第81話:大商館体制と、新たなる世界分割
カナリア諸島沖で南蛮の「無敵艦隊」を一方的に蹂躙し、諸外国に事実上の降伏とも言える不平等条約を呑ませてから、数年の歳月が流れていた。
京都・室町本社――かつて室町第と呼ばれた足利将軍家の壮麗なる本拠地の大広間には、今や世界中の富を吸い上げる巨大コンツェルンの中核を担う、蒼々たる面々が集結していた。
かつては狭い日の本の領土を巡り、泥沼の権力闘争を繰り広げていた彼らだが、その顔つきはもはや「戦国武将」のそれではなかった。
彼らは皆、果てしない航海の中で激しい潮風に晒され、日焼けし、そして何より、世界規模の莫大なカネを動かす「巨大商社のトップ」としての凄みと、幕府への莫大な借金返済という重圧を乗り越えた強かさを身につけていた。
上座の中央には、絶対的な権威と美貌を保ち続ける将軍正室、日野富子が座している。
その贅を尽くした西陣織の小袖をまとった姿は、ただの将軍の妻ではなく、世界経済を裏から操る「室町ふぁんど」の絶対的な総裁としての威厳に満ちあふれていた。
そしてその斜め後ろには、生まれの身分差を正しくわきまえ、あくまで富子の傍らに控える形で、実務の最高責任者である薫子(三十八歳)が静かに佇んでいた。
大広間の中央には、巨大な一枚の地図が広げられている。
それはもはや、日の本の周辺や大明国、天竺といった狭い世界だけを描いたものではない。
東の大洋、西の大洋、そして広大なるユーラシア、阿弗利加、さらには遙か東方に横たわる未知の大陸。幕府の船団が血の滲むような航海の末に、命がけで書き足してきた、最新にして最高機密の「世界全図」であった。
「皆の者、よう集まってくれたえ。南蛮どもが大人しゅう我が幕府に関税を納めるようになってから、日の本の懐は随分と温とうなったおすな」
富子が、艶やかだがどこか冷徹な響きを持つ、鈴を転がすような声で口火を切った。
大広間に居並ぶ大名たち――細川勝元、山名宗全、斯波義廉、畠山義就、上杉房顕、足利成氏、大内政弘らが、一斉に深く平伏する。
「しかし、これで満足して立ち止まるようなら、室町ふぁんどはただの金貸しで終わってしまいますえ。世界は広い。まだまだ手付かずの富が、山のように眠っとるんやからね」
富子の鋭い視線を受け、薫子が静かに立ち上がった。
彼女は、優雅で洗練された所作で巨大な世界地図の前に進み出ると、細い指示棒を手に取った。
「富子様のお言葉の通りでおじゃりまする。これより、室町幕府はさらなる大いなる体制へと移行いたしまする」
薫子の凜とした声が、静まり返った大広間に響き渡る。
「本日を以て、皆々様のお家を、これまでの土地を争う『武家』から、幕府直属の『大商館』および『拓殖座』として正式に再編させていただきとうおじゃりまする」
その言葉に、平伏していた大名たちの間で、微かなどよめきが起きた。
しかし、それは反発や困惑のどよめきではない。
ついに世界を我が手で切り分ける時が来たという、野心と強欲に満ちた、熱い興奮のざわめきであった。
「細川様、ならびに山名様」
「はっ」
白髪が目立つようになったものの、その眼光の鋭さは往年を遙かに凌駕する細川勝元と山名宗全が、同時に顔を上げた。
「両名には引き続き『細川大商館』『山名大商館』の筆頭として、南蛮全域の統括と経営をお願いしとうおじゃりまする。さらに……」
薫子は手に持った指示棒を、ヨーロッパの地から東へ、広大なユーラシアの内陸部、そしてアフリカの沿岸へと滑らせていく。
「細川様は、南蛮の地から陸路にて、北東から南東にかけて幅広く進んでおくれやす。そして山名様は、南蛮の港から阿弗利加の海をぐるりと南へ巡りまして……いずれも、天竺のさらに先にある、東西の商人が行き交う『商い道』へと至る道筋をおつけいただきたくおじゃりまする。南蛮の連中から関税を搾り取るだけではおじゃりませぬ。あの広大な大地そのものを、我らの経済網に呑み込んでおくれやす」
「……クク、承知仕った。南蛮の海での小競り合いは少々退屈してきておったところじゃ。砂漠の果てだろうと、極寒の平原だろうと、細川の算盤と大砲が通じぬ場所はないと、世界に見せつけてくれようぞ!」
勝元が、不敵で獰猛な笑みを浮かべて言い放った。
かつての彼であれば「十万の兵で踏みつぶしてやる」と叫んだであろう場面で、ごく自然に「算盤と大砲」という言葉が出るあたりに、薫子が長年かけて施してきた経済教育の凄まじい成果が如実に表れていた。
