第60話 世界のハブとなった室町幕府
舞台は戻り、日本の京都。
一四七七年。
京の都は、有史以来見たこともないような空前の繁栄を極めていた。
堺や博多の巨大な港には、東南アジアの島々から運ばれた極上の香辛料、明国からの美しい生糸や陶磁器、そして新大陸からもたらされた眩い黄金が、途切れることなく荷揚げされている。
それらは強固に整備された街道と馬借たちのネットワークによって京都へと運ばれ、室町幕府の莫大な富となって還流していた。
だが、幕府にもたらされた最大の宝は、金銀財宝ではなかった。
京都近郊に広がる、幕府の直轄農地。
そこで収穫の時期を迎えていたのは、新大陸の拠点から持ち帰られた「未知の作物」たちであった。
「おおっ! 今年のこの『玉蜀黍』とやらの実り具合は、まこと凄まじいぞ!」
「こっちの土の中からは、『馬鈴薯』が山のように掘り出されるわい! こんな痩せた荒れ地で、これほど育つとは仏様の奇跡じゃ!」
泥だらけになった農民たちが、満面の笑みで歓声を上げている。
新大陸から種が持ち帰られてから数年。
日本の従来の農作物とは比較にならないほど環境適応能力が高く、痩せた土地でも力強く根を張り、瞬く間に育つこれらの作物は、日本の食糧事情に劇的な革命をもたらしていた。
「これだけぎょうさんの食いもんがあれば、日照りが続いても、もう誰も飢えずに済みますわい!」
農民たちの顔から、飢餓への恐怖が完全に消え去っていた。
飢えがなくなるということは、単に民が豊かになるというだけの話ではない。
現代の知識を持つ薫子から見れば、それは「国力の爆発的な増大」を意味していた。
無尽蔵のカロリーが供給されれば、乳幼児の死亡率は下がり、寿命は延びる。
増え続ける人口は、そのまま巨大な労働力となり、産業革命を推進する力となり、強大な軍事力へと直結するのだ。
新大陸の作物は、日本という国家のエンジンを、全く別の次元へと引き上げていた。
***
室町第の絢爛豪華な大広間。
上座には、眩いばかりの打掛を羽織った日野富子が座り、その斜め後ろには、二十九歳となった薫子が、幕府の実務トップにふさわしい理知的な佇まいで堂々と控えている。
広間には、細川勝元や山名宗全、関東勢をはじめとする、全国の有力大名たちがずらりと並び、深い平伏を捧げていた。
富子は優雅に扇子を広げ、居並ぶ大名たちを見渡した。
「ようここまで励んでくれはりましたな。そなたらの命懸けの働きで、うちはついに『世界の富の中心』になったんやな」
富子の声には、もはや一国の将軍の妻という枠を超えた、巨大な経済圏を統べる権力者としての余裕と威厳が満ちていた。
勝元や宗全らも、かつての血生臭い権力闘争を忘れ、巨大な事業を成し遂げた誇らしげな顔つきで平伏している。
富子は後ろを振り返り、小さく頷いた。
その合図を受け、薫子が静かに立ち上がった。
薫子の指示を受け、数人の役人が一枚の巨大な巻物を広間の床いっぱいに広げた。
それは、最新の探検報告が書き加えられた、幕府特製の「世界地図」であった。
日本を出発し、太平洋を横断して新大陸の沿岸へ。
そして「くびれ(パナマ地峡)」を越え、大西洋のカリブ海へと至る巨大な航路。
その海の道には、無数の『日章二引両旗』の印が押され、確固たる拠点網が築かれていることが示されていた。
「富子様の仰る通りでおじゃります」
薫子は、大広間の隅々にまで届く透き通った声で解説を始めた。
「我らは東の大海を掌握し、さらなる海への扉を開けましたえ。新大陸の拠点からは、莫大な富と、国力を底上げする食糧が、太い動脈のごとく途切れることなく送られてきておりまする」
大名たちが、巨大な世界地図のスケールに感嘆の吐息を漏らす。
「我が国の国力は、もはやいずこの国にも引けを取りまへん。天下の富は、皆様方の手の中におじゃりまする」
薫子の堂々たる言葉に、大名たちが喜びのどよめきを上げた。
しかし。
薫子は扇子の先を、地図の西の果て……「南蛮」と呼ばれる地域へと静かに滑らせた。
「なれど、喜んでばかりはいられまへん。この世界図をご覧なはれ」
その静かな響きに、広間の空気がスッと引き締まる。
「我らが手に入れた新大陸の向こう側……西の大洋の果てに向かえば、最終的には南蛮人と呼ばれる者たちの地が広がっておりまする。彼らもまた、いずれは新たな海路と富を求め、外の大洋へと打って出る時が来ましょうぞ」
薫子は言葉を区切り、大名たち一人一人の顔を見渡した。
「我らがこのまま海を切り拓き続ければ、やがて必ず、海を越えてきた南蛮の勢力と鉢合わせる日が参りまする。その時こそ、まことの『世界を分かつ大いくさ』が始まりまする。鉄砲と大砲、そして互いの富の全てをぶつけ合う、これまでとは次元の違ういくさでおじゃる」
恐怖ではなく、底知れぬ緊張感が広間を支配した。
武将たちは、薫子の論理的な推測に息を呑み、地図の上の「空白の海」を食い入るように見つめた。
富子はふっと鼻で笑い、ゆっくりと立ち上がった。
「望むところやおまへんか」
富子の口元に、凄絶なまでの笑みが浮かぶ。
「南蛮の連中がなんぼのもんや。ここまでうちが手塩にかけて育て上げた『室町ファンド』の底力……海を越えてぶつかり合うというなら、とくと見せつけたるわ!」
富子の力強い宣言に、大名たちが一斉に平伏し、「おおおおっ!」と地鳴りのような咆哮を上げた。
彼らの目には、もはや国内の小さな領地争いへの未練などない。
世界という巨大な盤面で、未知の強敵と知略と武力を競い合うという、途方もない野心が燃え盛っていた。
大広間に響き渡る武将たちの咆哮を聞きながら、薫子は静かに目を伏せた。
(世界史のうねりが、ついに日本を中心に回り始めた……)
胸の奥で激しく燃え上がる歴史オタクとしての狂喜と、次なる世界大戦への高揚感を、薫子は深く、深く噛み殺していた。




