第100話:最終話・世界地図を塗り替えた日
東山の高台を吹き抜ける風は、少しだけ鉄と油、そして豊かな生活の匂いがした。
薫子は一人、小高い丘の上に立ち、眼下に広がる巨大な都市を静かに見下ろしていた。
メガロポリス・京都。
かつては貴族と武士だけが富を独占し、民草が飢えに苦しんでいた狭い盆地は、今や地球全土の富を吸い上げる、世界最大の経済都市へと変貌を遂げている。
幾何学的に張り巡らされた幅広の石畳の街道を、巨大な馬車が列をなして行き交う。
無数に立ち並ぶ瓦屋根の家々からは、朝餉の温かい煙が立ち上り。
その合間を縫うように、巨大な水力紡績工場や、活版印刷の工房、そしてガラスや火器を製造する工業特区の規則正しい稼働音が、心地よい重低音となって響いてきている。
『……本当に、美しい街だわ』
薫子は、風に揺れる髪を押さえながら、目を細めた。
もし。
もし、彼女という異物がこの時代に生まれ落ちていなければ。
一四六七年。
まさにあの眼下の洛中を舞台に、細川勝元と山名宗全という二人の猛将が、十万の軍勢を率いて激突していたはずだった。
火の海となる都。
無残に殺される民草。
文化と芸術は灰塵に帰し、そこから先、百年にも及ぶ血塗られた「戦国時代」という地獄が始まるはずだった。
『人間の命と、莫大な金銭を、ただ殺し合うためだけに消費する……。歴史の目で見ればロマンかもしれないけれど、現実には、ただの無駄遣いでしかなかった』
薫子は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
彼女がやったのは、道徳を説くことではない。
武力で押さえつけることでもない。
ただ、「戦うよりも、銭を稼いだほうが圧倒的に得だ」という強欲なシステム(資本主義)を作り上げ、武将たちの狂気的なエネルギーを、未開の世界の開拓へと向けさせただけだ。
結果として、京の都に火が放たれることは一度もなかった。
戦で消費されるはずだった技術力(火器や造船)は、外洋を渡るための圧倒的な暴力となり。
破壊されるはずだった命と富は、世界中を繋ぐ巨大な兵站網へと生まれ変わった。
遠く西の空を仰ぐ。
今頃、あの海の向こうでは、大名たちが大商館のトップとして、アフリカや中東、そして南北アメリカ大陸(大東大陸)の広大な大地を、日本の完璧な経済ルールの下で開拓し続けていることだろう。
誰も知らない未知の海(コロンブスの夢)など、もはやこの地球上のどこにも残されていない。
『……完璧よ』
薫子の唇に、極上の笑みが浮かんだ。
前世の、ただの歴史オタクだった自分。
その途方もないエゴと妄想が、この世界の歴史を根底から、そして、誰一人血を流さない形で美しく捻じ曲げたのだ。
「最高の、歴史改変だわ」
薫子は、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
その声には、四十年以上にわたって裏から世界を操り続けた「黒幕」としての重圧は微塵もない。
あるのは、一つの巨大なゲーム(箱庭)を完全クリアしたプレイヤーのような、清々しいまでの達成感だった。
下界からは、今日も市場の活気ある声が、風に乗って微かに聞こえてくる。
もはや、薫子がこそこそと算盤を弾く必要はない。
若きCEO・足利義材と、彼を支える優秀な官僚たちが、この自走する巨大コンツェルンをさらに豊かな未来へと導いていくだろう。
薫子は、くるりと背を向けた。
これからの余生は、共に世界を創り上げた「最高の相棒(日野富子)」と一緒に、この豊かで平和な箱庭を特等席で楽しむだけだ。
薫子の足取りは、ひどく軽やかだった。
刃の響きのない、どこまでも澄み切った青空の下。
極東の島国が世界地図を塗り替えた「室町・大航海時代」の太陽が、今日も眩しく、この星全体を照らし出していた。
(完)
これで完結とさせて頂きます。
ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。
現在、オーバーレブの6章と、新作を執筆中です。
なるべく早く更新いたしますので、お読み頂けると幸いでございます。
よろしくお願いいたします!




