなり、目の色を変えた。


「残滓とは違う」


小声だったが、全員に聞こえた。


「灰青筋が太い。銅の混入が少ない。これなら警報灯用の反応幅をもっと狭められるかもしれない」


「かもしれない」


ラファエレが拾う。


「あなたは正直だ」


「石に嘘をついても意味がないので」


「人間には?」


エヴァは鼻で笑った。


「人間にも、長くは意味がありません」


俺は少しだけ助かった。


俺が言えば、交渉の言葉になる。


エヴァが言えば、石を見る者の言葉になる。


それでも、ラファエレは譲らなかった。


「鉱床試料は出せない」


彼は静かに言った。


「出せば、山は港に値を決められると思う。

鉱夫の賃金も、鉄道の運賃も、保険も、あなたたちとオルシーニの紙で決まる。

昔、外部資本がそうした。坑道を急がせ、事故の後で祈りの花だけ置いて帰った」


彼は慰霊碑の方角を見る。


「私は、それを二度とさせない」


断固としたそれは、守るための誓いだった。


同時に、彼の家が鉄道を握り続けるための要でもある。


「警報灯は」


俺が聞く。


「山の坑道で試したい」


「試すなら、設置も点検もヴァレンティの鉱夫が見る。ベランディの工員だけには触らせない」


「記録は共有します」


「記録の写しは山に残す」


「第三者検査を」


「山の外の役人に、鉱夫の仕事を値踏みさせるのか」


ラファエレの声が少しだけ硬くなった。


ここが境目だった。


安全を守るための検査は、相手から見れば誇りを疑う目になる。


疑わなければ安全は崩れる。

疑い方を間違えれば、人は背を向ける。


昼過ぎ、会議は一度休憩になった。


町の食堂で出されたのは、硬いパンと豆の煮込みだった。


テオは小声で言う。


「港の豆より硬い」


「聞こえますよ」


俺が返すと、給仕の女が無表情で皿を置いた。


「港の人は、柔らかいものがお好きでしょうから」


皮肉だ。


だが、声の奥には疲れがあった。


「坑道で働くご家族が?」


俺が聞くと、彼女は少し迷い、答えた。


「夫と弟が。父は昔の崩落で」


言葉がそこで切れる。


俺は慰めを言わなかった。


代わりに、パンを食べた。


硬い。


山の生活が、歯に残る。


食堂の壁には、古い写真が飾ってあった。


黒い服の女たち。

坑道帽を持つ子供たち。


真ん中に、若いラファエレが立っている。今より痩せ、目だけが同じだった。


写真の下には、崩落事故の年と、救済食堂開設の文字。


「ヴァレンティの食堂ですか」


俺が聞くと、給仕の女は少し驚いた。


「昔は、ただの酒場でした。事故の後、ドンが手を入れた」


「手を入れた代わりに、鉄道の仕事も握った」


エヴァが静かに言う。


給仕の女は否定しなかった。


「握らなかったら、外の会社が握りました」


その声には、感謝と諦めが同じ量で入っていた。


俺は硬いパンを噛む。


飲み込むのに、時間がかかった。


話は一度持ち帰りとなった。


お互いの間には溝が大きく、お互いの都合もまた譲れなかったのだ。


帰りの列車は、夕方に出るはずだった。


駅まで降りる途中、鐘が鳴った。


港の火事鐘とは違う、短く切れる音。


駅員が走る。


「東斜面で地滑り!」


誰かが叫んだ。


「保線小屋が埋まった!」


ラファエレの護衛たちが一斉に動く。


マルコも俺の腕を掴んだ。


「下がってください」


「人数は」


俺が駅員に聞くと、彼は迷った。


港の人間に答えたくない顔だった。


「三人。いや、子供が一人いたかも」


その一言で、ためらいは終わった。


「エヴァ、斜面の危険を見られますか」


「石と水なら少しは」


「テオ、診療所の応急鞄は」


「あります」


「マルコ、指示を山側に合わせて」


マルコは一瞬だけ俺を見る。


俺が行くのを止めたい顔だ。


だが、ここで背を向ければ、俺たちは安全設備を売る資格を失う。


現場へ向かうと、斜面の土が線路脇まで崩れていた。保線小屋の屋根が半分だけ見える。


雪解け水が地面を緩ませていたのだろう。


ヴァレンティの男たちは、手慣れていた。


支柱を立て、声を短く分け、無駄に走らない。


俺たちが入れば邪魔になる。


だから、俺は港の流儀を捨てた。


「こちらは何をすればいい」


ラファエレに聞いた。


彼は一瞬だけ驚き、すぐ答える。


「布と担架。子供がいれば先に運ぶ。斜面の上には上がるな」


「従います」


テオが布を持って走る。


エヴァは崩れた岩の色を見て、危ない場所へ印をつけた。


ニコがいれば道具を作ったかもしれないが、今日は来ていない。


あるもので動くしかない。


一人目の保線員が出された。


脚を挟まれている。


二人目は肩を痛めていた。


子供は、保線員の娘だった。


小屋の隅で震えていた。


テオが自分の上着をかけると、少女は泣かずに彼の袖を掴んだ。


「港の人?」


「今日は運ぶ人」


テオはそう答えた。


うまい返事だった。


夕暮れまでに、全員を町の診療所へ運んだ。


死者は出なかった。


その事実だけで、膝の力が抜けそうになる。


だが、握手はなかった。


診療所の前で、ラファエレは俺へ言った。


「今日のことには礼を言う」


「こちらも、現場を学びました」


「礼と権利は別だ」


「はい」


「そして、救助と信用も別だ」


ラファエレは続けた。


「今日あなたが布を運んだことを、私は忘れない。

だが、明日あなたが鉱床の値を決めようとすれば、私は止める」


「俺も、今日あなたの現場指揮を見ました」


俺は答えた。


「だからこそ、警報灯の点検記録を山だけに閉じることはできないと思いました」


彼の眉が動く。


礼の後に、また対立が戻る。


それでいい。


救助の熱で契約の冷たさを溶かしたふりをすれば、後で必ず割れる。


「地滑りで列車は止まる。復旧まで、あなたたちは町に泊まることになる」


周囲の若手たちの視線が刺さる。


助け合った直後でも、敵意は消えない。


消えない方が、たぶん正しい。


一度布を運んだだけで、外から来た買い手が山の家族になるわけではない。


その夜、町の宿の狭い部屋で、俺はソフィア宛ての短い報告を書いた。


地滑りは自然か、工作か、まだ不明。


共同救助。


交渉は継続。


輸送は止まった。


最後に、書くか迷って、一行だけ足した。


山のパンは硬い。


返事は来ないと思っていた。


夜半、駅の電信経由で短文が届いた。


硬いものを噛む時ほど、急いで飲み込まないで。


俺はその紙を折り、指輪の下に置いた。


山の夜は静かだった。


だが、線路の止まった静けさは、港の銃声より長く続くことがある。


この日のベランディは、山を救った英雄ではなく、ただの「運ぶ人」。

布と担架を持ち、保線員と子供を町の診療所へ運ぶ。

日が暮れると、ラファエレは礼を言い、そのまま権利の話へ戻った。


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