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灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
3章 手袋の表と裏

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第18話 夜の父子



晩秋の夜、父の執務室は明るすぎた。


机の上にはランプが三つ。


地図、名簿、倉庫証書、匿名の写し、診療所の走り書き。


紙が光を反射し、白い面ばかりが目に刺さる。


俺は立っていた。


父は椅子に座っていない。


窓際で港を見ている。背中が大きい。子供の頃は、その背中が壁に見えた。


今は、壁にもひびが入るのだと知ってしまった。


「報告しろ」


父が言った。


声はいつものドンの声だった。


俺は息を吐く。


マルコの稽古どおりに。


「初めて同行した徴収先、酒場主ピエトロの倉庫証書に、旧第七倉庫がありました。最近、見慣れない制服の警官が証書について尋ねています」


出来事を順番に並べるほど、心の中で苦くなる。


これは物語ではない。


ここにいる人間は、明日も腹が減る。


「市場では、迷子の母親の名と夫の勤め先を、偽の警官章をつけた男が確認していました。地元警察でも中央の制服でもない。章は薄い銀で、作りが軽い」


父は振り向かない。


指輪のある右手だけが、わずかに動いた。


「港湾名簿から、ベランディ保護下の荷役班が抜けています。共同炊事場、診療所、夜番に関わる者が集中しています。ルカは訂正に動いていますが、期限が短い」


ルカは部屋にいない。


彼は今も会計室で書類を作っている。


自分の失策だと言い、休まない。母なら叱るだろう。父なら黙って茶を置くかもしれない。


「匿名で内部控えの写しが届きました。余白に、幼い契約の印がありました」


父がこちらを見る。


「ソフィアか」


「断定はできません」


「お前はどう思う」


俺は少し黙った。


信じたい。


疑っている。


どちらも答えに入れなければ、嘘になる。


「彼女だと思います。助ける意図もある。オルシーニの利益もあるかもしれない。全部はわかりません」


父は小さく頷いた。


「続けろ」


「診療所に運ばれたカルロが、第七倉庫で知らない警官に名を聞かれたと言いました。妹が診療所にいるか、ベランディに借りがあるかも聞かれています」


「カルロは」


「ブルーノが負傷させました」


部屋の空気が重くなる。


ブルーノは扉の外にいる。


聞こえているかもしれない。


俺は続けた。


「カルロは借金を返さず、妹を保証に使おうとしていました。それは悪いことです。でも、ブルーノがしたことも責任です。母さんが治療費と食費、妹を巻き込ませない書面を命じました」


父の目が、ほんの少し柔らかくなる。


「エミリアらしい」


「父さんは」


言葉が勝手に出た。


「父さんは、それでいいと思うの」


父はすぐ答えなかった。


俺の心臓が嫌な音を立てる。


子供の頃、俺は父を失望させるのが怖かった。役に立てば愛されると思った。十五歳になっても、その癖は消えない。


今、俺は父に逆らおうとしている。


愛されるために始めた後継教育で、愛している父の仕事を否定しようとしている。


「何を指している」


父は静かに聞いた。


「徴収。見せしめ。守るための脅し。市場では感謝されました。警察より早く子供を守れた。名簿から消える人たちも、家が拾おうとしている。でも、その同じ家の人間がカルロを傷つけた」


声が震える。


「俺は、どこを見ればいいかわからない」


父は机へ歩き、地図の上に手を置いた。


昔、五歳の俺に港を教えた手。


第七倉庫を隠した手。


「全部見ろ」


「見たら、止めたくなる」


「止められるなら止めろ」


「父さんがそれを言うの」


俺の声が鋭くなった。


マルコが扉の側でわずかに動く。


父は動かない。


「父さんはドンだ。止められる側だろ。ブルーノを止められる。徴収のやり方を変えられる。警察より早いからって、俺たちが人を怯えさせていい理由にはならない」


言った。


言ってしまった。


部屋が静かになる。


前世なら、この沈黙だけで俺は謝っていた。ごめんなさい。今のは違います。俺が悪いです。何でもするから捨てないで。


喉までその言葉が上がってくる。


俺は歯を食いしばって飲み込んだ。


父は怒鳴らなかった。


「レオーネ」


「はい」


「お前の言うことは正しい」


胸が一瞬緩みかけた。


父は続ける。


「正しいだけでは、明日の市場は守れない」


また、胸が固くなる。


「地元警察は賄賂を取る。中央は港を数字で見る。企業は保険の通る者だけを雇う。酒場主は娘の薬代のために給金へ手をつける。借りた若者は妹を巻き込もうとする。そこへ、俺たちが綺麗な手で立てる場所はない」


