第98話:次期CEOの戴冠 〜自走する資本主義〜
スペイン王国が日本の完璧な経済網の前に完全降伏し、地球全土が事実上の『室町コンツェルン』の商圏へと組み込まれた翌年。
極東の巨大帝国の中心地、京都・室町第(本社)において。
歴史の巨大な転換点となる、極めて厳かな儀式が執り行われていた。
「これより、将軍宣下の儀を執り行う」
見事な金箔と極彩色の障壁画に彩られた大広間。
そこに居並ぶのは、かつては血気盛んな大名として覇を競い、今は地球規模の『大商館』や『拓殖座』のトップとして世界に君臨する第一世代の武将たち、そして彼らから実務を引き継ぎつつある第二世代の若き当主たちであった。
上段の間の中央に、静かに進み出る一人の青年。
足利義材。
かつて、足利義政の弟・義視の長男として生まれ、史実であれば応仁の乱という地獄の跡目争いの渦中に放り込まれ、流転の人生を歩むはずだった男。
しかしこの歴史において、彼は幼い頃から日野富子と薫子のもとへ養子として迎えられ、活版印刷の「かわら版編集長見習い」という泥臭い下働きから始まり、莫大な富の管理、そして冷徹な帝王学のすべてを徹底的に叩き込まれて育った。
二十代後半を迎えた彼の顔には、中世の武力に頼るような粗野な気配は微塵もない。
あるのは、世界中の数字と情報を読み解き、巨大な組織を束ねる「冷徹にして完璧な経営者(CEO)」としての絶対的な自信と威厳だった。
「義材よ。……余からは、これを託す」
前将軍・足利義政が、穏やかな微笑みを浮かべながら、木箱に収められた一本の巻物を差し出した。
それは、義政自身がデザインし、日本の世界進出の絶対的なシンボルとなった『日章二引両旗』の原画であった。
「政や商いの泥臭いことは、そなたと富子に任せきりであったからな。余が残せたのは、この国の『雅』という名の品格だけじゃ。だが……この旗がはためく限り、世界は我らが日本の文化と権威にひれ伏すであろう」
「はっ。ありがたく、お受けいたしまする」
義材は深く頭を下げ、その象徴を受け取った。
続いて、義政の隣に座る日野富子が、静かに扇子を置いた。
すでに五十路を超えた彼女だが、その圧倒的な存在感と美しさは、大広間の空気を支配し続けている。
「……義材。うちからは、これ以上の言葉はかけへんよ」
富子は、傍らに置かれた分厚い漆塗りの箱を指し示した。
「そこに収められているのは、世界中の大商館から吸い上げる利子の目録と、関税の掟。そして、我が国が誇る『室町ふぁんど(中央銀行)』のすべての鍵(権限)や。……そなたが幼き頃より、血の滲むような思いで学んできたものやな」
「はい、母上」
「今日から、そなたがこの巨大な船の『舵取り』や。……存分に、やりなさい」
「はっ……! この義材、全身全霊を懸けて、幕府の繁栄と世界の安寧をお約束いたしまする!」
義材の力強く、淀みのない声が大広間に響き渡った。
その瞬間。
居並ぶ大名や商館長たちが、一斉に平伏した。
血を流すことなく。
怨恨の連鎖もなく。
ただ「圧倒的な富の循環」という極めて合理的な仕組みのもとで、世界の頂点に立つ巨大コンツェルンの『次期最高経営責任者(CEO)』が誕生した瞬間だった。
***
大広間の隅。
御簾の裏側に設けられた控えの席で、その完璧な戴冠式を静かに見つめている女がいた。
四十五歳になろうとしている、薫子である。
彼女は、静かに目を閉じ、深く、長く息を吐いた。
『……終わった。完璧な、引き継ぎだわ』
彼女の胸の内に去来するのは、筆舌に尽くしがたい達成感だった。
かつて、赤ん坊としてこの世界に転生した日。
「応仁の乱」という地獄の未来に絶望し、それを防ぐために帳簿を書き換え、水車を作り、日野富子という最強の盾を手に入れ、巨大な経済特区を作り上げた。
すべては、泥沼の戦国時代をスキップし、この国を無傷のまま大航海時代へと押し上げるため。
彼女は文字通り、裏から糸を引く黒幕として、歴史のすべてをコントロールしてきた。
大名たちの強欲を煽り、借金という首輪を嵌め、世界中へそのエネルギーを放出した。
だが、今の薫子には、もう裏から手を回す必要はない。
上段の間に座る若き将軍・義材は、薫子が何年もかけて構築した「資本主義のルール」と「法治の精神」を完璧に理解している。
さらに、彼の配下にある若き文官や商館長たちもまた、活版印刷によって体系化された教育を受け、誰一人として「武力による略奪」などという非効率な考えを持たない。
一人の天才による強権的な支配から。
システムとルールが自動的に富を生み出す「自走する国家」へ。
『もう、私がこそこそと算盤を弾かなくても……この国は、いや、この世界は、極めて合理的に、そして豊かに回り続ける』
薫子は、そっと目頭を押さえた。
歴史を改変するという、途方もない大事業。
その重圧から完全に解放された安堵の涙が、一滴だけ、美しい絹の袖に吸い込まれていった。
「……見事なものやね」
ふと、上段の間から下がってきた富子が、薫子の隣に腰を下ろし、満足げに微笑んだ。
「ええ。頼もしい限りにおじゃりまする」
薫子もまた、満足げな笑みを浮かべて頷いた。
「ふふっ。義材のやつ、堂々としたもんやわ。これであの子も、まことの『天下人』やね」
「いいえ、富子様」
薫子は、御簾の向こうで諸大名に指示を出し始めた義材の凛々しい横顔を見つめながら、静かに首を振った。
「義材様は、天下人などという古臭いものではございませぬ。……彼は、法と経済でこの地球という星すべてを束ねる、まことの『支配者』におじゃりまする」
窓の外からは、活気に満ちたメガロポリス・京都の喧騒が聞こえてくる。
もはや、刃の響きはない。
あるのは、絶え間なく回る水車の音と、世界中から届く富の息吹。
室町幕府という名の巨大商社は、完璧な世代交代を終え、さらなる永遠の繁栄へと向けて、力強く自走を始めていた。




