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異類婚姻譚 愛執堂  作者: 黒薔薇
雪男との約束
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48/50

社畜の紬

疲れた。


本当に疲れた。


肩は重いし

目は痛いし

腰まで痛い。


人間ってこんなに

働く生き物だったっけ?



私は会社のエントランスを出るなり、

大きくため息を吐いた。


時計を見ると

午後六時五十二分だった。


定時は午後五時三十分なのに

一時間以上の残業である。



しかも今日だけじゃない。


昨日も

一昨日も

その前も


-気付けば今週

ずっと残業している気がする。


「帰りたい……」


思わず本音が漏れた。


いや、帰るけど?

もう会社の外だけど…



そういう意味じゃない。



何というか

布団に帰りたい。


社会人になって三年

最近になってようやく理解した。


大人は自由じゃない。


学生の頃は、

働けばお金もあるし

好きなことができると思っていた。


むしろ

大間違いだった。


お金はあるが

時間がない。


そして体力もない。



世の社会人たちは

どうやって生きているのだろう?


私は毎日ギリギリで生きている。


改めまして

私の名前は春川紬はるかわ つむぎ


二十四歳で

都内にある広告代理店

《東都クリエイティブ株式会社》で

事務として働いている。


---


趣味は読書

好きなものは甘い物

嫌いなものは残業


そして現在、

人生最大級に疲れている。


「コンビニで夕飯買って帰ろう……」


自炊?

そんな気力はない。


私は重たい足を引きずるように

駅へ向かった。


六月の夜は蒸し暑くて

街には仕事帰りの人たちが溢れている。


やっぱり

みんな疲れた顔をしている。

きっと私も同じ顔をしているんだろうな…と

そう思った


その時だった。


ふわり…


冷たい風が頬を撫でた。


「え……?」


思わず足を止める。



六月なのに

その風だけが、

まるで真冬の雪山みたいに冷たかった。


私は思わず両腕をさする。



寒い

本当に寒い

さっきまで蒸し暑かったはずなのに…


周囲を見回すと

行き交う人たちは誰も気にしていない。


スーツ姿の会社員や

買い物帰りの主婦


それに

制服姿の高校生も


みんな普通に歩いている。


「もしかして…私だけ……?」


少し気味が悪かった。


疲れすぎて体調でも崩したのだろうか?

最近まともに休めていないし…


そう思っていると


チリン――


どこからか鈴の音が聞こえ

私は反射的に振り返る


けれど

誰もいない。


「……気のせい?」


辺りを見回してもそれらしいものは

見当たらなかった。


風鈴もないし

神社もない


それなのに

確かに聞こえた。


チリン


どこか懐かしい音だった。


胸の奥がざわつく


まるで忘れていた何かを思い出しそうな

そんな感覚だ


その瞬間…

真っ白な景色が脳裏を掠めた。



降り続く雪と

冷たい空気


小さな手が見える


そして――


『約束だぞ!』


知らない男の声


知らないはずなのに

何故か泣きたくなるほど懐かしい。


「っ……」


ズキン


頭に痛みが走り

私は思わず額を押さえる。



何?

今の…


誰の声?


思い出そうとしても

霧がかかったようにぼやけている。


掴めそうで掴めない

そんな感覚だ。


気付けば胸だけが妙に苦しくなっていた。


「本当に疲れてるのかも……」


そう自分に言い聞かせ

今日は帰って早く寝よう…


そう決めて再び歩き出した。


もちろん

その時の私は知らない


道路の向こう側に

雑踏の中に紛れるようにして

一人の青年が立っていたことを


黒い和服で

雪のような銀髪


それに加えて

人間離れした美しい顔立ち


そして

まるで獲物を見つけた

獣のような銀色の瞳


青年は何も言わない。


ただ

私だけを見ていた。


逃さないように

見失わないように


二百七十三年という

長い歳月を埋めるように


静かに

ただ静かに


その瞳だけは

一瞬たりとも私から離れなかった。


「ようやく……」


誰にも聞こえないほど小さな声で

夜風に溶けて消えるように呟く


けれど

その声には確かな安堵が滲んでいた。


「見つけた…」


私は知らない


彼のことも

交わした約束も


そして

私を見つめるその視線が

これから私の運命を大きく変えていくことも


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