↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
5章 六分の一家族

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/98

第31話 捨てられた灰青



翌日、ニコ・バルディは公告を三度読み直した。


一度目は時計技師の顔で。

二度目は、好奇心に負けそうな子供の顔で。

三度目は、現実の金額を見た大人の顔で。


「若様」


彼は紙を机に置いた。


「これは、石を買う話ではありません」


「わかっている」


「たぶん、厄介ごとを買う話です」


「それも、わかっている」


船員宿の会議室には、ルカ、マルコ、ブルーノ、リーナ、テオがいた。


壁には配膳表と家賃補助の予定表が貼られている。その横に、港湾庁からの倉庫猶予通知。


どの紙も、金が足りないと言っている。


その中で、旧鉱山残滓権の公告だけが、別の匂いを放っていた。


灰青色の混入物。

取扱注意。

品位不安定。

処理費用あり。


「残滓置き場には、砕いた石、泥、選鉱で捨てた粉、古い木枠、雨水で固まった層が混じっています」


ニコは指で紙の端を叩く。


「魔晶石だけを拾えるわけではありません。

むしろ、ほとんどは使えない。危険もある。

昔、熱で光った欠片を見たでしょう」


現場を見たことのある工員たちは、もっと露骨に言った。


雨の日は泥が靴を食う。乾いた日は粉が喉へ入る。

古い木枠の釘は錆び、荷車の車輪は半日で傷む。


灰青の粒が混じるから値打ちがあるのではなく、灰青の粒が混じるせいで誰も触りたがらないのだ、と。


その声を聞かずに机の上で希望だけを語れば、また誰かの手を代金にする。


六歳の春の工房。


灰青色の小石が息をしたように光り、火花が跳ねた。


マルコに抱え上げられ、母に叱られ、ニコの指が赤くなった。


忘れるはずがない。


「形を揃えたら」


ニコが呟いた。


「坊ちゃんが言ったんです」


ブルーノが鼻を鳴らす。


「子供の寝言で家の金を賭けるのか」


「子供の寝言ではありません」


ニコが珍しく言い返した。


声は震えていたが、引かなかった。


「あれから、私は欠片を少しずつ調べました。

時計の文字盤に入れるには危険すぎましたが、同じくらいの厚さにしたものは、反応のばらつきが少し減りました。」


彼は俺を見た。


「少し、です。成功ではありません。

若様の知識だけで何とかなるものではありません。私にも無理です。鉱物を見られる人が要る」


「紹介できるのか」


「一人だけ」


ニコは鞄から折れた名刺を出した。


エヴァ・ロッセリ。


王立鉱物学院、元助手。


元、という文字が、少し引っかかった。


「学界で何をした」


ルカが聞く。


「魔晶石を宝石ではなく、工業材料として扱うべきだと論文を書きました」


ニコは気まずそうに続けた。


「それと、軍研究所の試験記録の不備を、公開講義で批判しました」


「敵が多そうですね」


ルカの声が乾く。


「多いです。だから、資金と現場を探している」


「こちらに都合がよすぎる」


マルコが言った。


俺も同じことを思った。


都合がよすぎる出会いは危ない。


だが、学界に居場所のない専門家と、鉱山を買えない没落ファミリーが、

捨てられた残滓を前に出会うこと自体は、きれいな偶然ではない。


どちらも余裕がないから、危ない場所へ来る。


「会います」


俺は言った。


ブルーノが腕を組む。


「会って、女学者に夢を見せられ、家賃補助を削る」


「削るかどうかは、数字で決めます」


「数字で父上は戻らねえ」


「戻りません」


言葉が胸に刺さる。


「だから、生きている者の数字を見ます」



午後、エヴァ・ロッセリは時間通りに来た。


三十前後の女性だった。


濃い茶色の髪を後ろで乱雑に束ね、外套の袖には鉱石の粉らしい白い汚れがある。


手袋は片方だけ新しく、片方は指先が擦り切れていた。目だけが異様に明るい。


彼女は部屋へ入るなり、父の肖像ではなく、机の上の公告を見た。


「第三残滓置き場ね」


挨拶より先だった。


ルカが眉を上げる。


エヴァは気づいていないのか、気づいて無視しているのか、椅子に座る前に紙を覗き込む。


「雨水の通りが悪い場所です。銀はもうほとんどない。銅も薄い。普通の鉱山屋なら買わない」


「魔晶石は」


俺が聞くと、彼女は初めてこちらを見た。


「あるわ。使える形かは別」


即答だった。


「なぜわかる」


「昔、試料を見たから。学院の地下で、失敗品の箱に入っていた。

灰青の筋が細かく、熱で暴れるものが多い。

軍は嫌ったでしょうね。命令した時だけ働く石ではなかったから」


彼女の声には、軍への軽蔑が少し混じっていた。


だが、軽蔑だけではない。


兵士の手元で働く材料に、気まぐれは許されない。


命令通りに動かない石を危険として捨てる判断には、捨てる側の血の勘定がある。


