第75話:圧倒的火力と煙幕 〜東西連携の海戦〜
一四八〇年代初頭。欧州近海、カナリア諸島沖。
青く澄み渡った空と、波一つない穏やかな大洋を、巨大な影が埋め尽くそうとしていた。
スペイン王国が国庫の全てを投げ打ち、貴族や豪商たちから絞り上げた資金で建造した「無敵艦隊」である。
大小合わせて百隻を超えるその威容は、まさに海に浮かぶ要塞と呼ぶにふさわしかった。帆には十字架が大きく描かれ、甲板には全身に甲冑をまとった誇り高きスペイン兵たちが隙間なく並び、神への祈りと戦意の雄叫びを上げている。
旗艦の船尾楼で、艦隊司令官を務めるスペインの提督は、手にした望遠鏡で水平線の彼方を睨みつけていた。
「見えたぞ……! あれが、我らが神の国から富を吸い上げる異教徒どもの船団か!」
視線の先には、日章と二本の横線が描かれた巨大な旗――「日章二引両旗」をはためかせる、日本のガレオン船団が静かに停泊していた。
その数は五十隻ほど。数の上ではスペイン艦隊の半分以下である。
提督の顔に、残酷で狂信的な笑みが浮かんだ。
「数は我らが圧倒している! 奴らの船は大きいが、あの鈍重な図体では小回りが利くまい。我が艦隊の誇るガレー船を突入させ、一気に接舷するのだ! 乗り込んでしまえば、我が国の誇り高き重装歩兵の敵ではない!」
当時の欧州の海戦は、大砲を撃ち合うだけでなく、敵船に強引に横付けして兵士が乗り移り、甲板上で白兵戦を行うのが主流であった。提督は、武勇に勝る自軍の兵士たちが、異教徒の商人どもを片っ端から海へ叩き落とす光景を思い描き、勝利を確信していた。
「全艦、前進せよ! 異教徒どもに、神の鉄槌を下すのだ!」
けたたましいラッパの音が海原に響き渡り、無敵艦隊は陣形を広げながら、怒涛の勢いで日本艦隊へと迫っていった。
***
一方、迎え撃つ日本艦隊。
旗艦の甲板では、細川勝元と山名宗全、そして加里武海から増援として駆けつけた畠山義就の三将が、迫り来る敵艦隊を冷徹な目で見つめていた。
「馬鹿な連中じゃ。あんな密集陣形で、しかも真正面から突っ込んでくるとはな」
山名宗全が、自身の白髭を撫でながら鼻で笑った。
彼の目には、スペイン艦隊が「格好の的」にしか見えていない。
「中世のいくさしか知らぬ南蛮の猪どもじゃ。武勇で押し切れると信じて疑わぬのだろうよ。……勝元殿、いつでもいけるぞ」
畠山義就が、日に焼けた顔に猛禽類のような笑みを浮かべて太刀の柄を叩いた。
「うむ。……各艦、砲門を開け。目標、敵先陣。距離の指示は旗艦に合わせよ」
勝元の静かな号令が、伝令兵たちによって次々と各艦へ伝達されていく。
ガシャリ、ガシャリと重々しい音を立てて、日本のガレオン船の側面に並んだ無数の砲門が開いた。そこから顔を出したのは、堺の職人たちが作り上げた規格化された青銅砲である。
スペイン艦隊が、日本艦隊の射程距離に完全に入った。しかし、スペイン側の旧式な大砲の射程にはまだ遠い。安全な距離からのアウトレンジ攻撃である。
「撃てぇッ!!」
勝元が右手を振り下ろした瞬間。
轟音とともに、五十隻のガレオン船の側面から、一斉に灼熱の炎と白煙が噴き出した。
「なんだ!? あの距離から……!?」
スペインの提督が驚愕の声を上げる間もなく、空を引き裂くような飛翔音が彼らの船団を襲った。
日本の大砲から放たれたのは「純粋な鉄の塊」である。だが、筒の内部に刻まれた「螺旋」によって回転を与えられた砲弾は、風の抵抗を切り裂き、恐るべき直進性と精度を持ってスペイン艦隊に襲いかかった。
ドガァァァァン!!
