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もし応仁の乱が起きなかったら? 〜日本を世界最速の大航海時代へ導く〜  作者: tky
第5章:世界地図を塗り替えた日

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第99話:日野富子と小間使い 〜シスターフッドの到達点〜

次期CEO・足利義材の完璧な戴冠式が終わり、大名たちがそれぞれの任地へと散っていった夜。


室町第の奥深く、日野富子の私室には、しっとりとした静寂が満ちていた。


縁側の御簾は上げられ、見事な満月が、広大な庭園の池に銀色の光を落としている。


そして夜風に乗って、遠くメガロポリス・京都から、夜通し稼働する工場の微かな響きと、灯りに照らされた街の活気が、心地よい子守唄のように届いていた。


「……ほんまに、ようやったわ。うちら」


最高級の南蛮硝子(切子細工)の盃を傾けながら、富子がふうっと、長く甘い溜息を吐いた。


五十路を超えてなお凄みのある美しさを保つ彼女の顔は、今夜ばかりは、すべての重圧から解放された少女のように無防備に和らいでいた。


「ええ。まことに……長き道のりにおじゃりました」


富子の向かいに座り、静かに盃に酒を注いでいるのは、薫子である。


彼女もまた、四十代半ばを迎えている。

しかし、その所作の美しさと、底知れぬ知性を宿した瞳は、富子と初めて出会った幼い頃から何一つ変わっていない。


富子は硝子の盃を月の光に透かし、くすくすと笑った。


「思えば、不思議な縁やったねぇ。……うちがまだ将軍家に嫁ぐ前、お忍びで山科の村を覗きに行ったら、水車を回して銭を数えとる、得体の知れん小さな童女がおったんやから」


「ふふっ。あの時の富子様は、まこと恐ろしいお嬢様におじゃりました。私の商いを、いきなり力ずくで奪い取ろうとなさったのですから」


「そないなこと、あったっけ?」と富子はとぼけながら、美味しそうに酒を煽った。


「……やけど、あの時、そなたの手を取ってほんまに良かったわ」


富子の目が、ふと真剣な色を帯びた。


「細川や山名の爺さんたちが、京の都を火の海にして殺し合おうとした時も。誰も知らん未知の海へ、この国の莫大な富を乗せて大船団を送り出した時も。……うちは、ちっとも怖くなかった。そなたが隣で算盤を弾いて、完璧な『仕組み』を作ってくれとったからね」


「もったいないお言葉におじゃりまする。……すべては、富子様という絶対的な『盾』と、ご決断があってこその事」


薫子は、静かに頭を下げた。


「血を流すいくさは、何も生み出しませぬ。……人間の強欲は、殺し合いではなく、銭稼ぎと開拓へ向けさせてこそ、この星の富を豊かに循環させる。それを富子様が、誰よりも深くご理解してくださったからです」


薫子の言葉に、富子は満足げに頷き、そして、じっと薫子の顔を見つめた。


「なぁ、薫子」


「はい」


「……そなたは、いったい何者やったんや?」


富子の問いかけは、ひどく穏やかだった。

恐れや疑念ではなく、純粋な、長年の相棒に対する親愛と敬意に満ちた問いだった。


「赤子の頃から、複式簿記とかいう帳面を書き。見たこともない水車や鉄砲を作らせ。海の向こうに何があるかを、まるで見てきたかのように知っとった。……そなたがおらんかったら、この国はとうの昔に、焼け野原になっとったはずや」


『…………』


薫子は、静かに目を伏せた。


脳裏に蘇るのは、前世の記憶。

休日の京都でトラックに轢かれ、この応仁の乱前夜の狂った世界に放り込まれた日のこと。


戦国時代という、百年にわたる地獄の無駄遣い。

それを防ぎたい、日本の国力を完全な状態で維持したまま、世界の大航海時代にぶつけてみたいという、一人の歴史オタクの途方もないエゴと野望。


『私は……ただの、歴史を知る現代人。あなたの時代から見れば、数百年先の未来から来た、ただの狂ったオタクよ』


もしそう言えば、この聡明な富子なら、あるいは信じてくれるかもしれない。

自分たちが歩んできた道が、本来の歴史をどれほど巨大に、そして美しく捻じ曲げた結果であるかを、共に分かち合えるかもしれない。


だが。


薫子はゆっくりと顔を上げ、富子に向かって、極上の、本当に幸せそうな微笑みを浮かべた。


「私は……ただの、富子様に仕える欲深い小間使いにおじゃりまする」


それは、二人が初めて手を組み、「室町ふぁんど」を立ち上げた日から、薫子がずっと貫き通してきた答えだった。


自分の正体など、もはやどうでもいい。

目の前にいるこの偉大な女性と共に、誰も血を流さず、誰もが豊かになれる、最高に強欲で平和な世界を作り上げたという事実。


それだけで、薫子の魂は、筆舌に尽くしがたいほどの幸福感で満たされていた。


富子は、薫子のその答えを聞くと、一瞬だけ目を丸くし。


やがて、肩を震わせて、おかしそうに笑い声を上げた。


「あははっ! せやね。そなたは、うちの優秀で、底なしに欲深い小間使いや。……それ以上の答えなんか、野暮ってもんやね」


富子は自ら徳利を持ち、薫子の空いた盃に、とくとくと酒を注いだ。


「なら、これからも頼むえ、小間使い。うちらが作り上げたこの巨大な箱庭が、どこまで豊かになっていくか……特等席で、一緒に見届けよか」


「はい。……喜んで、お供いたしまする」


二つの美しい硝子の盃が、月明かりの下で、チリンと涼やかな音を立てて合わさった。


刃の鳴る音は、もうどこにもない。

かつて灰燼に帰すはずだった都の夜空には、ただ、どこまでも平和で豊かな、永遠の繁栄を約束する星々が輝き続けていた。

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