「だから汚していい?」


「いいとは言っていない」


父の声が低くなる。


「汚れると言っている」


その違いは、逃げ道のようで、逃げ道ではなかった。


父は自分の罪を善行に変えない。


だが、やめるとも言わない。


「俺は人を恐れさせてきた。払わせ、黙らせ、時には傷つけた。その金で飯を配り、薬を買い、港の女と子供を守った。どちらも俺だ」


「どちらもなら、傷つけられた人はどうなる」


父の目が俺を射る。


怒りではない。


疲れに近いものだった。


「残る」


短い答えだった。


「礼も恨みも残る。だから、お前は帳簿を読め。診療所へ行け。市場の婆さんの手も、カルロの包帯も見る。どちらかを消した瞬間、ドンではなくなる」


「俺はドンになりたいわけじゃない」


言った後で、胸が痛んだ。


嘘ではない。


全部でもない。


俺は父に認められたかった。役に立ちたかった。守りたかった。


ドンという名がその道にあるなら、そこへ行くしかないと思っていた。


今は、行きたくない。


この道の先に、母の診療所へ運ばれる人が増えるなら。


父は深く息を吐いた。


「それでいい」


「え」


「なりたい者に継がせる仕事ではない」


父は右手の手袋を外した。


灰冠の指輪が灯りを受ける。


八歳の誕生日の夜、鉄の匂いを覚えた指輪。


門灯の下で男が口づけした指輪。


父の手を重く見せる輪。


「第七倉庫、偽警官章、名簿欠落」


父は一つずつ言った。


「偶然ではない。だが、敵を絞るには早い。オルシーニだけを疑えば、見えない相手を逃がす。中央だけを疑えば、地元の裏切りを見落とす。企業だけを疑えば、港の小さな恨みを踏む」


「では」


「調べる。守る。必要なら脅す。だが、血に急がない」


父はそう言った。


それでも、ブルーノを完全に止めるとは言わなかった。


古い威信に縛られている。


ブルーノの忠義に支えられ、同時にその復讐心を使ってきた父だからこそ、簡単には切れないのだ。


「父さん」


「何だ」


「母さんは、父さんの仕事を許しているの」


父の顔が、初めてはっきり痛んだ。


「許してはいない」


窓の外で、港の汽笛が鳴る。


「一緒に生きている」


その答えは重かった。


許すことと、一緒に生きることは違う。


母は父を愛している。


父の罪を消してはいない。


診療所で被害を減らし、遺族扶助を整え、ブルーノへ当然ですと言う。


その全部で、父の仕事の横に線を引いている。


俺も、いつか線を引けるのだろうか。


父は指輪に指をかけた。


ゆっくり外す。


その動作だけで、部屋の温度が変わった気がした。


「レオーネ」


「はい」


父は俺の前に立ち、掌を取った。


子供の頃は、父の手に包まれるだけだった。今は、俺の手も少し大きくなっている。それでも、父の掌は厚く、熱い。


灰冠の指輪が、俺の掌に置かれた。


重い。


想像よりずっと重い。


「継ぐな」


父は言った。


俺は顔を上げる。


「だが、覚えておけ」


「何を」


「この輪に口づけする者の中には、救われた者も、怯えた者もいる。お前がいつか何かを選ぶ時、片方だけの顔で選ぶな」


指輪は俺の指には大きすぎた。


掌の中で冷たく、すぐ父の体温が消えていく。


俺は握りしめた。


継ぐなと言われた。


それなのに、預けられた。


扉の外で、ブルーノが低く咳をした。廊下の遠くでは、母の足音が近づいてくる。


俺は掌を開かず、父の目を見た。


初めて、褒めてほしい子供としてではなく、同じ家の一人として。


「覚えます」


声は震えていた。


それでも、父は頷いた。


夜の港の灯りが、窓の向こうで一つずつ滲んでいた。


継ぐな。だが、覚えておけ。

ヴィットリオが預けた指輪は、まだレオーネの指には大きすぎる。

掌の上で冷えていく銀を挟んで、父子が初めて同じ家の一人として向き合った。


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第3章「手袋の表と裏」は、ここまで。

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