強引な龍神
私は青嵐の腕の中で息を呑んだ。
近い
近すぎる
蒼い瞳が真っ直ぐ私を見ている。
「離して……!」
慌てて身体を離そうとするけれど
青嵐の腕はびくともしなかった。
人間の力ではないというのを
嫌というほど理解する。
「雫」
低い声だった。
「落ち着け…」
「無理です!」
思わず叫ぶ。
「龍神とか花嫁とか契約とか!
急にそんなこと言われて!
落ち着けるわけないでしょう!?」
店内に私の声が響く中
古時計が静かに時を刻んでいた。
青嵐は黙り
そして
少しだけ困ったように眉を下げた。
「そうだな…
俺が急ぎ過ぎたようだな…」
彼から出たのは
意外な言葉だった。
私は一瞬だけ動きを止める。
しかし
その次の言葉で凍りついた。
「だから場所を変えようかね?」
「……え?」
「ここでは落ち着いて話せないだろう?」
青嵐は当然のように言う。
「俺の住処へ行くぞ!」
「行きません!」
即答だった。
青嵐は首を傾げる。
「なぜだ?」
「なぜって……!」
「知らない場所に知らない人と
行くわけないでしょう!?」
「知らない人ではないと言ってるだろう?」
「私にとっては貴方は全く知らない人です!」
私の言葉を聞いて
青嵐は小さくため息を吐いた。
「それもそうか…」
納得したらしい
だが
なぜか帰る気配がない。
むしろ
蒼い瞳はますます真剣になっていく。
「雫」
名前を呼ばれる。
「聞いてくれ…」
「嫌です」
「いいから聞いてくれ」
「嫌です!」
「……」
「いや!……」
店主は
私たちを見ながら紅茶を飲んでいる。
なぜ助けてくれないのだろう。
すると
青嵐は静かに目を閉じた。
まるで何かを決意するように。
「仕方ないな…」
嫌な予感がした。
ものすごく
嫌な予感が。
「何が仕方ないんですか?」
「後で謝るから」
「何にですか?」
「これだ…」
次の瞬間だった。
ぐらりと視界が揺れた。
「え……?」
床が遠ざかる。
気付けば
私は青嵐に抱き上げられていた。
いわゆるお姫様抱っこだった。
「ちょっ!?」
「暴れるな…」
「暴れます!」
当然だった。
私は必死に抵抗する。
しかし
青嵐はまるで揺れない。
山そのものみたいだった。
「降ろしてください!」
「断る」
「断らないでください!」
店主が肩を竦める。
「龍神様…」
「なんだ?」
「少々強引では?」
青嵐は真顔だった。
「千年待ったんだぞ?」
「それは存じています」
「限界だ…」
ため息をついて
店主は目を閉じた。
「そうですか…」
全然止める気がない。
私は店主に助けを求める。
「店主さん!」
「ご安心ください」
「安心できません!」
店主は穏やかに笑った。
「命までは取られませんよ?」
「いや…基準がおかしいんです!」
青嵐が少しだけ小さく笑う。
「大丈夫だ雫」
「大丈夫じゃないです!」
「湖へ行くだけだぞ?」
「それが大丈夫じゃないんです!」
すると
青嵐の表情が少しだけ柔らかくなった。
「そんな顔をするな」
「どんな顔ですか?!」
「今にも泣きそうな顔だぞ?」
その声だけは
不思議なくらい優しかった。
けれどそ
の優しさが
余計に恐ろしい。
青嵐は私を抱いたまま扉へ向かう。
外では豪雨が降り続いていた。
だが
扉が開いた瞬間
雨が止む。
いや違う
青嵐の周囲だけ
雨粒が避けている。
まるで王を迎える家臣のように。
店主はその背中を見送りながら微笑んだ。
「お気をつけて」
青嵐は振り返らない。
ただ一言だけ返した。
「必ず連れて帰る」
その言葉に
なぜか店主は少しだけ苦笑した。
そして
龍神は花嫁を抱いたまま
雨の夜へと歩き出した。
その先にあるのは
誰も辿り着けないという
深い湖の底の社だった――。




