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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
4章 灰の戴冠

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第26.5話 台帳を濡らさない手



仮戴冠の翌朝、共同炊事場は礼拝堂より先に目を覚ました。


死者の名前を読んだ声は、まだ壁に残っている気がした。


けれど鍋は、誰が死んだかを待ってくれない。


火を入れなければ豆は柔らかくならず、豆が柔らかくならなければ、泣いている子供の腹は静かにならない。


リーナの前には、エミリア奥様の台帳があった。


診療所から運び出した時、春の雨で端が湿った。


彼女は抱えて走ったつもりだったが、泣かないように顔を上げた若様の横で、自分の手も震えていた。


だから少し濡れた。


台帳を濡らしたことを、誰にも責められていない。


責められていないから、余計に痛かった。


「リーナ、火に近すぎるよ」


台所番のマルタが言った。


「燃やしたら奥様に怒られます」


「燃やさなくても、濡らしたら怒られます」


「じゃあ、両方怒られるね」


マルタは豆粥をかき混ぜた。


笑いにしようとしている。


でも、目は赤い。


彼女の従姉のロザは戻らない。屋敷の厨房でパンを焼いていた人だ。


リーナが診療所で昼を食べ損ねた時、端の固いところをくれた。


台帳には、ロザの姪の名もある。


住む部屋。


パン代。


冬靴。


文字の横に、奥様の小さな印がついている。


名前の横に顔を残す字。


「泣いてる子、誰ですか」


リーナは聞いた。


「パオロさんの双子の片方。豆が嫌いな方」


「両方です」


「そうだった」


マルタは鍋の水を少し増やした。


それを見て、リーナは口を開きかけた。


水を増やせば、数は足りる。

でも、薄くなる。


薄くなれば、夜番に立つ者の腹が鳴る。

熱のある子供は、薬を飲んでも戻すかもしれない。


奥様なら、先に名前を見る。


リーナは乾ききらないページを押さえた。


「双子と重傷の家は、先に濃い方を」


「若様に聞かなくていいの」


「聞きます。でも、先に並べます」


言ってから、怖くなった。


自分はただの手伝いだった。


診療所で水を運び、包帯を洗い、患者の名を奥様の横で聞いていただけだ。

兄のカルロが傷つき、運び込まれた日には、泣くことしかできなかった。


ブルーノに傷つけられた兄。


でも兄は、給金を借り、何かを隠し、リーナを保証に使おうとした。


兄は被害者だ。

兄は加害者でもある。


その家族であるリーナは、炊事場の列から誰を外せばいいのかわからない。


わからないまま、台帳を読まなければならない。


「リーナ」


低い声がした。


ブルーノ・フェッレが戸口に立っていた。


喪章の黒布が袖に縫いつけられている。


彼の部下も何人も死んだ。彼自身の顔にも眠っていない影があった。


それでも、リーナの胸は硬くなる。


兄の傷を思い出す。


診療所の床に落ちた泥を思い出す。


「何ですか」


声が思ったより尖った。


マルタが木杓子を止める。


ブルーノは怒鳴らなかった。


「包帯と酒精が要る。南埠頭へ戻れる男を二人見る。武器も足りねえ」


武器。


その言葉で、炊事場の空気が冷えた。


「酒精は診療所用です」


「傷を洗うのにも使う」


「誰の傷ですか」


ブルーノは少し黙った。


「戻れるかもしれねえ男の傷だ」


「子供の熱は待ちません」


「港も待たねえ」


正しい。


それが嫌だった。


港を取り返さなければ、粉も薬も入ってこない。

見張りがいなければ、炊事場は守れない。


ブルーノが言う武器と人員には、彼なりの守る論理がある。


でも、酒精の瓶は一つしかない。


「半分」


リーナは言った。


「何?」


「診療所用を半分。残りは南埠頭へ。

代わりに、あなたの人から布と薪を炊事場へ回してください。

あと、包帯に使えるシャツを二枚。洗います」


ブルーノの眉が動いた。


「交渉するようになったな」


「奥様なら、先に名前を聞きます」


「俺の名前は知ってるだろう」


「あなたの部下の名前です。傷を洗う人の名前。

戻れたら何をする人か。戻れないなら、誰の食券が増えるか」


言い終えた後、手が震えた。


ブルーノはしばらくリーナを見ていた。


怒鳴られると思った。


だが、彼は外套の内側から皺の寄った紙を出した。


「二人だ。サロとカルメロの甥。字は汚い」


「読めます」


読めなかった。


読めなかったので、近所の老婆を呼んだ。


チェネリ市場で野菜を売る老婆は、鍋の匂いに顔をしかめながら紙を覗いた。


「これはカルメロじゃなくて、カメリオと書いてるね。違う子になるよ」


「字が汚くて」


「汚い字も、人を間違える」


老婆はそう言って、指先で名前を直した。


奥様の台帳にも、同じような書き直しがあった。


間違えた線を消さず、横に正しい名を書き足す。


人を消さないための訂正。


昼前、炊事場の前に列ができた。


未亡人。

怪我人。

父親を探す子。

戻らない者の帽子を抱えた老婆。


そして、カルロの縁者もいた。


リーナの叔母だ。


彼女は目を逸らし、列の一番後ろに立っている。


カルロがしたことを知っている。

ブルーノにされたことも知っている。


ベランディに助けられ、ベランディに傷つけられた家の者として、どこへ立てばいいかわからない顔だった。


マルタが小声で聞く。


「どうする」


外したい。


一瞬、リーナは本当にそう思った。


兄のことで受けた視線。


診療所で水を出す手が震えた日。


カルロの名前が呼ばれるたび、自分まで疑われる感じ。


全部が喉まで上がった。


でも、奥様の台帳にはカルロの名がある。


働けない期間。


妹を保証に使わせない。


治療費、食費。


恨みは別の欄へ。

食事は別の欄へ。


リーナは椀を持った。


「名前を」


叔母が小さく答える。


リーナは台帳に書いた。


カルロの縁者。

粥一椀。

理由、子供二人。


その下に、小さく空欄を作った。


恨み。


今は書かない欄だ。消えたわけではないと、自分に知らせるための余白だった。


許したわけではない。

忘れたわけでもない。


ただ、腹を空かせた子供の欄へ、兄への怒りを書き込まないと決めただけだ。


パンを均等に切るのは難しかった。


一切れが少し大きい。

次が小さくなる。


小さくなった子供が黙って見上げる。


リーナは大きい方を半分に割り、小さい方へ足した。今度は崩れて、床に欠片が落ちた。


マルタが拾い、鍋の横へ置いた。


「あとで私たちが食べる」


「汚れました」


「腹はそこまで上品じゃない」


二人で少しだけ笑った。


笑った後、すぐ黙った。


まだ笑い方がわからない。



夜、炊事場の火が落ちた後、リーナは台帳の最後に自分の名を書いた。


診療所記録係。


字は少し震えた。


幹部ではない。

強くもない。


兄を許せたわけでも、ブルーノを許したわけでもない。


若様を完全に信じたわけでもない。


それでも今日、彼女はカルロの縁者を列から外さず、

ブルーノの酒精を半分にし、汚い字を老婆に直してもらった。


台帳の湿った端は、ようやく乾いていた。


煤の匂いは残っている。


奥様の手の跡も、残っている。


リーナは布で台帳を包み、胸に抱いた。


明日、若様は食費の話をするだろう。


その時、リーナは鍋の火と子供の泣き声の間で作った表を出す。


泣かないためではない。


泣いても、台帳を濡らさないために。


均等に切れないパンと、湿った台帳。

最後の頁に「診療所記録係」と、自分の名を書いた。


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