第23話 指輪は重すぎる
葬儀の翌日、隠れ家の地下に幹部会が置かれた。
幹部会と呼ぶには、人数が少なすぎる。
長机の上には、地図も銀の燭台もない。
欠けた皿に乗った黒パン、冷めた茶、煤で汚れた名簿、ルカが抱えて逃げた帳簿二冊。
壁の向こうでは、重傷者が眠れずに呻いている。
父の執務室とは何もかも違う。
それでも、全員が俺の前に座った。
マルコ。
ルカ。
ブルーノ。
荷役頭の老いたカルメロ。
診療所側からリーナ。
それからテオ。
テオは護衛見習いで、本来なら幹部会に座る立場ではない。
だが、昨日から彼は水と伝言を運び、上の部屋で泣く子供を黙ってあやし、俺が立ち上がりかけるたび視線で止めた。
今ここに必要なのは、肩書きより働く手だった。
「若様」
最初に口を開いたのはブルーノだった。
彼は礼服ではなく、血と泥を落としきれない上着のままだった。
片耳の欠けた影が、ランプの光で濃く見える。
「旦那様の仇を討つため、仮でも頭が要ります」
机の端には、南埠頭の地図が広げられていた。
父の執務室から持ち出せたものではない。
テオとカルメロが記憶で描いた粗い地図だ。
線は歪み、倉庫番号のいくつかは書き直されている。
第七倉庫だけは、誰も迷わず空白にした。
父が五歳の俺に隠した場所。
今は、全員が見ているのにまだ空白だった。
その空白が、俺たちの無力そのものに見えた。
頭。
ドンとは言わない。
「若様が立つなら、俺は従う。立たねえなら、俺が動く」
それは脅しだ。
同時に、忠義でもあった。
ブルーノは父を愛していた。弟の名を消されなかった恩を、父に返し続けてきた。
今、その父が死んだ。
彼の中で、復讐は愛と同じ場所にある。
「動ける人数は」
俺はルカへ聞いた。
ブルーノの顔が歪む。
「また数ですか」
「はい」
俺は父の指輪を机に置いた。
銀の輪が、地下の粗い板に小さな音を立てる。
「数えます」
ルカが帳簿を開く。
「動ける者は、昨日の報告から二名減りました。重傷化した者が一名。
所在確認のため外へ出たまま戻らない者が一名」
「戻らない?」
「企業警備の検問に止められた可能性があります。確認中です」
確認中。
また、生でも死でもない言葉が増える。
「現金は」
「表口座は凍結。手元現金は、節約して四日。
母上の診療所に残った薬を回収できれば、重傷者の処置は少し伸ばせます。
ただし、建物に入る許可が下りません」
「許可?」
ブルーノが吐き捨てる。
「俺らの診療所だ」
「紙の上では、捜査対象の現場です」
ルカは淡々と言った。
淡々と言えるよう、声を殺している。
「共同炊事場は」
「豆と粉が二日分。ピエトロの酒場が鍋を出すと言っていますが、彼の店も仕入れが止まっています。
給仕二人の給金を先に払わせたばかりです。無理をさせれば、また同じことが起きる」
彼が潰れれば、昨日の未亡人たちの昼が薄くなる。
「遺族は」
リーナが紙を広げた。
母の診療所で使っていた患者控えの写しだ。彼女の字は少し丸く、ところどころ震えている。
「主な稼ぎ手を失った家が四十に増えました。確認が進めば、まだ増えます。
孤児は二十一。赤ん坊が三。薬が必要な老人が十二」
彼女は顔を上げた。
「それと、カルロのように働けないけど死んでいない人がいます。
そういう人は、弔慰金の表に入らないと、奥様なら怒ります」
「入れます」
俺はすぐ言った。
ブルーノが低く唸る。
「若様。飯の話をしている間に、相手は次の紙を出す。港を取られますぜ」
「もう取られています」
自分の声が冷えていた。
「南埠頭の荷、名簿、口座、診療所の扉。俺たちは昨日、一度に失った」
「なら取り返す」
「誰で」
ブルーノは黙った。
俺は彼を見る。
「あなたの怒りは間違っていない。父を殺されて、黙っていられる方がおかしい。
俺だって、相手に顔があれば、その顔だけを憎めたら、どれほど楽かと思う」
父の死を考えると、胸の中に熱い黒いものが湧く。
母の白い外套が消えたことを考えると、息ができなくなる。
復讐という言葉は、その熱に形をくれる。
だから怖い。
「でも、顔がない。カヴァッロと呼ばれる何かがあるだけです。
企業、官僚、警備、密輸屋、法律顧問。