その当然で、生活用途の可能性も捨てられた。


「俺たちは兵器を作りません」


俺は先に言った。


エヴァは片眉を上げる。


「作れない、ではなく?」


「作らない」


「良い言い方ね。でも、温めるものは焼ける。

光るものは目を刺せる。音を遮る箱は、助けを呼ぶ声も消す」


父と同じことを言った。


胸が冷える。


「父にも言われました」


「賢い人だったのね」


「人を傷つけた人でもあります」


エヴァは少し黙った。


「その二つは、同じ人間の中に入るわ」


彼女は視線を公告へ戻す。


「私ができるのは、鉱物を見ること。灰青の筋、混入物、熱への反応、粉砕した時の危険。

用途を決めるのはあなたたち。機構を作るのはニコ。

量産を考えるなら工員が要る。私は一人で工場を産めない」


「俺も作れません」


俺は言った。


「俺ができるのは、用途を狭くすること、規格を決めること、

失敗を記録させること、買うかどうか決めることです」


「それだけ?」


「それだけです」


彼女は少し笑った。


「それだけ、を軽く見る人が多いのよ」


会議は長くなった。


エヴァは専門用語を使いすぎ、ニコが半分だけ噛み砕き、ルカが金額へ戻し、

ブルーノが苛立ち、テオが途中で茶をこぼしそうになった。


「粉にしたら駄目なんですか」


テオが聞く。


エヴァはすぐ答えた。


「駄目とは限らない。でも、駄目だった時に誰が火傷するか決めてから聞きなさい」


テオは背筋を伸ばした。


「すみません」


「謝るより記録」


彼女は机を叩いた。


「魔晶石で一番怖いのは、成功ではなく、成功した気になることよ。

昨日うまくいった欠片と今日の欠片が同じ顔をしていても、中身は違う。

温度、湿度、厚さ、割れ方、誰が触ったか。全部書く」


母の台帳。

ルカの帳簿。

エヴァの実験記録。


違う紙なのに、根は同じだった。


「投資額は」


ルカが現実へ戻す。


残滓権の最低価格。運搬費。


危険物としての保管場所。


エヴァの調査費。ニコの機材。工員の賃金。


そして、失敗した場合の治療費と補償。


「補償も先に入れるの?」


エヴァが聞いた。


「入れます」


「珍しい出資者ね」


「母の診療所で怒られます」


言ってから、母がいないことを思い出す。


エヴァはそこを聞かなかった。


ありがたかった。



夜、俺たちは残滓権を買うかどうかの採決をした。


正式な家ではない。


仮のドンと、相談役代理と、会計と、

現場統制と、診療所記録係と、

護衛班と、工房の技師と、異端の鉱物学者。


奇妙な顔ぶれだった。


ルカは反対寄りの条件付き賛成。

マルコは警備負担を明記するなら賛成。


リーナは治療費を先に積むなら賛成。

ニコは手が震えるほど賛成。


ブルーノは反対。


「家賃の金を、山のゴミに賭けるのは狂ってる」


彼の言葉は正しい。


「狂っているかもしれません」


俺は公告を見た。


「でも、今ある収入だけでは、秋の家賃補助が足りません。倉庫修繕も進まない。

ラゴの条件に従えば、粉代で首を締められ続ける。違法な金に戻れば、警察の罠にかかる」


選択肢は、どれも傷を持っている。


「残滓権は失敗するかもしれない。失敗すれば、俺の判断です。

家賃補助の不足分は、俺の残った私物をさらに売る。幹部取り分の復活も延期する」


ブルーノが目を細めた。


「俺たちの取り分も賭けるのか」


「はい」


「正直でよろしい」


彼は椅子へ背を預けた。


「俺は反対だ。だが、決まったら工員は出す。山のゴミで家を救うなら、現場の手が要る」


反対したまま、支える。


それもまた、彼の忠義の形だった。


俺は最後にエヴァを見た。


「あなたは、なぜうちと組むんです」


彼女は笑った。


「学院は、失敗を嫌うの。失敗品の箱に入れたら、記録もしない。

あなたたちは、失敗の山を買おうとしている」


彼女は公告を指で弾いた。


「あなたは石ではなく、失敗の山を買うの」


その声は楽しげだった。


捨てられた人間が、捨てられた石に救われる。


だが、そんな綺麗な話ではない。


石は人を選ばない。


残滓は、貧しい者に優しいわけではない。


ただ、価値を見捨てられたものの中に、別の使い道があるかもしれない。


それを調べるには、金と記録と、傷つくかもしれない手が必要だった。



俺は署名した。


レオーネ・ベランディ。


十七歳の春。


父の指輪は、まだ首にあった。


紙に触れたのは、血ではなく、投資判断の震えた指だった。


捨てられた石に、捨てられた者を救う義務はない。

賛成、条件付き賛成、反対。全員の意見を残して採決。

十七歳のレオーネが、震える指で残滓権の紙へ署名した。


--

評価、コメントはページ下部よりお気軽に。

作者の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。