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異類婚姻譚 愛執堂  作者: 黒薔薇
龍神と先祖の花嫁契約
38/46

雫と龍神

雨が降っている。

空が抜け落ちたみたいな豪雨だった。


私は駅から会社へ向かう途中で足を止める。


傘はあったけれど

意味がないくらいの雨だった。


「最悪……」


濡れるせいで

思わずため息が漏れる。


私の名前は――


水瀬みなせ しずく


二十五歳で

出版社勤務

毎日仕事に追われる普通の会社員だ。


……少なくとも今日までは


物心ついた頃から同じ夢を見ていた。



深い湖に

静かな水面


そして

巨大な龍



蒼い鱗に覆われていて

金色の瞳をしている。


神様みたいに美しくて

怪物みたいに恐ろしい存在


夢の中でその龍はいつも言う。



『迎えに行く』


『約束だから』


子供の頃から何度も聞いた言葉


何百回も見た夢だから

もう慣れているはずだった。


なのに

今日だけは違った。



『もうすぐだな…』


そう言って

龍が笑った。



『雫』


初めて名前を呼ばれた。


そこで私は目を覚ましたのだった。



嫌な夢だったな


だから忘れようと思った。


本当に

忘れられると思っていた。


けれど

気付けば私は

見知らぬ路地に立っていた。


「……え?」


辺りを見回すと

知らない場所だった。


おかしい

さっきまで駅前を歩いていたはずなのに…


人通りもないし

車もいない。


聞こえるのは雨音だけ。


場所を確認しようと

スマホを見るが

圏外だった。


「そんな……」


嫌な汗が滲む。


引き返そう

そう思った時だった。


路地の奥に灯りが見えた。


古びた建物に

木製の看板


それに

曇ったショーウィンドウ


そこに

並ぶ人形や時計や装飾品


とても懐かしい感じがする

どこか不気味な店があった。


私は無意識に近付いていた。


その時


――カラン


勝手に扉が開いた。



「っ!?」



驚いて立ち止まる。


すると

店の奥から穏やかな声が聞こえた。


「いらっしゃいませ」


そこにいたのは一人の男だった。


年齢の分からない不思議な店主が

優しく微笑んでいる。


けれど

なぜか目が離せなかった。


「雨宿りでもどうぞ」



不思議と断る気になれなくて

私は店へ入った。


背後で扉が閉まる。


――カラン


その音が妙に大きく響いた。


店内には沢山の古時計が並んでいた。


他にも

人形や簪


それに

指輪や

沢山の古い本


どれも誰かの思い出が

染み込んでいるようだった。


私は棚を眺める。


その時だった。


ふと

一つの簪が目に入った。


蒼い宝石が付いた古い簪で

まるで水滴を閉じ込めたような色をしていて

とても綺麗だった。


気付けば

私は手を伸ばしていた。



その瞬間…


――チリン


鈴が鳴る。



そして

耳元で夢で聞く

声が聞こえた。


『やっと…』


私は息を呑む。


今の声

聞き間違いじゃない。


確かに

誰かが言った。


『やっと見つけた…』


慌てて振り返ると

誰もいない。


店主だけが静かに微笑んでいた。


まるで

それを待っていたかのように。


「その簪にまつわる物語を知っていますか?」


私は首を横に振る。


すると店主は目を細めた。


「これはある龍神の花嫁が

身につけていた品です」



龍神

その言葉を聞いた瞬間…

胸がざわついた。


「昔」


店主は静かに語り始める。


「とある村には龍神様がおりました」


「村人達は豊かな水を与えてもらう代わりに

ある契約を結んでいたのです」


店内の時計が静かに時を刻む。



カチ


コチ



カチン


「契約ですか……?」


「ええ」


店主は頷く。


「代々、

水瀬家の娘を花嫁として捧げる契約です」


その瞬間…

私は固まった。


「……え?」


水瀬って…


水瀬って言った?


店主は穏やかに微笑む。


「随分長い契約ですよ…」


「交わしてから

千年以上になりますから」


背筋が凍る。


偶然?


いや…

そんなはずない。


私は後退った。


「何の冗談ですか……?」


「冗談ではありませんよ?」


店主は静かに言う。


「龍神様は今も待っています…」


「花嫁をね…」


その瞬間だった。


ゴロォォォン――


外で雷が鳴り

店内の照明が

一瞬だけ明滅する。


そして

誰かの声が聞こえた。


『雫』


耳元からだった。



すぐ後ろにいると分かり

私は反射的に振り返る。


そこには

誰もいなかったけれど


ショーウィンドウに映る雨の向こうに

一人の男が立っていた。


長い黒髪に

蒼い瞳

白い着物を着ている。


そして

人間とは思えないほど整った顔立ちをしていた。


私だけを見つめながら。

男は微笑んでいた。


まるで何百年も探していた宝物を

見つけたように。


そして静かに口を動かす。



「迎えに来たぞ…雫」


その言葉を聞いた瞬間…

私の心臓が大きく跳ねた。


外では雨が降り続いていた。


まるで

花嫁を逃がさないと言うように。


そして私はまだ知らない


その龍神が

千年以上

私だけを待ち続けていたことを。



そして

その愛が

恋よりも

執着よりも

もっと重く深いものだということを――。


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