「大内様」
「おう、わしの番でおじゃるか」
大明国や南洋の交易網を牛耳り、すでに桁違いの富を叩き出している大内政弘が、余裕に満ちた笑みを浮かべて応じる。
「大内様には、『大内大商館』として、大明国や南洋での商いをさらに確固たるものとしていただきとうおじゃりまする。その上で、海を越えてさらに西へと船団を進め、細川様や山名様と同じく、その『砂漠の商い道』にて、皆々様で合流しておくれやす。日の本の手で、世界をぐるりと囲みとうおじゃりまする」
『ふふふ、勝元おじいちゃんと宗全おじいちゃん、そして政弘おじいちゃん。ユーラシア大陸を西と南と東から完全に挟み撃ちにして、中東でがっちり握手させるわ。これで旧世界の主要な物流は、完全に室町幕府の独占よ』
薫子は身分を弁えた神妙な表情を崩さぬまま、内心で猛烈な快哉を叫び、次なる標的へと視線を向けた。
「斯波様、畠山様、そして上杉様」
「おお! 待っておったぞ!」
「我らの往くべき海は、いずこでおじゃるか!」
新大陸方面を担当し、パナマ地峡の陸路開拓という歴史的偉業を成し遂げた斯波義廉と畠山義就、そして極東で虎視眈々と力を蓄えていた上杉房顕が、一斉に身を乗り出した。
「皆様には、『拓殖座』として、東の大洋の遙か向こうに広がる巨大な陸地……幕府として正式に『大東大陸』と名付けましたあの地の、さらなる徹底的な開発をお願いしとうおじゃりまする」
薫子は指示棒で、後の世で南北アメリカと呼ばれる、上下に連なった巨大な大陸の白地図を力強く叩いた。
「畠山様は、大東大陸の東の海岸線を。斯波様は西の海岸線を、それぞれ南北に向けてどこまでも拓いておくれやす。そして上杉様には、お二方と陸続きになるその北方の広大な地を、東の海から西の海へと貫くように結んでいただきとうおじゃりまする。巴奈馬の巨大な陸路を中核とし、かの地で得られた無尽蔵の富を、この日の本へ滞りなく送る鉄壁の兵站網を築き上げておくれやす」
「お任せあれ! 巴奈馬の街道の石畳は、我らが一寸の狂いもなく敷き詰めてみせましょうぞ! 兵站の美しさ、物流の淀みなさこそ、これからの商いの極意でおじゃる!」
猛将・畠山義就が、もはや完全にロジスティクス(物流)の鬼と化して目を血走らせながら吠えた。斯波と上杉も、その壮大な利権の規模に息を呑みつつ、力強く頷いている。
『よしよし、完璧。これで南北アメリカ大陸……ううん、大東大陸も、欧州の連中に一切邪魔されることなく、私たちが独占開発して富を無限に吸い上げられるわ』
「そして、足利様」
「うむ。我が足利拓殖座の往く道、しかと示せ」
関東の雄であり、極寒の阿羅須加航路をすでにその手中に収めている足利成氏が、どっしりと構えたまま重厚な声で応じた。
「足利様には、その阿羅須加からさらに西へ、海を渡って極寒の平原をどこまでも進んでいただきとうおじゃりまする。極上の毛皮と、地底に眠る無尽蔵の鉱物資源を独占し、凍てつく大地に我らが室町の物流網を敷いておくれやす。いずれ、南蛮から東へと進んでくる細川様と、遙かなる大地の中ほどで合流する日が来ましょうぞ」
「ふはははは! 面白い、実に面白いわ! 関東の狭い平野で、誰が足利の棟梁だのと泥遊びをしておった頃が、今や嘘のようじゃ! この成氏、氷の大地を突き進み、地の果てまで日の本の旗を立ててみせようぞ!」
大名たちの凄まじい熱気が、広い大広間の温度を数度引き上げたかのように感じられた。
彼らは今や、地球というあまりにも巨大な盤上で、自らの商会の覇権と数字を競い合う「地球規模の経営ゲーム」に完全に魅了され、我を忘れて夢中になっていた。
薫子は静かに指示棒を下ろすと、大名たちに深く一礼し、恭しく一歩下がって富子の横へと戻った。
「よう分かりましたな。そなたらの働き一つで、この国の、いや、世界中の富の地図が書き換わるんえ。誰一人として遅れをとることは許しませんえ。せいぜい、死に物狂いで気張りよし」
総裁である富子の、氷のように冷たく、しかし至高の権威に満ちた言葉が響き、この会議は幕を閉じた。
***
大名たちがそれぞれの任地への出立準備と、莫大な物資・船団の調達のために慌ただしく退出した後、静寂を取り戻した大広間には、富子と薫子の二人だけが残されていた。
