第67話:情報革命と次期CEOのインターン 〜地球規模の教育〜
「薫子殿、富子様! お土産にござる!」
南蛮の地から堺を経由し、意気揚々と室町第へ凱旋した細川勝元は、執務室の床に巨大な木箱を幾つも並べさせた。
箱の蓋が開けられると、中から油と煤の匂いがふわりと漂う。
そこには、南蛮の職人たちから買い上げた巨大なプレス機の部品と、厳重に布で包まれた小さな小箱が入っていた。
「……勝元殿。この小箱に入っている鉛の欠片は、もしや帰りの船の中で鋳造させたのでおじゃるか?」
薫子が小箱から鉛の欠片を一つ手に取ると、そこには美しい「ひらがな」が浮き彫りにされていた。
「さよう。しかし、揺れるいくさ船の上では手元が狂い、精度の高い型など彫れぬ。それに無理に鉛を流し込んでも、揺れで形が歪むうえに火事になりかねんわい」
勝元は誇らしげに胸を張った。
「ゆえに道中の数ヶ月は、波の穏やかな日を選び、南蛮の職人に特別手当を弾んで、この『見本』となる少数の型と活字だけを慎重に作らせたのじゃ」
「なるほど……。船での時間はあくまで試作と手順のすり合わせに留めたのでおじゃりますね」
「左様。そして堺へ着岸するや否や、幕府の鍛冶場へ彼らを案内し、たっぷりと給金を払って、揺れのない安全な陸地で一気に量産を始めさせたのよ。今頃は堺の職人たちと共に、何万という活字を交代制で嬉々として作っておるはずじゃ」
歴戦の猛将が「情報の複製」の価値を見抜き、職人を奴隷のように扱うのではなく、安全と品質を担保しつつ正当な対価で動かす「近代的な管理者」として成長している事実に、薫子は深い感銘を受けていた。
「見事でおじゃりまする、勝元殿。……ならば、この兵器の『正しい使い方』を、さっそく準備いたしましょうぞ」
薫子は笑みを深め、配下の役人たちに指示を出した。
***
それから数日後。室町第の一角に新設された『かわら版編集局』は、凄まじい熱気に包まれていた。
諸国から集まる物価の変動、南蛮船がもたらした未知の国の情勢、そして農作物の育成状況。
膨大な情報が記された書簡の山に埋もれながら、一人の少年が猛烈な勢いで筆を走らせていた。
今年で十三歳になる足利義材である。
「この南蛮の『香辛料の相場』は三面に載せましょう! ですが、ただ数字を並べるのではなく、大内様の持ち帰る『胡椒』が南蛮でどれほど高く売れるかという比較を添えれば、読者の商魂を強く刺激できます!」
「おお、なるほど! さすがは編集長見習い殿!」
周囲の大人たちを的確に指揮し、情報を『価値ある知識』へと編み上げていく若き才能。
富子と薫子が次代の大元締(CEO)として養子に迎え、徹底的な帝王学を叩き込まれている彼の姿を、部屋の入り口から満足げに見つめる男がいた。
義材の実父であり、現在は室町幕府の重役(副社長)として諸国の物流統括を任されている足利義視である。
そこへ、局内の視察に訪れた薫子が静かに歩み寄った。
「……頼もしい後ろ姿でおじゃりまするな、義視様」
「おお、薫子殿か。いやはや……全く見事なものだな。我が息子ながら、あの情報裁きには舌を巻く思いである」
義視は目を細め、照れくさそうに笑った。
「若君の呑み込みの早さは、教えるこちらも背筋が伸びる思いでおじゃりまする。……大切な御子息を厳しい修行の場へお預けくださり、感謝いたしまする」
薫子が恭しく頭を下げると、義視は慌てて手を振った。
「感謝するのは私の方である。……かつては次期将軍の座を巡り、血が流れるやもしれぬと危惧したこともあったが……今の我が国は、そのような権力闘争など馬鹿らしくなるほど、途方もなく広いな」
義視は活き活きと指示を出す息子の背中を見つめ、誇らしげに胸を張った。
「私が束ねる諸国の物流網だけでも、日々目が回るほどに忙しいのだ。富子様と貴女が描く果てしなき天下の絵図面を、あの子が継いでくれるというのなら……親として、これ以上の名誉はない」
史実にあった血みどろのお家騒動の火種など、とうの昔に消え去っていた。
義視と薫子は、室町商事の輝かしい未来を担う若きエリートの姿を、並んで温かく見守っていた。
