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異類婚姻譚 愛執堂  作者: 黒薔薇
龍神と先祖の花嫁契約
44/50

彼が話す雫の前世

青嵐はしばらく黙っていた。


湖から吹く風が

彼の黒髪を揺らしていて

月明かりに照らされた横顔は

美しかったけれど


その瞳の奥には、

千年分の後悔が沈んでいた。



「……どこから話そうか?」


ぽつりと呟く。


私は黙って彼を見た。


青嵐はゆっくり湖へ視線を向ける。


「千年前…

俺はまだ今ほど神格を持ってなくてな…

村を守る龍だった」


湖面が静かに揺れる。


「人間は弱い

洪水に巻き込まれて死ぬ

干ばつに巻き込まれて死ぬ

病で侵されて死ぬ

戦争や争いでも死ぬ」


その声はどこか遠くを見ていた。


「だから俺は村を守った…

水を与え…田を潤し…村を守り続けた」


私は静かに聞いていた。


「その代わりに交わした契約があるんだ…

それは…

水瀬家の娘を花嫁として迎える契約だ…」


私は俯く。


「やっぱり本当なんですね?…」


「本当だ」


青嵐は否定しなかった。



「だが…生憎

お前が思っているようなものじゃない…」


蒼い瞳が私を見る。


「最初からお前を攫うつもりだったわけじゃない…」


「え……?」


青嵐は苦笑した。


「最初の花嫁は…お前だった」


私は息を呑む。


「前世の……私?」


「そうだ…」


そして

青嵐は初めてその名前を口にした。


「千年前のお前は…水瀬雫ではない」



「当時の名前は…水瀬澪みなせ みお


その名が告げられた瞬間

胸が強く痛んだ。


理由は分からない

なのに涙が出そうになる。


「澪は契約のためにここへ来た…

だが俺は契約などどうでもよかった」


「ただ……」


青嵐は小さく笑う。


「初めて会った時から好きになっていた…」


私が目を見開くと

青嵐は続ける。


「その頃は人間など興味がなかった」


「俺と違って

寿命は短いしすぐ死ぬし…すぐ消える

だから関わるつもりもなかった…」


静かな声だった。



「だが…澪だけは違った」


「俺が龍の姿でも

唯一怖がらなかった」



「神でも

怪物でも

ずっと笑っていた」


その時

頭の奥で声が聞こえた。


『青嵐様!』


少女の声。


『また湖に落ちたのですか?』


『うるさい…』


『ふふ…』


景色が一瞬だけ見え

私は額を押さえた。


「っ……」


青嵐がそっと肩を支える。


「思い出してきたか?」


私は答えられなかった。


それでも

青嵐は続ける。


「俺は愚かだった…」


その声音が少し変わり

後悔を滲ませる話し方になった。


「澪が傍にいることが当たり前になった

それと同時に

いつまでも一緒にいられる気がした…」


「神だからな?」


苦笑する。


「時間の感覚が違ったのだ…」


「俺には一年など一瞬だった」


「十年も短かった…

だが人間は違う」


風が吹くと

社の鈴が鳴る。


チリン――


青嵐は静かに目を閉じた。


「ある日…

澪は病に倒れた」


私は息を呑む。


「俺は神だった…

湖を守る力もあったし

嵐も止められた」


「だが」


青嵐の拳が握られる。


「命だけは救えなかった…」


静寂


その一言に

千年分の悔しさが込められていた。



「神だったのに…

俺は何も出来なかった…」


「ただ見ていることしか出来なかった……」


蒼い瞳が揺れる。


「澪は最後に笑った…」


『泣かないでください』


その声が聞こえた気がした。


『絶対にまた会えますよ?』


『だから…待っていてください』


青嵐は震える息を吐く。


「俺は信じた…だから待った」


「一年

十年

百年

五百年

千年」



月明かりの中

龍神は笑ったけれど

その笑顔は酷く寂しかった。


「ずっと…探し続けた

何度も同じ顔を見つけたが

全部違った」


「顔は似ていても

魂が違ったり

名前が違ったりもした。」


「全員…お前じゃなかった…」


私は黙って聞いていた。


「だから諦めかけた…

もう会えないのだと…」


「もう…約束は果たされないのだと」


青嵐は私を見る。


優しく

けれど狂おしいほど真っ直ぐに。


「だが…

水瀬雫として

お前が生まれたのが

夢の中で分かった…」


「やっと帰ってきたと」


私は胸を押さえる。


苦しくて

涙が出そうだった。


青嵐はゆっくり近付く。


「だから迎えに行ったんだ…」


「もう二度と失いたくなかったし…

もう待ちたくなかった」


「千年で十分だった…」


その声は穏やかだった。


だが

その穏やかさの奥に

途方もない執着が見えた。


「雫」


名前を呼ばれる。


「俺はお前を愛している」


「千年前からずっと」


「今も

これからも

千年先も」


月が湖を照らすと

青嵐は私の前に膝をついた。


龍神が

人間の私の前に


「だから聞かせてくれ…」


蒼い瞳が揺れる。


「もう一度

俺を待たせるか」



「それとも…」



そっと手が差し出される。


「今度こそ俺の隣にいてくれるか?」


その問いの裏には

契約でも義務でもない。



千年間

たった一人を待ち続けた

龍神の願いだけがあった――。


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