先陣を進んでいたガレー船の巨大なマストが、根本からへし折られた。
さらに恐ろしいのは、木造の甲板を一直線に駆け抜ける鉄球の破壊力である。
「ぎゃあああっ!」
「盾が、盾が紙切れのように……!」
甲板に隙間なく密集し、白兵戦を待ち構えていたスペインの重装歩兵たち。分厚い鋼の甲冑など、大質量の鉄球の前では何の役にも立たなかった。
鉄球はボウリングのピンを弾き飛ばすように重装歩兵の列を蹂躙し、さらに砕け散った木材の破片が巨大な散弾となって兵士たちに降り注ぐ。
「ひるむな! 大砲を撃ち返せ! 何としてでも距離を詰めるのだ!」
提督は血走った目で叫び、後続の船を強引に前進させた。
スペイン艦隊の側面から、無数の大砲が火を噴く。しかし、ライフリングを持たない彼らの丸弾は、飛ぶそばから風に流され、あさっての方向へと飛んでいく。
ドパンッ! ざばぁぁん!
無数の水柱が上がる中、一発のスペイン側の砲弾が、勝元たちの乗る旗艦の百メートル程前の海面に突き刺さった。
「……ふん、あちらさんも必死じゃな。射程距離に入ってしまえば、一発くらいは近くに落ちてきおるかもしれぬな」
宗全が忌々しそうに海面を睨みつけた。
いくら射程と精度で圧倒していようと、海戦において「絶対」はない。敵の大砲の狙いがどれほどデタラメであろうと、数が多ければ万が一のマグレ当たりが船体に直撃する恐れがある。
「全うじゃ。我らの船を一隻でも沈められては、京の御方様に何と申し開きしてよいか分からんからな」
勝元は冷徹に戦況を分析し、これ以上の不確定要素を排除する決断を下した。
「義就、例の『手土産』の出番じゃ」
勝元が視線を向けると、畠山義就は「待ってました」とばかりに破顔した。
「おう! 巴奈馬を越えて届いた、東国の極上油の威力をとくと見せてやろうぞ! ……煙幕弾、装填! 風上から一気に撒き散らせ!」
義就の合図とともに、加里武海から駆けつけた増援艦隊の砲門から、特殊な薄皮の砲弾が放たれた。
それは、敵船の甲板や海面に激突すると同時に割れ、ドロドロとした黒い液体を撒き散らし、猛烈に発火炎上する仕掛けになっていた。
その液体の正体こそ、足利成氏ら東国勢がアラスカの極寒の海で獲り、巴奈馬の陸路を越えて運んできた「鯨油」である。
ドシュゥゥゥゥッ!!
着弾と同時に、スペイン艦隊の只中で鯨油が激しく燃え上がり、もうもうたる『真っ黒な煙』が立ち上った。
日本の艦隊は風上に位置していた。風に乗って流れる黒煙は、あっという間にスペイン艦隊の視界を完全に奪い去った。
「な、何も見えん! 敵はどこだ!?」
「おい! そっちは味方の船だ! 舵を切れ、衝突するぞ!」
視界ゼロの濃霧の中に取り残されたスペイン艦隊は、たちまち大パニックに陥った。
ただでさえ届かない大砲が、目標を失って完全に沈黙する。指揮系統は麻痺し、混乱の中で味方の船同士が激突し、マストが折れ、船体が砕ける。見えない敵への恐怖から、めくら撃ちに放たれた大砲の弾が味方の船を吹き飛ばす。
「ああっ! 神よ、何故我らをお見捨てになるのですか……!」
煙幕の中で同士討ちを繰り広げる無敵艦隊を、日本の艦隊は煙の外から悠然と包囲し、正確無比なライフリング砲のつるべ撃ちで、一方的に、そして機械的に蹂躙していった。
もはや、いくら武勇があろうと剣を振るう相手すら見えない。
開始からわずか数時間。
太陽が西に傾く頃には、かつて無敵を誇ったスペイン艦隊の誇りは完全に砕け散っていた。
燃え盛る船体、海に投げ出されて悲鳴を上げる兵士たち。
やがて、黒煙が少しずつ晴れていく海面に残っていた数隻の敵艦は、力なく白旗が上げられていた。
「……他愛のないことよ。剣を振り回すだけのいくさなど、算盤と物流の前にはただの児戯にすぎん」
勝元は冷ややかに言い放ち、抜くことのなかった太刀から手を離した。
東西の完璧な連携と、ライフリングという規格化された「精度の暴力」が、中世の狂信を近代の合理性で完全に叩き潰した瞬間であった。
かくして、人類の歴史における東西の命運を分けたこの海戦は、マグレ当たりの直撃すら許さない、日本艦隊の完全無傷という形で幕を閉じたのである。