薫子は、開け放たれた御簾の向こうから差し込む光を浴びながら、床に広げられた巨大な世界全図を再び見下ろした。
ユーラシア、大東大陸、阿弗利加。
その広大な陸地と海には、幕府の船団が通るべき航路が赤々と、網の目のように引かれており、まるで地球全体が一本の巨大な血管で繋がれたかのように見えた。
『……やった。ついに、ここまで来たわ!』
薫子は、大名たちの前で見せていた神妙な表情を解き、震える両手を胸の前でギュッと握りしめた。
『応仁の乱という、京都を灰燼に帰すはずだったあの大乱を未然に、完璧に防いだだけじゃない。日の本のあり余る狂気的な闘争エネルギーを、すべて外の世界への開拓へと向けさせた。そして今、各大名家を世界的コンツェルンとして再編し、地球全土をすっぽりと「室町経済圏」で覆い尽くしたのよ!』
前世の重度な歴史オタクとしての知識と、今世での赤ちゃん時代からの狂気的なまでの執念が、ついに世界を書き換えるという最高の果実を結んだ瞬間だった。
血で血を洗う戦国時代の地獄は完全にスキップされ、代わりに誕生したのは、世界最速で産業革命と資本主義の覇権へと突き進む、超大国・日本の姿だった。
「……見事な絵図面やわ、薫子」
富子が、傍らに立つ薫子にそっと声をかけた。
その声には、普段の冷徹な政治家の仮面の裏にある、瑞々しい感嘆の響きが混じっていた。
「ありがたきお言葉でおじゃりまする、富子様」
薫子は、腰を折って深く頭を下げた。
「最初は、そなたが幼い身で何を考えておるのか、このうちにも皆目見当がつかんかったおす。せやけど、こうして世界を一枚の紙の上に広げて見せられると、そなたが私の目を開かせ、描こうとしていた『途方もない野望』の形が、よう分かるえ」
富子は、細く白い、美しく手入れされた指先で、地図上の南蛮、大東大陸、そして西へと延びる航路を愛おしそうになぞっていく。
「武力で人を殺し合い、ちっぽけな土地を奪い合って喜ぶなど、何とも浅ましい所業。銭と帳簿の仕組みを以て、世界中の民を自発的に働かせ、その富をこの都へ吸い上げる。これこそが、真の『天下布武』……いや、そなたの言う『天下布商』でおじゃりますな」
「富子様の絶対的な御威光と、荒くれ者どもを平伏させるその統率力がなければ、この絵図面はただの絵空事で終わっておじゃりました。すべては富子様のおかげにおじゃりまする」
それは建前などではなく、薫子の心からの本音であった。
薫子の持つ「未来の地政学・経済学の知識」という最先端のソフトを、現実の歴史の中で完璧に実行し、牙を持つ大名たちを飼い慣らしたハードウェアこそが、日野富子という不世出の天才政治家だったのだ。
「ふふ、よう言うわ。このうちをそそくさと言葉巧みに操って、世界中を巻き込んだ大博打の胴元に据えたのは、どこのどいつでおじゃりますかいな」
富子は手にした扇子で軽く薫子の肩を叩き、悪戯っぽく、しかし妖艶に微笑んだ。
「しかし、これで終わりやあらへん。世界を切り分けたなら、次はそれをどう経営していくか、や。プライドをへし折られた南蛮どもが、いつまた裏口を探して牙を剥くかも分からん。それに、これだけ図体がデカうなったら、内側の綻びやインフレとやらに気をつけんとな」
「はい。武力による抑止と関税の網は敷きましたが、これからは『法』と『手形決済』、そして他国が決して真似できぬ『圧倒的な蒸気と鉄の技術』によって、世界のハブとしての地位を揺るぎなきものにせねばなりませぬな」
薫子はきりりと顔を上げ、富子の美しい瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
『そうよ。ここから先は、私の知っている前世の歴史には一歩たりとも存在しない、完全に未知の領域。でも、恐れることなんて何もない。私たちは、私たち自身の手で、新しい世界史の教科書を、この室町の地から書き進めていくんだから!』
「次なる一手、すでに職人たちと共に仕込んでおじゃりまする。富子様」
「ほう? どんな面白い魔法か、またこのうちにたっぷり聞かせてもらいまひょか」
二人の稀代の女傑は、地球全土が描かれた最高機密の地図を前に、未来を支配する愉悦に浸りながら、不敵なシスターフッドの笑みを交わした。
開け放たれた大広間の向こう、世界中の金銀と極上の物産が集まる京都の街は、かつてない活気と産業の轟音に包まれ、真新しい時代の産声を上げていた。




