第49話:ロスト・テクノロジーの回避と「室町特許制度」
将軍・足利義政の「至高のブランド」によって市中の余剰資金が見事に回収され、狂乱の物価高騰は鎮静化した。
見栄と名誉のために天文学的な銭を払い、すっかり懐が涼しくなった武将たちは、再び稼ぎを求めて熱心に外洋へと船を出していく。
こうして健全な経済の巡りを取り戻した日本の中心・京都や堺は、世界中から集まる富と情報が交差する、世界最強の「研究開発(R&D)都市」へと変貌を遂げつつあった。
しかし、技術が高度になればなるほど、新たな危機が忍び寄るものである。
***
京都・室町第の奥の院。
夜の帳が下りた薄暗い部屋で、薫子と富子の前に、黒装束を纏った男が音もなく平伏していた。
数年前から薫子が高給で雇い入れ、今や幕府直属の「保安局」として暗躍している伊賀の忍びである。
「……で。堺の鍛冶屋での一件、まことなんやな?」
富子が煙管を吹かしながら、低い声で問うた。
「はっ。明国の商人と名乗る者どもが、堺にて新型の旋回大筒の鋳造に関わった職人に、砂金十両を積んで海を渡るよう唆しておりました。間一髪で我らが取り押さえ、明国の者どもは海へ沈めましてござりまする」
忍びの報告に、富子はチッと舌打ちをした。
「小賢しい真似をしくさる。ウチの職人を引き抜いて、大筒の造り方を盗もうっちゅう腹か」
「堺だけではおじゃりませぬ。山科の、水力紡績の長屋の周りにも、近頃、怪しげな身なりの者がうろついておりまする。皆、我らが極秘裏に進めている『からくり』の図面を狙っておるのでしょう」
薫子が手元の扇子を広げ、嘆息した。
海外交易によってもたらされた莫大な富。その源泉は、日本独自の「水力紡績」や「新型火器」といった高度な技術力にある。
異国の商人や、あるいは国内で幕府に反目する勢力が、その技術を喉から手が出るほど欲しがるのは火を見るより明らかだった。
「富子様。これは放置すれば、我が国の優位性が根本から崩れ去る重大な危機でおじゃります。技術とは、それを成す『人(職人)』の頭の中にこそ宿るものゆえ」
「せやな。……ならば、重要なからくりに関わる職人どもは、皆ひとつの長屋に押し込め、一歩も外へ出さぬよう兵に見張らせるか? 逃げようとする者は斬り捨てればええ」
富子が冷酷な提案をする。
中世の権力者であれば、それが最も手っ取り早く、当然の処置であった。技術者を奴隷のように幽閉し、国家機密として秘匿する。
しかし、薫子は静かに首を横に振った。
「富子様、それだけは絶対になりませぬ。人を檻に閉じ込め、恐怖で縛りつければ、彼らの頭から『新しい工夫を生み出そう』という意欲が消え失せまする。いずれ技術は淀み、異国に追い抜かれることになりましょう」
「ならば、どないせいっちゅうんや」
「恐怖ではなく、彼ら自身の『欲』で縛り付けるのでおじゃる。この国で技術を磨き続けることこそが、最も己を豊かにし、名誉を得られるのだと……骨の髄まで思い知らせる仕組みを作りまする」
薫子の目に、再び未来の知識を操る冷徹な光が宿った。
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数日後。
幕府の呼びかけにより、京都や堺から、腕利きの職人やからくり細工の棟梁たちが、室町第の広間へと集められた。
「大御台所様のお召しじゃと? 一体なんの御用じゃろうか……」
「まさか、我らにもあの恐ろしい大戦に駆り出されるような賦役が課せられるのではあるまいな」
職人たちが不安げにざわめく中、御簾が上がり、煌びやかな着物を纏った薫子が、幕府の奉行たちを従えて姿を現した。
彼女は職人たちを見渡し、凛とした声で告げた。
「皆の者、よう参られました。本日は、この日の本の富を支えるそなたたちに、富子様の御意向による新たな『御触れ』をお伝えするのでおじゃる」
薫子は、奉行に命じて一枚の高札を掲げさせた。
そこには、幕府の朱印とともに、こう記されていた。
『これより先、糸紡ぎのからくり、大筒の鋳造、ガラスの製法など、世に役立つ真新しい技術を編み出した者には、幕府がその技術を「特権」として認定いたす。その技術を用いて商いが行われた折には、生み出された利益の一部を、発明せし者に「二十年」の長きに渡り与え続けるものとする。その後は、その知恵を広く世に解き放ち、日の本全体の富とするべし』
ざわめきが、一瞬にして静寂に変わった。
職人たちの顔に、信じられないという驚愕の色が浮かぶ。
「ひ、姫様……。それは、まことでござりまするか? 儂らが新しい道具を考えつけば、それが使われる限り、二十年もの間ずっと銭が入ってくるということにござりまするか?」
一人の老練な鍛冶屋の棟梁が、震える声で尋ねた。
「左様でおじゃる。名付けて『専売の特権』。幕府は、そなたたちのその『頭の中にある知恵』こそが、いかなる金銀財宝よりも価値があると考えておりまする。素晴らしい知恵には、それに見合う莫大な富で報いましょうぞ」
薫子「皆の者、よう参られました。本日は、この日の本の富を支えるそなたたちに、富子様の御意向による新たな『御触れ』をお伝えいたしまする」は優しく、しかし力強い声で職人たちに語りかけた。
「異国へ渡り、はした金を握らされて使い捨てられるか。それとも、この日の本で幕府の庇護を受け、己の知恵で二十年の富と名誉を得るか。……選ぶのは、そなたたちでおじゃるよ」
職人たちの目に、かつてない熱い炎が灯った。
これまでの彼らは、どれほど優れた道具を作っても、注文主から一度きりの代金を受け取るだけであった。
しかし、これからは違う。自分の工夫が、そのまま途方もない富に繋がるのだ。
「姫様のおっしゃる通りじゃ! 異国の怪しげな奴らについて行く理由など、どこにもねえ!」
「おう! 早速工房に戻って、もっと早く糸を紡げるからくりの図面を引くでさあ!」
「儂もじゃ! もっと遠くへ正確に飛ぶ大筒の筒先を考えてやるわい!」
広間は、職人たちの歓喜と熱狂的な怒号に包まれた。
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別室でその様子を眺めていた富子は、感心したようにため息をついた。
「……恐れ入ったわ。これなら見張りをつけずとも、職人どもは寝る間も惜しんで働き、決してこの国から離れようとはせんやろな」
「ええ。人間は、己の正当な利益のためならば、いかなる苦労も厭わぬ生き物でおじゃります」
薫子は、活気を取り戻した職人たちの背中を見つめながら、心の中で快哉を叫んでいた。
『ひゃっはー! これでロスト・テクノロジーの危機は回避! それどころか、インセンティブを与えられた職人たちが、私の知識など及びもつかない速度で、自発的に技術革新を起こし続ける無限ループの完成よ! 二十年で広く世に解き放てば、技術の停滞も起きない!』
この「室町特許制度」の導入により、日本の造船技術、火器の開発、そして航海術は、ヨーロッパ列強を何世紀も引き離す圧倒的な速度で進化し始めることになる。
すべては、次なる「壮大な野望」を実現するための、強固な足場作りであった。