そこへ二十人で突っ込めば、相手は俺たちを犯罪者として片づけ、残った未亡人の家賃まで止める」
「それでも」
「それでも、という言葉で払うのは誰です」
ブルーノの拳が机を叩いた。
茶碗が跳ねる。
テオが動きかけ、マルコが視線で止めた。
「旦那様なら、血を選んだ」
ブルーノが言った。
胸が痛む。
「父は血も選んだ」
俺は言った。
「その結果、救われた人も、怯えた人もいる。カルロの包帯も残った。
母さんはそれを許していなかった。一緒に生きていただけです」
地下の空気が揺れる。
父を否定したと受け取る者もいるだろう。
それでも、言わなければならない。
「俺は父の代わりを演じられない」
指輪を見る。
「最初の命令を出します」
誰も止めなかった。
マルコがわずかに姿勢を正す。
ルカがペンを持つ。
ブルーノは睨んだまま。
「第一。復讐のための独断行動を禁じます。敵の確認なしに動いた者は、身内でも処分する」
ブルーノの目が鋭くなる。
「第二。手元資金は、遺族扶助、重傷者の薬、共同炊事場の食材を最優先にする。
幹部の取り分は凍結。俺の取り分もない」
「若様の生活は」
ルカが言う。
「黒パンで足りる」
「足りません」
母なら叱る声で、リーナが言った。
「では、倒れない分だけ食べます」
リーナは頷いた。
「第三。生活費が止まる家を、名前で読む。
死者、行方不明、重傷、働けない者、子供。数字だけにしない」
ルカが書く手を止めた。
「奥様のやり方ですね」
「父の帳簿と、母の台帳の両方です」
まだ母の台帳は見つかっていない。
でも、母なら必ず残している。
そう思わなければ、立っていられなかった。
「第四の前に」
ルカが遠慮がちに言った。
「事業の優先も決める必要があります」
俺は頷いた。
「残っている事業は」
「ピエトロの酒場、共同炊事場、船員宿の一部、合法倉庫会社の帳簿上の権利。
ただし倉庫は営業停止に近い。賭場と貸付は、今動かせば検挙の口実になります」
ブルーノが舌打ちした。
「金になるものほど止まる」
「そうです」
ルカは認めた。
「だから、金にならないものから守るしかありません。
炊事場と診療所の代替。これを失えば、住民の支持ではなく、住民の明日が消えます」
住民の支持。
その言葉に逃げれば、政治になる。
住民の明日。
その言葉なら、少なくとも台所の匂いが残る。
「第四。診療所の患者と子供を盾にしない。情報を取るためでも、借金を回収するためでも」
ブルーノが目を逸らした。
カルロとリーナの顔が、全員の間に置かれる。
「以上です」
声が終わると、地下の静けさが戻った。
誰も拍手しない。
当然だ。
これは勝利の命令ではない。
何かを我慢する命令だ。
我慢には、甘さではなく費用がいる。
復讐しないことで、父の部下の怒りは俺へ向く。
外からは弱った家に見える。敵はさらに押してくるかもしれない。
それでも、今、俺が最初に選べる血は、死者のための血ではなく、生きている者の口へ回す金だった。
ブルーノがゆっくり立ち上がった。
彼は俺の前へ来る。
地下の全員が身構えた。
ブルーノは膝をついた。
片膝だけ。
父にする礼より浅い。
「命令なら従います、若様」
その声は低く、硬かった。
そして、俺にだけ聞こえるほど小さく続けた。
「だが、若様が腰抜けなら、俺が血を選びます」
膝をついた忠義の中に、反逆の種がある。
俺はそれを聞かなかったふりにしなかった。
「その時は、あなたも処分します」
声は震えた。
ブルーノの目がわずかに見開かれる。
彼は笑わなかった。
「覚えておきます」
マルコが初めて、短く息を吐いた。
幹部会は終わった。
父の指輪は、最後まで机の上にあった。
俺はそれを指にはめようとしなかった。
まだ大きすぎる。
そして、はめられたとしても、父と同じ手になるわけではない。
俺は指輪を布に包み、胸の内側へしまった。
重さは少しも減らなかった。
最初の命令は、勝つことではなく、残った人間をこれ以上減らさないこと。
食事、診療、補償、報復の停止。
父の執務室から持ち出した紙へ、順番に書き足していく。
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