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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
5章 六分の一家族

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第38話 六分の一家族



残滓置き場の火災から、三か月が過ぎた。


黒く焼けた倉庫の柱は、一本だけ工房の壁に残してある。


飾りではない。勝利の記念でもない。火を小さく抑えられた理由を忘れないためだ。


工房の小爆発の後、俺たちは記録と保管の規程を作った。


火を扱う場所。


水をかけていいもの。


砂で止めるもの。


近づく者と下がる者。


詳しい手順を物語にする気はない。


ただ、一つだけ言える。


あの日の失敗を隠していたら、残滓倉庫の火はもっと大きくなっていた。


テオの腕とニコの指を授業料などとは呼ばない。


痛みは痛みだ。


それでも、痛みを記録したから、次の誰かの皮膚が少し守られた。


「第三残滓置き場の損耗は、当初見込みの二割弱」


ルカが監査室で報告する。


「保険は一部しか出ません。相手方の放火疑いはありますが、こちらの保管責任も問われます。

補填は、温熱板の初期販売益、警報灯の予約金、オルシーニ融資の一部で回します」


オルシーニ融資。


その言葉に、ブルーノの眉は今でも動く。


彼はソフィアを完全には信用していない。


俺も、完全には理解していない。


それでいいと言い切れるほど、大人にはなっていない。


ただ、契約書は残っている。


監査役もいる。


ソフィアは、自分の家の利得を隠さず、こちらが不利になる条項をいくつも指摘した。


俺は彼女の全部を知らない。彼女も俺の全部を知らない。


知っているのは、この一年、彼女が逃げずに紙を置いていったという履歴だけだ。


「扶助は」


俺が聞くと、リーナが台帳を開いた。


「遅配なし、四か月目です」


部屋の空気が少し揺れた。


歓声は上がらない。


遅配がない。


それは派手な勝利ではない。


しかし、四年前の地下で手元現金三日分と言われた俺たちにとっては、父の仇の名より重い数字だった。


「パオロさんの双子は、夜学の初級を終えました。豆はまだ嫌いです」


リーナが言うと、マルタが鼻を鳴らした。


「秋豆は食べられるようにしました」


「本人たちは、肉ならもっと早く覚えると」


テオが言い、マルタに睨まれた。


笑いが起きる。


笑いの横に、死者の名は残っている。


ベンノは戻らない。


ロザは戻らない。


父は戻らない。


母も、まだ戻らない。


エミリア・ベランディの名は、台帳の行方不明欄にある。


白灯の符丁は時々動くが、母本人の確かな筆跡はまだ届いていない。


希望は残っている。だが、希望を飯にすることはできない。


だから、今日も扶助の表を見る。


「工房は」


エヴァが机へ資料を置いた。


「温熱板の第六型は、診療所と白灯経由の医師から評価が安定。

坑道警報灯の小型試験は、音ではなく熱変化を拾う方向へ絞れば実用の見込みあり。

ただし、鉱山の環境では別の失敗が出る」


「収益は」


ルカが別の表を置いた。


「黒字です。ただし、豊かになったという意味ではありません。

失敗費、火災補填、工員賃金、診療所実証費、扶助拠出、

オルシーニへの利払いを引くと、残るのは倉庫修繕を少し前へ進める程度」


「それで十分です」


マルタが言った。


「少し前へ進むなら、鍋は濃くできます」


その一言の方が、ルカの黒字という言葉より全員に通じた。


魔晶石は、金貨の山を生んでいない。


だが、粉を買う日の前に慌てて銀細工を売らなくて済む月が来た。


薬代を削る案が会議に上がらない月が来た。工員が次の週も工員として働ける月が来た。


小さい。


小さいからこそ、信用になった。


「別の失敗」


「湿気、粉塵、粗い扱い、怒鳴る現場監督、説明を読まない持ち主」


「最後の二つは石の問題ですか」


ニコが聞くと、エヴァは真顔で答えた。


「道具の問題よ」


その通りだった。


道具は、人間が使う。


人間は説明を省き、急ぎ、隠し、都合よく解釈する。


だから規格が要る。

監査が要る。

販売先の制限が要る。


そして、それでも抜け道は残る。


「兵器転用の照会が三件ありました」


ルカが別の紙を出す。


「一件は退役軍人の商会。一件は企業警備会社。もう一件は匿名の仲介。すべて断っています」


「断れば終わる?」


ブルーノが聞いた。


「終わりません」


俺は答えた。


「温める構造を別の目的に使う者は出る。警報灯を強くしすぎる者も出る。

俺たちが売らなくても、欠片を買って試す者はいる」


「なら、どうする」


「断った記録を残す。規格を狭くする。

白灯と医師と工房代表を通す。警備会社には売らない。

