第97話:刀を置いた猛将たち 〜東山文化の極致〜
スペイン王国の王宮が、突きつけられた絶望的な真実と請求書の前に重苦しい沈黙に包まれていた頃。
地球の裏側、世界のすべての富が集積する極東の超大国・日本の首都、京都。
洛北にひっそりと佇む、壮麗にして静謐な山荘。
手入れの行き届いた見事な枯山水の庭園を、心地よい秋の風が吹き抜けていく。
鹿威し(ししおどし)が、こぉん、と澄んだ音を立てた。
「……ほう。見事な景色じゃ。石の配置といい、白砂の波紋といい、宇宙の理すら感じさせるわい」
縁側にどっかりと腰を下ろし、満足げに白髭を撫でているのは、山名宗全である。
かつて「赤入道」と恐れられ、西国に強大な武力を誇った猛将。
史実の彼であれば、とうの昔に戦陣の中で寿命と心労によって果てていたはずの年齢だ。
しかし、幕府がもたらした高度な予防医学と、滋養豊かな食の革命(世界中の食材と出汁の融合)の恩恵を受けた彼は、九十路に手が届こうかという今もなお、信じられないほど血色良く、矍鑠としていた。
「お気に召されたようで何よりですな、宗全殿」
そう言って、宗全の横で優雅に茶を点てているのは、細川勝元である。
宗全とは二回り以上も年が離れており、まだ六十路を過ぎたばかりの年齢ではあるが、彼もまた過酷な外洋の最前線での指揮を嫡男に譲り、悠々自適の隠居生活に入っていた。
史実において、彼ら二人は政局の均衡を保つために結ばれた「舅と婿」という政略結婚の間柄であった。
しかしこの世界では、早い段階から地球規模の開拓という「外なる闘争」へと放り出されたため、狭い国内で互いを縛り合うための政略結婚など、結ぶ必要がなかったのだ。
血の繋がりなど、一切ない。
史実では、京の都の覇権を巡り、十万の兵を動員して互いの首を獲ろうと睨み合った、純粋なライバル同士。
もし彼らがそのまま激突していれば、この美しい都は焦土と化し、百年続く地獄の戦国時代が幕を開けていただろう。
しかし、彼らは戦わなかった。
日野富子という将軍正室と、その傍らに控える底知れぬ小間使いによって、莫大な借金という名の「首輪」を嵌められ、刀を交える代わりに、未知の荒波へと放り出されたのだ。
「……それにしても、勝元殿よ」
宗全は、勝元が差し出した漆黒の茶碗を受け取り、その滑らかな手触りを楽しそうに撫でた。
「貴殿が点てる茶は、相変わらず香りが良い。……だが、この茶碗はいささか『軽薄』が過ぎるのではないか? 南蛮の硝子も珍しくはあるが、土の温もりが足りぬわ」
「ふふっ。相変わらず、宗全殿は古き良きものにしか価値を見出されませぬな」
勝元は悪びれる様子もなく、涼やかな笑みを浮かべた。
「これはただの硝子ではござらん。かつて私が南蛮のフィレンツェという街で、大枚を叩いてメディチ家の工房に特別に焼かせた、世界に二つとない品。その透き通るような青は、私と宗全殿がかつて越えた、あの大西洋の波の色を写し取ったもの」
「ふん、御託を並べおって」
宗全は鼻を鳴らしながらも、その美しい茶碗でずずっ、と音を立てて茶を啜った。
そして、ふぅと息を吐き、懐から厳重に包まれた桐の小箱を取り出した。
「……貴殿の南蛮趣味も悪くはないがな、勝元殿。真の『雅』とはこういうものを言うのだ」
宗全が自慢げに小箱を開けると、そこには、歪な形をしながらも、内側に宇宙の星屑を散りばめたような、妖しくも美しい光を放つ茶碗が収められていた。
「おお……! そ、それは……まさか、明国の宮廷の奥深くに眠っていたという、幻の『曜変天目』……!」
勝元は、思わず身を乗り出して目を輝かせた。
「いかにも。我が山名商館が、あの阿弗利加大陸で掘り当てた莫大な金剛石と引き換えに、明国の皇帝から直接譲り受けた至高の品よ。どうだ、恐れ入ったか」
宗全は、子供のように無邪気なドヤ顔で言い放った。
「くっ……! やりおるわ、宗全殿。まさかそこまでの逸品を隠し持っておられたとは……! この勝元、一生の不覚!」
「がっはっは! 経済も戦も、最後は『気合い』と『格』よ! 貴殿の南蛮硝子など、この曜変天目の前では霞んで見えよう!」
かつて、刀と槍で互いの領土を奪い合うはずだった猛将たち。
彼らは今。
地球規模の開拓で得た、使い切れないほどの無尽蔵の富を背景に。
どちらがより高価で、より美しく、より至高の芸術品(東山文化)を持っているかという「マニュアルのない美の戦い」で、本気でマウントを取り合っていた。
それは、血を流すことのない、あまりにも平和で、あまりにも贅沢な「老後の遊び」であった。
ひとしきり自慢の品を品評し合った後。
宗全は曜変天目の茶碗をそっと箱にしまい、庭の枯山水へと視線を戻した。
「……思えば、遠くまで来たものよな」
宗全の呟きに、勝元もまた、穏やかな表情で頷いた。
「ええ。まこと、遠くまで……。そして、長い長い航海でござったな」
彼らの脳裏に蘇るのは、血生臭い京の政争ではなく。
見たこともない巨大な波。
肌を刺すような未知の風。
船上で分け合った、塩辛い鮭と温かい汁の味。
そして、南蛮の艦隊を、圧倒的な火力と統制で完膚なきまでに叩き潰した、あの日の轟音。
「もし、あの時……」
宗全は、目を細めた。
「我らが、この京の都で刃を交えておったら……どうなっていたであろうな」
「……おそらく、この美しい庭も、都の街並みも、すべて灰燼に帰していたでしょう。そして我々は、互いの首を獲るまで、泥沼のような戦いを何十年も続けていたやもしれませぬ」
勝元の言葉に、宗全は深く頷いた。
「うむ……。まったく、恐ろしい女どもよ。我らの闘争心など、ハナから手のひらの上で転がしておったのだ。刀の代わりに算盤を持たせ、地球の裏側まで追い立てるとはな」
「ええ。ですが……」
勝元は、澄み切った秋空を見上げた。
「私は、あの悪魔のような連帯債務の契約書に、心底感謝しておりますぞ。あれがなければ、私はあの広大なる世界を見ることも、南蛮の芸術に触れることも、そして……宗全殿とこうして、平和に茶を啜り合うこともなかったのですから」
「ふん……。青臭いことを言う男よ。だが……」
宗全は、照れ隠しのように茶碗の残り香を嗅いだ。
「……まぁ、悪くない余生じゃ」
静かな秋の日差しの中。
世界地図を大きく塗り替えた第一世代の猛将たちは、二度と刀を抜くことなく。
至高の芸術と極上の茶の香りに包まれながら、心からの平穏な笑い声を響かせていた。




