到着した湖
雨の音が遠ざかっていく。
いや違う
私たちが雨の中を歩いているのに、
不思議なほど雨音が聞こえなくなっていた。
「降ろしてください……」
私は青嵐の腕の中でもがく。
けれど
龍神の腕はびくともしない。
「もう少しだ…」
「どこがですか?!」
「もうすぐ着く」
「答えになってません!」
青嵐は少しだけ困った顔をした。
「昔はもっと大人しかったんだが?
気のせいか?」
「知りません!」
即答だった。
青嵐は小さく笑う。
その笑顔はどこか嬉しそうだった。
「そうやって怒るところも変わらないな…」
「だから知りませんって!」
私が叫んだ瞬間
景色が変わった。
「……え?」
私は思わず言葉を失う。
いつの間にか
街が消えていたのだ。
ビルも
道路も
街灯も
何もない。
あるのは深い森だけだった。
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月明かりに照らされた木々に
凄く濃い霧
そして
森の奥に広がる巨大な湖
私は息を呑んだ。
絶対に見たことがある景色だ。
夢の中で
何度も
何度も
見てきた景色だった。
「そんな……」
湖面が静かに揺れる。
水面に満月が映っていて
まるで鏡みたいだった。
青嵐は湖を見つめる。
その横顔は
どこか懐かしそうな様子だった。
「帰ってきたぞ…」
ぽつりと呟く。
「俺たちの場所だ」
私は首を横に振る。
「違う……」
私は
違うはず
初めて来た場所なのだから。
なのに
胸が苦しい
凄く涙が出そうになる。
湖の向こうにある小さな社に
その石段
朱色の鳥居
全部
知っている気がした。
その時だった。
湖面に波紋が広がる。
一つ
二つ
三つ
「……っ!?」
そして
湖の中から無数の
青い光が浮かび上がる。
蒼い人魂のようなのが
まるで蛍みたいに。
けれど
それは蛍ではなかった。
人か?
いや
人の形をした何かだ。
青白い影たちが湖の中から現れる。
何十人も
何百人もいる
まるで王を迎える家臣のように
彼らは静かに頭を垂れた。
「龍神様
いえ…青嵐様」
「お帰りなさいませ」
沢山の声が重なり
私は凍り付く。
青嵐は当然のように頷いた。
「留守を任せてすまなかったな」
「いえ…当然のことをしたまでです。」
代表の一人が言うと
影たちは一斉に礼をする。
その光景は美しかった
けれど
人間の世界のものではない。
私は本能的に理解した。
ここは
龍神の領域だ。
人間が踏み込んではいけない場所
でもある
その時
一人の影が私を見る。
そして
驚いたように目を見開いた。
「まさか……」
「花嫁様……」
花嫁
その言葉に
湖全体がざわめいた。
「花嫁様だ!!」
「お戻りになられた…」
「ようやく……」
囁きが広がり
私は恐ろしくなった。
怖い
今すぐ逃げたい。
そう思う私の隣で唯一
青嵐だけは静かだった。
彼は私を抱いたまま湖を見つめる。
その瞳は優しいけれど
千年待ち続けた者の執着がそこにはあった。
「雫」
名前を呼ばれる。
「怖がらなくていい」
低い声だった。
「ここはお前を傷付ける場所じゃない」
そして
青嵐はゆっくり微笑む。
「ようこそ」
蒼い瞳が細められる。
「俺の世界へ」
その瞬間…
湖の中央にある社へ続く水面の上に
一本の道が現れた。
まるで
花嫁を迎えるためだけに作られた道のように――。