鉱山用途は、労働者側の確認がある場所だけにする」


完全には防げない。


それでも、自分の手から何を出すかは選べる。


父が兵器商売を禁じた時の顔を思い出す。


父は善人ではなかった。


だが、あの時、止めた。


俺も止め続ける。


父と同じ理由かは、わからない。


会議の後、工房へ行った。


壁には、焼けた柱の横に共同発明契約の写しが掛けてある。


エヴァは嫌がったが、ダミアーノたち工員が望んだ。


自分たちの名が入っている紙を見るたび、手が丁寧になる。


それは自慢だけではない。


責任でもある。


「若様」


ジータが温熱板を布で包みながら言った。


「次の出荷分、診療所用と鉱山用で布を変えます。現場が間違えないように」


「いい判断です」


俺が答えると、彼女は少し笑った。


「エヴァ先生に三回怒られてからですけど」


「三回で済んだなら優秀よ」


エヴァが奥から言う。


ニコは警報灯の小さな筒を覗き込んでいた。


「坑道用は、明るすぎても駄目です。驚いて人が走る。弱すぎても見えない。ちょうどいい、が一番難しい」


ちょうどいい。


それは、俺たちの四年にも似ていた。


復讐しないだけでは弱い。


血に走れば壊れる。


紙だけでも足りない。


暴力を完全に捨てたわけではない。


マルコとブルーノの存在は、今も家の盾だ。


ただ、その盾を振り回す手に、記録と補償と監査の重りをつけた。


それが正しいかどうか、歴史が裁くほど大きな話ではない。


今日の炊事場の鍋が、少し濃くなった。


それが今の答えだった。


夕方、礼拝堂へ行った。


父の遺灰を分けた場所。


仮戴冠の日、死者の名を読んだ場所。


ソフィアの白い花の押し花は、今もリーナが台帳の最後に挟んでいる。


受け取れなかったものを、後で受け取ることもある。


受け取ったからといって、過去の傷が消えるわけではない。


祭壇の前で、俺は首から革紐を外した。


灰冠の指輪が掌に落ちる。


八歳の誕生日に鉄の匂いを覚えた輪。


父が継ぐなと言って掌に置いた輪。


扉の下から、生きろという命令と一緒に渡された輪。


十六歳の春、俺はこれを首に下げた。


父と同じ手になりたくなかったからだ。


今も、父と同じ手になりたいわけではない。


だが、指輪を避け続けることで、父の罪から逃げているだけなら、それも違う。


俺は指輪を右手の指へ通した。


まだ少し大きい。


それでも、落ちるほどではなかった。


銀は冷たい。


血の匂いはしない。


今日、この指輪が触れるのは契約書と台帳と、患者の膝を温めた板の布だ。


そう決めても、いつか血に触れる日が来ないとは言えない。


だから、軽いとは思わない。


「ドン」


後ろからブルーノの声がした。


振り返ると、彼とマルコ、ルカ、テオ、リーナがいた。


少し遅れて、エヴァとニコ、マルタ、ダミアーノ、ジータも。


六分の一から始まった家。


血縁だけではない。


従属だけでもない。


恩、打算、恐怖、契約、補償、怒り、飯、技術。


きれいではない糸で結ばれた、小さな家族。


「式はしません」


俺が言うと、テオが肩をすくめた。


「肉もなしですか」


「秋豆があります」


「家族って厳しいですね」


また、笑いが起きた。


その笑いの中で、ルカが一通の封筒を差し出した。


「山からです」


封筒は厚く、紙質が硬い。


差出人の名を見て、部屋の空気が変わった。


ドン・ラファエレ・ヴァレンティ。


ヴァルモーラ鉱区と、ブルーマ峠鉄道を握る山のファミリー。


俺たちが買ったのは第三残滓置き場の保管権であって、鉱床ではない。


そう何度も確認した。


だが、山の側から見れば、港の人間が捨て石から利益を得て、

次は鉱脈へ手を伸ばすように見えるのだろう。


封蝋を切る。


文面は礼儀正しかった。


硬すぎるほどに。


ヴァルモーラ旧鉱山群に由来する灰青結晶の採取、精製、販売について、

ヴァレンティ家の鉱床権および山岳労働者の生活権を侵害する疑いがある。


た(・)だ(・)ち(・)に(・)説明を求める。


従わぬ場合、相応の措置を取る。


戦争を告げる手紙ではない。


抗議状だ。


だからこそ、時代が変わったことがわかる。


血の前に、紙が来る。


俺は右手の指輪で、抗議状の端を押さえた。


二十歳の秋。


ベランディ家の再建は、ようやく第一段階を越えた。


その瞬間、次の敵ではなく、山が守ってきた生活の請求書が届いた。


恩、打算、恐怖、契約、補償、飯、技術。

指輪はようやく、レオーネの右手へ。

だが山から届いた手紙は、まだ苦難が続くことを暗示していた。


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第5章「六分の一家族」は、ここまで。

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