白夜と凛花と店主
雨が上がり
空には柔らかな陽射しが差し込み、
濡れた石畳がきらきらと光っている
そんな午後だった。
――カラン
愛執堂の扉が開き
店主は古い本を読んでいた手を止め
そして静かに顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
いつもの穏やかな声だけれど
店主は扉の向こうの姿を見て少しだけ目を細めた。
「なるほど」
そこに立っていたのは
九条白夜
そして
一ノ瀬凛花
二人が来たのだった。
以前とは違い
白夜の表情は穏やかだった。
あの張り詰めたような執着も
失うことへの怯えも
まだ消えたわけではないけれど
どこか肩の力が抜けている。
それは
凛花も同じだった。
あの日のような不安そうな顔ではない。
「こんにちは」
凛花が少し照れながら頭を下げるのを見て
店主は微笑んだ。
「お久しぶりですね」
「はい」
凛花は笑う。
「その……
今日はお礼を言いに来ました」
店主は黙って耳を傾けた。
凛花は隣の白夜を見る。
白夜は困ったように笑っていた。
「色々あったけど
ちゃんと話せました」
「ちゃんと向き合えました」
その言葉を聞いて
店主は小さく頷く。
「それは何よりです」
すると。
「店主」
白夜が口を開いた。
珍しく真面目な顔だった。
「ありがとう」
お礼を言われ
店主が少し驚く。
「貴方がお礼ですか?」
「その顔やめろ!」
恥ずかしかったのか
即答だった。
それを見て
凛花が吹き出し
店主も肩を竦めた。
「失礼しました」
白夜はため息を吐く。
「でも本当に感謝してる」
「もしあの日」
「ここに来てなかったら」
金色の瞳が細められる。
「また間違えてたかもしれない」
静かな声だった。
何百年も抱えてきた後悔…
それをようやく口にできた男の声だと
分かり
店主は少しだけ優しく微笑んだ。
「そうですか
それは良かった」
そして
「今回はちゃんと待てましたか?」
白夜が顔をしかめる。
「……努力はした」
「本当ですか?」
「した」
「監禁は?」
「してない!」
「神隠しは?」
「してない!!」
「洗脳は?」
「だからしてないって!!」
凛花が笑いを堪えきれなくなる。
「ふふっ……」
「本当ですよ?
すごく頑張ってくれました」
白夜は少し照れたように目を逸らした。
「凛花」
「何?」
「それ以上言うな…
恥ずかしくなる…」
珍しく耳まで赤いのを見て
店主は静かに紅茶を淹れ始めた。
湯気が立ち上り
どこか穏やかな時間だった。
やがて
凛花が店内を見回す。
人形や
装飾品
それに古い本
そして
数え切れない恋の残骸
「また誰か来るんですか?」
その問いに
店主は微笑む。
「ええ…
きっと
近いうちに来ると思いますよ?」
意味深な答えだった。
それを聞いて
白夜が嫌そうな顔をする。
「次は誰だ?」
「分かりません…」
店主は笑う。
「強いて言うなら
狐より少し厄介な方かもしれませんね?」
その言葉に
棚の奥に置かれていた一本の簪が
ちりん…と
小さく音を立てた。
誰も触れていないのに
店主だけが気付いたように目を細める。
「おや?
もう来てしまいましたか…」
凛花が首を傾げるのを見て
白夜も眉をひそめた
けれど
店主だけは知っていた。
新しい恋物語が
もうすぐ始まることを。
歪で
狂おしく
そして誰よりも一途な
次の愛が
再び愛執堂へ迷い込もうとしていることを――。




