第48話:ガラスの魔法と美の皇帝・義政 〜二段構えの資金回収〜
市中の物価高騰は、幕府の手形制度によってひとまずの落ち着きを見せた。
しかし、海外貿易で莫大な利益を上げ続ける武将たちの懐には、まだ天文学的な額の「余剰資金」が唸っている。
京都・室町第の広間。
大御台所・日野富子の呼びかけにより、細川勝元や山名宗全をはじめとする、有力な大名や提督たちが集められていた。
しかし上座に富子の姿はなく、名代として薫子が静かに微笑んでいた。
「大御台所様のお呼びと聞いて参ったが……姫様。今日は一体、何のお披露目でござるか? 我らは次の航海の仕度で忙しいのでおじゃるが」
細川勝元が、有り余る富を手にした成功者を装い、横柄で退屈そうな態度で尋ねる。
その実、幕府への莫大な借金返済と次の航海の算段に追われる『貧乏暇なし』の身なのだが、他大名の手前、見栄を張らずにはいられないのだ。
「まあ、そう焦られなさるな。本日は、天下の海を制した皆様方にふさわしい、至高の品をご用意いたしましたのでおじゃりまする」
薫子が合図をすると、御簾の向こうから、黒塗りの台座に乗せられた品々が運ばれてきた。
絹の布が取り払われた瞬間、広間に集まった武将たちの息が止まった。
「な、なんじゃ……これは……!?」
そこにあったのは、光を乱反射して虹色に輝く、極彩色の『切子硝子』の器。
そして、曇り一つなく己の顔を恐ろしいほど鮮明に映し出す、水銀引きの『巨大な鏡』であった。
中世の日本に、これほど透明で美しいガラス細工は存在しない。
「異国の技術を、我が幕府の職人が数年がかりで昇華させた『秘宝』でおじゃる。水がそのまま形を成したようなこの器で呑む酒は、さぞ美味きことでしょうな」
「おお……! なんという眩い輝きじゃ……!」
「こちらの鏡を見られよ! 銅を磨いた鏡とは比べ物にならん! 己の毛穴の数まで数えられそうでおじゃる!」
武将たちの目に、強烈な所有欲が燃え上がる。
金銀財宝は見飽きた彼らだが、このような「未知の美しさ」を持つ物理的な贅沢品には抗えない。
「姫様! その硝子の器、我が細川家が一千貫で買い取ろう!」
「ええい、控えよ! 我ら山名家が二千貫出そうぞ!」
成金となった武将たち(細川と山名以外)は、自らの富と権力を誇示するため、我先にと天文学的な値をつけてガラス細工を買い漁っていった。
***
茶室の奥でその様子を報告された薫子は、冷ややかに微笑んでいた。
「ふふ……よく売れまするな。なれど、物はいつか飽きられる。物理的な品を売っているだけでは、彼らの莫大な富を完全に吸い上げることはできませぬ」
隣で煙管を吹かす富子が、面白そうに目を細める。
「せやな。物には相場っちゅうもんがある。どれだけ綺麗なガラスでも、百万貫の値段をつけるわけにはいかんさかいな。……で、いよいよウチの旦那の出番っちゅうわけか」
「はい。いよいよ『第二段階』でおじゃる。彼らの富を根こそぎ奪うための、究極のブラックホール……『絶対的な付加価値』を発動させまする」
数日後。
幕府から、諸大名に向けて驚くべき招待状が届けられた。
『将軍・足利義政公が自ら見立てた、天下一の茶器のお披露目会、ならびに茶会を催す』
権力闘争から逃げ、ただひたすらに美と芸術のみを探求し続けてきた男。
史実においては「政治を顧みない無能な将軍」と酷評される足利義政だが、芸術的センスにかけては、日本の歴史上でも右に出る者はいない「美の皇帝」である。
茶会に招かれた武将たちは、義政の前に恭しく平伏していた。
義政は、静かな手つきで一つの茶碗を彼らの前に差し出した。
それは、黄金でもなく、ガラスでもない。
色あせ、ひびが入り、形すらいびつに歪んだ、一見するとただの薄汚れた茶碗であった。
「……上様。これは、もしや下々の者が使うような、古き茶碗ではおじゃりませぬか?」
勝元が恐る恐る尋ねると、義政は静かに微笑み、首を横に振った。
「勝元よ。そなたには、この器の真の美しさが分からぬか。……完全なるものなど、この世には存在せぬ。このいびつな歪み、そして欠けた部分にこそ、無限の宇宙が広がるのじゃ。これを『わび』『さび』と呼ぶ」
義政の静かで、しかし絶対的な権威を帯びた声が、茶室に響き渡る。
「この茶碗は、ただの土塊ではない。余が、この日の本で最も美しいと認めた『天下一』の茶器である」
その言葉を聞いた瞬間、武将たちの目の色が変わった。
彼らは武力と商売で天下の海を制したが、常に「教養のなさ」や「田舎者」というコンプレックスを抱えている。
『将軍家が認めた、絶対的な美の基準』。
それを持っているかどうかが、彼らのステータス(格付け)を決める究極の尺度になるのだと、本能で理解したのである。
「上様! その『天下一の茶碗』、どうか我ら山名家にお譲りくだされ! 五千貫出しまする!」
宗全が身を乗り出して叫ぶ。
『ええい、幕府への莫大な借金の返済で手元の銭は火の車じゃというのに……! なれど、これを手に入れねば「雅を解せぬ田舎者」として格下の者たちに侮られる! 何より細川にだけは絶対に渡せん!』
「宗全ごときが何を申す! 上様、我が細川家は一万貫出しましょうぞ!」
勝元も血走った目で声を荒らげる。
『くっ……! 次の航海のための仕入れ金まで取り崩すことになろうとは! しかし、武家筆頭としての面子がかかっておるのだ! この茶器があれば、幕府への絶対的な忠誠と権威を天下に知らしめることができるわ!』
「ならば我らは二万貫じゃ!」
原価など無に等しい、ただの歪んだ茶碗。
それに、幕府の権威と義政の天才的なプロデュース(東山文化)が乗っかった瞬間、天文学的な価値を生み出す。
これぞ、究極の「付加価値・ビジネス」であった。
***
別室で帳簿をつけていた薫子は、茶室から聞こえてくる狂ったような競り合いの声に、震える手で筆を走らせていた。
『ひゃっはー! 止まらないわ! 義政様が「これが雅だ」と指を差しただけで、ただの石ころ(枯山水)や古びた茶碗に、何万貫という現金が積まれていく!』
インフレーションを防ぐために、市場から現金を回収する。
だが、税として無理やり奪えば反乱が起きる。
だからこそ、武将たちの「見栄」と「承認欲求」を刺激し、実態のない付加価値に莫大な現金を支払わせることで、自発的に富を幕府へと還流させる。
「薫子、見ぃや。ウチの旦那も、たまには役に立つもんやろ?」
富子が、呆れながらも満足げな顔で笑う。
「ええ……! まことに、義政様は国を救う最強の芸術監督でおじゃります! これで、市中に溢れかけていた余剰資金は完全に幕府の金庫へと回収されましたわ!」
こうして、大航海時代特有の「価格革命」という最悪のバグは、将軍・足利義政の至高の芸術と、薫子たちの冷酷な経済政策によって、血を流すことなく完全に修正されたのであった。