***
数ヶ月後。
何万という活字の鋳造が完了し、京都の辻々に、これまで見たこともないような奇妙な紙が大量に貼り出された。
そこには、幕府の威光を示す印と共に、整然と並んだ美しい文字と絵が刷り込まれている。
「おい、なんじゃこの紙は? お触書にしては、やけに絵が多いが……」
字の読めない町衆たちが首を傾げて集まってくる。
そこへ、幕府に雇われた町触れの役人が立ち、声高らかに読み上げ始めた。
「皆の者、よく聞けい! これは幕府が発行する『室町かわら版』である!」
役人は、紙の束をペラペラと叩きながら叫んだ。
「ここには、冷害にも負けぬ『ジャガイモ』のさらに効率の良い育て方! 流行り病を防ぐための『煮沸(消毒)』の知恵! そして、南蛮の珍しい国々の話が書かれておる!」
町衆たちの目の色が変わった。
これまでの幕府のお触書は「税を納めよ」や「〜してはならぬ」という、一方的な押し付けばかりだった。
だが、この紙に書かれているのは、自分たちの腹を満たし、命を守り、銭を稼ぐための「生きた知識」である。
「なんと! その芋の育て方を知れば、今年の収穫が倍になるんか!?」
「おい、字の読める坊主を呼んでこい! この紙を隅から隅まで読ませるんじゃ!」
京都中が、突如としてばら撒かれた「知識という名の富」に熱狂した。
執務室の窓辺からその熱狂ぶりを見下ろし、薫子と富子は優雅に茶を啜っていた。
「……うちとあんたで考えた策やけど、こうして見るとほんまにえげつない手ぇやなぁ」
富子は黄金の扇子で口元を隠し、悪戯っぽく目を細めて笑った。
「読めば腹が膨れ、読めば銭が儲かる。そうやって『知識の甘い蜜』を吸わせれば、民は我先にと文字を覚えたがるに決まってるわ。義材の編集の手腕も、見事なもんや」
「左様でおじゃりまする。文字を読めと命じるのではなく、文字が読めぬと損をすると思わせるのが肝要。……そして、すでに次の手も動き出しておじゃりますよ」
薫子は、京都中に点在する寺の方角へ視線を向けた。
「各町の寺子屋を、幕府公認の『初等学問所』に格上げいたしました。読み書き算盤を教える僧侶には、幕府から手厚い補助金を出しまする」
「なるほどな。子供の学費がタダになれば、親は喜んで寺子屋へ通わせるっちゅうわけやな」
富子は感心したように頷いた。
「今の我が国は、芋のおかげで餓死者が消え、赤子が皆、無事に育っております。その無数の子供たち全員に文字と算盤を叩き込めば……」
薫子は握り拳を作り、力強く語った。
「十年後には、何百万という『自らの頭で考え、計算し、高度な技を扱う民草』が生まれる。それこそが、どんな大砲よりも恐ろしい、この国の真の国力となるのでおじゃるよ」
***
さらにその数ヶ月後。
日ノ本から遥か東、果てしなく広がる極寒の巨大な大陸の西の沿岸。
豊かな針葉樹の森を切り開いて作られた巨大な前哨基地で、関東公方・足利成氏は、極上の海獺の毛皮に身を包みながら豪快に笑っていた。
「いやあ、恐ろしい時代になったものよ!」
彼の目の前には、銚子の湊から連絡船によってリレーされてきた、真新しい『室町かわら版』が広げられていた。
「京の都では芋の育て方を配って飢えを凌ぎ、西の連中は南蛮から『文字を無限に増やすからくり』を持ち帰ったとある。……俺たちがここで黄金を掘り、鮭を食っている間にな」
成氏の周囲では、現地で雇われた先住民たちと共に働く関東の武士たちも、回し読みされるかわら版に目を輝かせ、故郷の新しい農業の知恵や、遠く南蛮の珍しい話に沸き立っていた。
どれほど広大な海を隔てていようとも、全く同じ情報と幕府の意志が、瞬時に末端の兵にまで共有される。
東国勢が極寒の地に築き上げた強固な兵站線と、西国勢がもたらした活版印刷の力が融合し、地球の裏側までを一つの巨大な知の網目で覆い尽くしたのである。
「武力や黄金だけではない。この『見えざる知識の繋がり』こそが、我れらの国を無敵にするのじゃな」
成氏の感嘆の声が、温かい鯨油の火が灯る巨大な開拓基地に響き渡った。




